「ペンは剣よりも強し」を考える

日夜我々は各報道機関のニュースや、週刊誌から送られてくる情報の中で暮らしている。

昨今の文春砲と呼ばれる特定の人物への取材により世間にも関係者にもクリティカルヒットをさせる日本の風物詩が巷を騒がせている。

確かにある種の他人の不幸見たさでニュースや雑誌を観ては「へ〜。あの有名人ってこんな悪どい事していたのか」と思うのが人情の一場面とされる。

他人の不幸で飯がうまいなど、そんな事が平気で出来る訳無いだろ!と思うかもしれないが少なくとも私は自分の感情、感性には嘘など付けない性分でして。

でも、完全に鵜呑みにはしない。

何故なら読む人が人間なら描く人もまた人間なのだから。

どちらも嘘を吐けると言えよう。

そんな曖昧なのに人々はいつも週刊誌の下世話な話で盛り上がったりして話の種を絶やさないのだ。なんと我々人間は浅ましい生き物ではないだろうか。これは恥ずべき文化文明の一つともいえよう。

とは言え、その話の種が意外な社会を動かすための鍵にもなり得る事も忘れてはならない。

古来より、ペンは剣よりも強しとも言います。

暴力で社会を動かしたり、人を変えたりする、情報を周りに伝えるのは愚か者のする事。

では知恵ある者はどうするか?ペンを走らせて人々に教え伝え行くのだ。

これこそがペンは剣よりも強しが本来されるべき事と私は思う。

今や情報の時代。そんな事も知らないのか?人は相手よりも1つ知ってるかで未来が変わるそんな変な社会を築き上げてしまった。しかし、ここまで来たのなら行ける所まで行くしかない。どんな未来になるかは行ってみないと分からないのだから。

そんな不便なこの時代だが、週刊誌・インフルエンサーによるSNSでの情報発信、そして各機関からのニュース報道。これらを通じて国内、果ては古今東西様々な国で起こった、これから始まるイベント・戦争etcを見たり聞いたりして私達は日々怯えたり、また喜んだりと一喜一憂を繰り返すこれまた1日1日を忙しく過ごしている。

訃報、不祥事、数えれば限りのない不幸話。しかしその不幸話でも人は聞きたいもの。だからこそそんなもんで人の感情を逆撫でするようなものがあるなら一層の事この世から無くせばいいのではと極端に考える傾向にある私は何とかニュースを見ないようにしなければと思ってもやはり愚か者の仲間でもある私はその煩悩に負けてしまいニュースをテレビ、号外、ネットでのニュースに手を取ってしまう。

そして、後悔するのだ・・・「またニュースを見てしまった」と。

見なければよかった事なんてこの世にはいくらでもある。

世の中で行われている悲惨な暴力、暴力、暴力…政府を変える、社会を変える、人の心を変える…それには暴力を使う。人はなぜ暴力を主な行動の1つにしておくのだろうか?

一昔前ならペンを走らせるよりも、火薬を扱っている方が人は本来の姿を表せられるのだろう。しかし現代では違って、罵詈雑言や言の葉と名前に置き換えて人の心をすり減らす言葉の刃を人は振るう。

目に見えない暴力装置である。これではペンよりも剣が強いことを証明してしまう。

ではどうすれば良いか?

やはり文学で解決させていく。その為には暴力を奮ったことのない人が書いた「本」を手に取り読み、自己の中で読み込んでいく。それを一人一人して行くことが次世代の人間の社会を、それこそがペンは剣よりも強い事を実現出来る日が来るのではないだろうかと私は思います。

それとも、剣を振るっている姿の人間が本来の生物だとこれを読んだ人は思いますか?