見出し画像

そういうことか!幸せの方程式を解き、人生が大きく変わった【Vol.3】

運命の波に四方八方を取り囲まれてしまったMさんが、人生を紐解くことで、なぜこんな人生になってしまったのか?その疑問が解けてきました。
自分の考え方や人生の選択が、どこから来ているのかもわかり、すべての出来事が辻褄を合わせていく中、最終的にたどり着いたものは何だったのでしょう?

※Vol.2はこちら https://note.com/vast_eagle460/n/n6031b275acda
※Vol.1はこちら https://note.com/vast_eagle460/n/n62f4552a23a2

プロフィール イニシャル・Mさん(神奈川県)
母と婿養子の父のもと三人兄弟の長女として生まれる。生家はラッキョウ栽培を営む兼業農家で、母方の祖父母と曾祖母も同居する大家族で育つ。小学1年生の時、両親の留守中、Mさんが子守を放棄した間に弟が亡くなるという悲しい体験をする。それ以来、自分らしさを失い、生きづらさを感じて生きてきた。結婚後は、夫婦関係、嫁姑関係、育児、家族の病や自身の病、家業の経営難等々、様々な問題に悩まされていた。


目次
Vol.3】
❒人生はひとつのストーリーになっていた
・罪滅ぼしの人生だった!
❒思い込みでつくり上げたドラマ
・親を理解したことで、完全に過去が変わった
◆編集後記◆

☆interview☆
<インタビュアー:小田朱里/研究員 ライター:佐藤康代>


そういうことか!幸せの方程式を解き、人生が大きく変わった【Vol.3】


❒人生はひとつのストーリーになっていた
・ 罪滅ぼしの人生だった!

人生の疑問が解けていく中で、最も驚いたのは、私がなぜ4人の子供を育て、保育士の仕事をしていたのか、その理由に気づけたことです。

弟の死で十字架を背負っていた私は、子どもたちの世話をすることで”罪滅ぼし”をしていたのです。

4人の子どもがいるのに、それ以上に子どもたちのお世話をしないと、バランスが保てないことに気づいたんです。
これには本当に驚きました。

この理解によって、これまで背負ってきたものから解放された日に、夫も養育費の完済日を迎え、同時に私たち夫婦は解放されたのです。

夫も、子どもを育てることができない罪悪感を持ち、養育費という形で愛を貫いてきたことが分かり、男性の大きな愛を感じました。
そして、同時に、この出来事が私に父の姿を思い起こさせました。
ぶっきらぼうで愛情表現が苦手だったけど、家族のために働き、私たちを守ってくれたのです。

「私なんて価値がない」「愛されていない」という思い込みが目隠しになり、大事なことを感じられなくなっていたことを知りました。
父の愛や夫の愛が、一気に心にあふれ出てきました。

私が罪滅ぼしの生き方から解放されると、自分の鬱症状もなくなり、家族にも変化が現れました。
娘のいじめが終わり、リウマチも回復しました。

そして、義母との関係も変わりました。
夫婦でお店を営んでいたため、義父が困らないように義母は3人目を妊娠した際に誰にも相談せずに堕胎を選んでいました。
義母は産んであげられなかった子の命に償うかのように、義父を支え懸命に働いたのです。
私は、彼女が「また産むの?」と言った思いを理解し、抵抗がなくなりました。

こうして人生を紐解き、自分自身を理解していく過程で、気づけば焦りや欠乏感、罪悪感は消えていました。
他者の目を気にすることもなくなり、自分らしく生きられるようになりました。

❒思い込みでつくり上げたドラマだった
ひとつだけ、母のことですっきりしないことがありました。
それは母との距離感でした。
「母に受け入れてもらったことがない」という感覚が私の中に残っていたからです。

これは母を理解するしかない!と思い、息子を亡くした母の気持ちになってみました。
"普通ではいられないし、他の子どもにまともに向き合えなくなるだろうな”と思いました。
母は冷たいのではなく、愛しているからこそ、愛に恐怖を抱き、はぐらかす行動に現れていたのだと理解できました。

本当は母に愛されていたんだ!と、体の奥から喜びが湧き起こりました。

・親を理解したことで、完全に過去が変わった

その翌日、母が久しぶりにやって来ました。
その日は母の誕生日でした。
家族でお祝いし、タイミング良く、成長した子どもたちの晴れ姿を見てもらうことができました。

自然な流れで、「過去は苦しいこともあったけれど、なぜそうなったのかを理解したことですっかり変わってしまったことと、今すごく幸せなこと」を母に話すと、「そうだったのね。いま幸せで良かった」と、母はそのまま聴いてくれて、理解してくれました。
初めて、受け入れてもらえたと感じました。

そして、話す中で、母は”私が弟の事故の現場にいたこと”を知らなかったことが分かったのです。
もちろん、私が友人宅へ遊びに行った事も知りません。
「あんな事をしてしまった私は母に愛される資格はない!」というのは、私の思い込みがつくり出した幻想だったのです。

思い込みだと解った瞬間、とてつもなく解放されました。
完全に過去が変わってしまいました。
母への緊張感も距離感もなくなりました。
本当の母に会えたようでした。

自分の真実を知っていくことで、人生を理解し、家族を理解し、母を理解することができました。これが自分への愛だと気づきました。

私の人生はまるごと変わりました。
いま心から幸せを感じています。

◆編集後記◆
「私なんて存在してはいけない」
こんな強い自己否定と罪悪感が無意識にあったことをMさんという“自分の鏡”に感じながら、インタビューさせていただきました。
「私がここにいるためには人の役に立つ人間でいなくては」
こんな罪滅ぼしの生き方は、ある意味望み通りに苦難が押し寄せる人生をつくっていましたが、その人生を体験していたしくみを理解することで背負った十字架から解放されたMさんは、まるで生きながら生まれ変わり、問題ばかりを見ていた家族もまるごと再生されたのです。
インタビューでお会いしたMさんは、波乱万丈な過去を微塵も感じさせないほど柔らかい輝きを放つ女性でした。自らかけた呪縛から自分を解放することができた時、人は本来の存在の輝きを取り戻す。Mさんの人生ストーリーに向き合えたことで、このことを体感することができたし、私自身も癒されたと感じています。
この出会いに、心から感謝!

<インタビュアー:小田朱里/研究員>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?