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第367回、自分の戦争観や善悪的な概念を語ってみた


自分はミリタリーオタクではありませんが、いわゆる世界大戦時の兵器が、大好きです。
宮崎アニメでよく描かれる様な、厚い鉄板に無数のねじでビス打ち?されたどこか手作り感のあるメカに、魅力を感じるのです。

こちらは未来技術ですが、映画「アバター」のメカにも魅了されています。あくまでも見た目の好みなので、性能の良し悪し等の、スペック的な事にはあまり興味がありませんし、社会的な善悪概念にも関心はありません。

これはあくまでも映画等の物語の上での話ですが、悪役としてのナチスにも自分はとても魅力を感じています。
例えば「ガンダム」「スターウォーズ」でも、自分は主役よりも、敵側の軍事力や兵器に魅力を感じるのです。
別に自分が、そちら側に共感をしている訳でも、そちらの人間になりたいと思っている訳でもないですが、物語的に悪役には悪役の魅力があるのです。

ナチスは世界の誰もが認める、悪の存在です。
しかしそのナチスがなければ「インディージョーンズ」もあれ程、魅力の
ある作品にはならなかったですし、それはガンダムやスターウォーズにも、同様の事が言えるのではないかと思います。

自分は歴史にはあまり詳しくも興味もありませんが、第二次世界大戦時は、日本はそのナチスと、同盟関係にあったと聞きます。

日本が世界中の国々に叩かれるのは、それが原因でもあるのです。
愛国者の中には、日本はナチスとは違うという人もいるかもしれませんが、自分はそれに関しては、異を唱えたいと思っています。

実際の所、日本がどうだったのかという事は、自分はどうでもいいのです。
事実として、日本とナチスが同盟関係にあったのなら、ナチスが世界の悪者として非難されるのを横目にして、自分達は彼らとは違うのだという事が、自分どこか、精神的に美しくないように感じてしまうのです。

日本が正しいか正しくないかは、この際どうでもいいのです。
かつて同盟を結んだ国が、世界中から叩かれているのなら、日本もその国と共に叩かれる覚悟を持つ必要があるのではないかと、自分は思っています。

それは連帯責任とか、社会的な善悪とかそういう事ではなくて、心の美学とでも言うのでしょうか、仲間を見捨てて、自分の正当性だけを主張する事に自分は、精神的な恰好の悪さを感じてしまうのです。

自分は侍魂や大和魂、武士道精神という物には、全く興味がありません。
ですが、もしもそういう物があるのだとしたら、それは例えどの様な状態であっても、仲間を見捨てず運命を共にする事にこそ、その精神があるのではないかと思っています。

自分は自己犠牲の精神が嫌いですが、少なくともかつての仲間が、世界から叩かれているのに、自分だけがそれから逃れようとするのは、恰好が悪いように思ってしまい、そんな醜態をさらすくらいならば、自分を犠牲にしても世界から共に叩かれていた方がいいように思っているのです。

そもそも自分は戦争に、絶対的な正義も悪もないのだと思っています。
戦国時代に、正義側も悪側もないのと同じです。
誰もが自分にこそ、正義があると信じて戦っているのだし、つまりは誰もが正義であり、同時に誰かにとっての悪なのです。

日本には日本の戦争をするだけの理由があったのかも知れませんが、それはともかくとして、ナチスがその戦争の同盟国だったのなら、自分はナチスが叩かれている間は、共に世界から叩かれる覚悟を持つべきと思っています。

個人的には、大和魂等糞くらえと思っているのですが、少なくともその魂を誇りにしている人は、そうした覚悟を持つべきなのではないのでしょうか。

ナチスの事を悪だと罵りながら、自分達は、彼らとは違うのだと言うのは、自分の感覚としては、侍精神の欠片もないように思えてしまうのです。


話が少しそれますが、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」は、その後の展開でかつて地球を滅ぼしかけたガミラス星人と、同盟関係を結んでいるようです。
アニメの話とはいえ、これはなかなか凄い事だと思っていて、自分はこれは日本人の精神の、割と美徳と言える部分ではないかと思っています。

日本人は、絶対的な善悪概念では、物事を判断しない所があります。
悪と言われる側にも、そうするだけの理由があるのだと考えて、相手の事を理解しようとする所があります。
それは誰にでもできる様な事ではありませんし、人間はそうあるべきだとも思ってはいませんが、そういう事ができるのはとても凄い事であり、それをできる精神性に、誇りを持っていいのだと思っています。

最近では欧米も、勧善懲悪ではない物語を、描く様になって来ているように思いますが、それは正義の側にも悪の心を持つ者がいたり、悪の側にも正義の心を持つ者がいるという物で、相変わらず絶対的な善悪の精神概念でしか物語を描けていない様に思います。

つまり正義の心は、絶対的な正義であり、正義の行為が、他の人にとっては悪の行為になり得るかも知れないという概念には、至っていないのです。

その国の宗教観やお国柄もあるので、どちらの考え方がいいとは、一概には言えない所もあると思いますが、少なくとも自分は、物事には絶対的な善悪関係はないと思っていますし、そういう意味では、先の世界大戦での日本は絶対的な悪ではないのだと思いますが、相対的な悪ではあり、同盟を結んだ国が非難をされている間は、その国が世界から許されるまでは、共に非難を受けるのが、侍の美学ではないのだろうかと、自分は思っているのです。

※別に侍精神が、日本を代表する心という訳ではないという方もおられると思いますが、その意見は、本当にその通りであり、つまりは、侍精神を持たずに生きる多くの一般市民にとっては、先人達の行いのとばっちりを受けているのだとは思っています。


今回も、前企画の未使用画像があったので、まとめて載せてみました。

せっかく生成された画像を、なるべく無駄にしたくないのです。

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