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自己紹介リニューアル(ほぼ職歴の話)

こんにちは、おぞと言います。

先日、自分のnoteを見返しました(あんまり書いてないので記事少ないです)
そうしたら、最初に書いた記事が自己紹介だったのですが、内容があまりにもショボかったので(笑)、自分を振り返るという意味でも再度詳しく書こうと思い、今回のテーマにしました。
書き方は迷ったのですが、とりあえず時系列で、大学生時代以降を中心に書いていきます。

① 0歳 〜18歳 生い立ち〜高校卒業 in地元
②19歳〜22歳 大学生時代     in大分
③23歳〜26歳 会社員時代     in仙台
④26歳〜28歳 会社員時代     in広島
⑤28歳     フリーター時代   in地元
⑥29歳〜30歳 官公庁パート時代  in地元
⑦30歳     ワーホリ時代 in豪メルボルン

至って平凡です

① 0歳 〜18歳 
 生い立ち〜高校卒業 in地元

1993年生まれ。詳しい場所は伏せますが九州の田舎生まれ。高校卒業後まで地元で暮らしました。家族は父、母、2個下の弟。

小学生の時は、周りと比較して割と勉強ができる方だったので、中学受験をして第一希望校に合格。しかし学校生活が上手くいかず中学3年夏に退学し、地元の中学へ。

高校受験もなんとか合格できて志望校へ進学。そこで弓道部に入り勉強そっちのけでのめり込む。
その一方で大学受験は国立前期、私立共にことごとく不合格になり、なんとか国立後期でギリギリ合格。大分県へ行く。


②19歳〜22歳 
 大学生時代 in大分


大学受験での失敗をいつまでもふてくされてた私でしたが、そんな私にも素晴らしい友人がたくさん出来ました。1人暮らしだったので、友人と朝まで騒ぎまくり。

アルバイトは結婚式のサービスや飲食店ホールなど。仕事の覚えや要領がとにかく悪く、「自分は仕事が出来ない人間なのだ」とショックを受け、受験の失敗以上の挫折を経験する。

一方、海外留学生と交流をするサークル活動に入り、自分も海外へ行きたいと思うようになりました。そして大学2年生後期にシンガポールへ半年間の交換留学へ行きました。留学時代は東南アジアへ複数国旅行へ行き、私の旅行好きな性格はこの辺りで形成されたと思います。

大学4年生で就職活動開始。大した強みも無い上に「仕事出来ない人間」というコンプレックスもあり、売り手市場にも関わらず就活難航。というかそもそもやりたい仕事とか夢もない(笑)しかしなんとかギリギリでとある商事会社から内定をもらいました。


③23歳〜26歳 
 会社員時代 in仙台

新卒で就職したのは各都道府県に支店や営業所を持っている会社でした。新卒は最初は地元に近い支店に配属になるとOBから聞いていたので、まあ福岡か遠くて大阪あたりだろうと思っていたら、まさかの縁もゆかりもない東北の仙台市へ笑 泣きました笑
職種は営業職でした。ただ最初は顧客も持たせてもらえず、ずっと飛び込み営業。イヤだったので結構サボっていましたが(笑)

それよりも、いざ顧客を持ってからの方が仕事しんどかったです。見積〜納品までの流れ、仕入れ先と顧客とのやりとり、業界の知識。とにかく覚えることが多い、やることが多い。家に帰ってもずっと仕事の復習や勉強をしていましたが、まったく仕事ができない。1を聞いて10を理解するどころか、10を聞いてやっと1が理解できるかどうか。そんな感じだから失敗して客に迷惑をかけてしまう。頑張ってるのにまた失敗してしまう、の繰り返し。
君は大学卒業してるし、TOEICの点数良いし、頭は「賢い」んだろうけど、「考える力」はないよね。要するに賢いけど頭悪いよね。と言われた時はショック過ぎて立ち直れなかったです(笑)いやむしろ、そんなセリフを堂々と言うのかという衝撃が大きかったです(笑)

そんな感じで再び「仕事できない自分」という現実を突きつけられて、病みました。相当しんどかったですね。負のループに入ると、だんだん視野が狭くなっていくんです。自分は生きててはダメな人間だ、早く死にたい、でも自殺も迷惑かけてしまう。そんな心境がずっと続きました。包丁とかハサミとか見ると、自分を刺しそうになるので、ハンカチで包んで見えない場所に置いたり。窓から飛び降りないように窓ガラスをガムテープで留めたり。せっかくの休日になっても、何も考えられなくて、スーパーで何も買わずに3時間くらい徘徊したり(笑)頭が正常な動きをしないんですよ。

でも皮肉なことに、そんな私を支えてくれたのも、やっぱり仕事でした。客先でおじいちゃんみたいな人からお茶頂きながら雑談して、励ましてもらったり。「君だからこの商品買うよ」って言ってくださるお客さんがいたり。あとはやっぱり仕事同僚仲間。私が元気がない時は飲みに連れていってくれたり、話を聞いてもらったり。そんなことでちょっとずつ回復して、落ち込んで、回復して…と感情の波が激しかったです。

元気な時は、なるべく旅行へ行きました。せっかく東北にいるのだからと、青森、秋田、岩手、福島と、とにかくたくさん行きました。旅行によって現実逃避をしていたのだと思います。


④26歳〜28歳 
 会社員時代 in広島

で、そんな中、仙台生活3年半の時に広島支店への配属が決定しました。
広島でも相変わらず「仕事できない人間」炸裂しました。本当に、よくまあこんな奴を見捨てず指導してくれたなと、上司や先輩には感謝です。別記事にも載せましたが、上司先輩同僚には本当にお世話になりました…。困ったときはサポートしてくれて、私が落ち込んでいる時は「おい、飲みに行くぞ」って連れて行ってくれて。
仕事、本当にしんどくて辞めたいとずっと思っていましたが、人間関係には恵まれていたので、なかなか辞める決心がつきませんでした。あとは「仕事できない人間」な私を雇ってくれる会社なんてないと思っていたので。辞めてしまったらもう人生終わりだ。収入が無くなってしまうと。そんな感じで、広島でも相変わらず感情の上がり下がりが激しい2年間を過ごしました。

ただもう、しんどいものはしんどい…。ある日ストレスMAXの状態でコロナで在宅勤務をしていたとき、上司から電話がかかってきて、過呼吸を起こしました(笑)上司もびっくり(笑)

それで、ああもう無理だ。もう辞めようと。無職でもしばらくは生きていける貯金はあるし、実家も帰ってきて良いよとは言ってくれてるし。その頃ちょうど会社の方針が変わって、個人的にあまり好ましくないと感じていたのもあったので、悩みに悩んで2021年9月末で退職しました。
退職のときはお世話になった先輩への申し訳なさと感謝で大号泣しました。「お前自らの意思で辞めるのに何やねん」とツッコまれましたが笑

⑤28歳    
 フリーター時代 in地元

それで高校卒業以来、約10年ぶりに九州の実家へ戻りました。転職先を見つけずに退職したのでしばらく無職ニートを満喫し、ちょっとずつアルバイトや単発の派遣をしました。
この時の経験が結構勉強になりました。食品工場で腰を痛めたり、倉庫内の作業もしましたが倉庫内寒すぎて風邪引いたり。

正直なことを言うと私はこれまで、「大企業」の「正社員」の「営業職」として働いていたことに、心の底でプライドを感じていた自分がいたのです。だからそんな「身分」を手放したくないから仕事辞めれないという思いもありました。単発のバイトなんて…と、思っていた自分がいたのです。
今思うとなんていう傲慢な考えなのだと分かりますが。誰のおかげでコンビニの弁当が食べれて、誰のおかげで物が届くのかと。自分が実際に身体痛めて働いたことで、仕事内容に優劣はないし、正社員だろうがバイトだろうが関係ないということを改めて身に染みて感じました。

あとはこの時期は、自分のペースで仕事日程を選んで自分のペースで働けたので、よかったなと思います。会社員時代は全く余裕がなかったので。余裕ができると、様々なことに目を向けられるようになりました。株式投資やってみたり、募金したり、読書したり、メルカリ始めてみたり(笑)ひたすらがむしゃらに仕事をする時期もあって良いと思いますが、ちょっと余力を持たせて、別のことをやってみるという心の余裕も大切だなと感じました。

⑥29歳〜30歳
  官公庁パート時代 in地元

で、そんなフリーター時代を過ごしていたのですが、未だ「やっぱりどこか1社仕事に就いた方がいいよね…」という思いも正直あったので、地元のハローワークへ。そこで言われたのは「転職活動をするなら、フリーターではなく現状仕事をしている人が見つけやすい」という現実でした。まあここはそれぞれ色んな考えがあると思いますが、やはりフリーターの職探しは厳しいのです。
そこで紹介されたのが官公庁のパート職でした。正式には「会計年度任用職員」と言います。会計年度職員として働きながら、正社員の就活をしようと勧められたのです。
先のことはわからないが、官公庁でも働いてみたい! と思い、応募。1つ受かり採用となりました。この時のハローワークの担当者の方、ありがとうございました。

2022年4月より官公庁で働き始めました。なんと課のメンバー35人のうち女性は私1人で他全員男性(笑)皆さん優しくてよくしてくださいました…。

会計年度任用職員の中でも色々な種類があるのですが、私の場合は月16日間の勤務でした。なのでそれ以外の平日は休み。要するに休日がかなり多いので、めちゃくちゃ自由な時間が多くて幸せでした(笑)ただ収入はやはり少なめなので、土日はタイミーを利用してバイトをしていました。
また他の記事にも書きましたが、休みを繋げてよく旅行に行きました。仕事内容もストレスなく「仕事出来ない自分」をあまり感じなくて済みました。平日4日間官公庁、土日バイト、お金が貯まったら旅行へ。すごく良い生活(笑)
土日のタイミーも、基本的にはショッピングモールの惣菜製造をしていたのですが、皆さん明るく優しくて、楽しく仕事できました。

⑦30歳    
ワーホリ時代 in豪メルボルン


そんな心穏やかな生活が約1年半。ハローワークの方から言われた「官公庁で仕事しながら正社員の職探し」を結局することなく(笑)、オーストラリアへのワーホリを決意し、今に至ります。
ワーホリの話は普段記事にしている内容です。更新頻度は低いですが、これからもぼちぼち続けようと思っています。


文章長くなりましたが、以上です。
誇れることは何もないです。なんなら他の人と比較すると、かなり遠回りで不器用な生き方だと思います。
でも何やかんやで悪くない人生だったなあと個人的には思っています笑

現在はメルボルンでカフェのバイトをしています。今でもたまに「仕事出来ない自分」が出てきて落ち込むことがあります。メンタル弱いので情けないですが…。でも、会社員時代は「ちゃんとしなきゃ!」って焦っていましたが、今ではマイペースにやっていこうと思えるようになりました。これからもぼちぼちやっていきます。

以上、お読み頂きありがとうございました。

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