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テツガクの小部屋12 ソクラテス①

・無知の知
ソクラテスは研究上きわめて困難な対象である。というのは彼は自己の思想を表現するのに著述という方法を選ばず、街頭での対話にその手段を見出したために、後世に一冊の書物も残さなかったからである。

プラトンの対話篇においてはソクラテスとプラトンは一体化してしまっていて、両者を区別するのは難しい。プラトンも最初はソクラテスを忠実に再現しようと意図したようであるが、やがてその思想は発展し、プラトン独自のものとならざるを得なかった。

ソクラテスは前469年にアテナイに生まれた。父は石工、母は産婆である。

いつごろからかは明らかでないが、青年たちを呼び止めて「善とは何か」「正義とは何か」「勇気とは何か」といった問題について対話を挑みかけるソクラテスの姿がアゴラに見られるようになった。

ある時カレイポンという若者によって「ソクラテスより賢い者なし」という神託がデルフォイからもたらされた。これは人々を驚かせたが、最も驚いたのはソクラテス自身であった。彼は自分を無知であると考えていたし、そう公言もしていたからである。そこで彼は著名な政治家と詩人と工芸家を訪ね、神託の真偽を確かめようとした。彼らは識者をもって自任している人たちだったから、彼らと対話することで神託の真意が明らかになると思ったからである。ところが彼らと議論するうち、彼らが知識といえるようなものは何も有していないことをソクラテスは発見した。そこで彼は結論した。彼らは知識といえるようなものは何も有さないのに、自分を賢者だと思っている。すなわち無知であることすら知っていない。それに反して自分は少なくとも知らないということは知っている。それゆえその点で神は彼らよりソクラテスの方が賢明であると告げたのだと。 つづく

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂

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