加藤 郁夫

大阪の府立高校・立命館小中高・大和大学など小学校から大学までの国語教育に関わってきまし…

加藤 郁夫

大阪の府立高校・立命館小中高・大和大学など小学校から大学までの国語教育に関わってきました。国語教育は、教材を読むことにおいても、何を教えるか、どう教えるかといった問題においてもまだまだ不十分なところが多くあります。学んできたものをみなさんに還元し、一緒に考えていきたいと考えます。

最近の記事

『さなぎたちの教室』(安東みきえ)の場面を読む

 『さなぎたちの教室』は、東京書籍小学6年の教科書に2024年から掲載された、いわゆる新教材である。同じ作者に、光村図書中学1年に掲載されている『星の花が降るころに』という佳作がある。  クラス替えになり、新しいクラス・友達とどこかなじめないでいる「わたし(谷さん)」が、新しい友達を見つけていく話である。谷さんという女の子(明示はしていないが)の視点から語る一人称の作品である。  本作は、これまでの物語とは少し異なったところがある。以下場面を中心に、私(加藤)の考えを述べる。

    • 『銀色の裏地』(石井睦美)を読む ――高橋さんは理緒の気持ちをわかっていたのか?

       『銀色の裏地』(光村図書・小学5年)は、クラス替えで仲よしと別のクラスになり落ち込んでいた理緒が、新しいクラスの高橋さんに「銀色の裏地」という言葉を教えてもらう話である。語り手が理緒に寄り添って語る三人称限定視点の作品である。それゆえ、他の登場人物の心情は語られていない。それは、人物の言動から伺うしかない。 高橋さんの説明  3場面で高橋さんは理緒をプレーパークに誘い、芝生に横になって題名にもなっている銀色の裏地の話をする。高橋さんは、次のように話す。 「うん。く

      • 国語ってどうやって教えたらいいんだろう?                     ーーーーーーーーーー「国語通信」から 

        自己紹介もかねて、私が以前大学の授業の中で出していた「国語通信」(教科教育法の授業で発行)の第1号から引用します。 国語ってどうやって教えたらいいんだろう?  私が初めて教壇に立ったのは、1980年4月でした。いざ教師としてスタートを切ろうとしたときになって、「国語ってどうやって教えたらいいのか」という基本的なことがわかっていない自分に気がつきました。大学時代には、国語教育について勉強するサークルを友人たちと作っていました。国語教育に関係する本もいろいろと読んでいました。

        • 「続き物語」は有効な指導方法か? ――『春風をたどって』の学習の手引きを検討する

           光村図書小学3年上『春風をたどって』(如月かずさ)の学習の手引きに次のようなものがある。 ○「ルウ」は、つぎの日から、どのようにくらしていくと思いますか。そして、どのようなけしきに出会うでしょうか。物語のつづきをそうぞうして、ノートに書きましょう。  そして、「ノートのれい」として以下の文章を載せている。  きせつは、夏になりました。ルウとノノンは、ほかにもすてきな場所がないかとさがしています。ある日、黄金にかがやくさばくのようなひまわりばたけを見つけて、二人で

        『さなぎたちの教室』(安東みきえ)の場面を読む

        • 『銀色の裏地』(石井睦美)を読む ――高橋さんは理緒の気持ちをわかっていたのか?

        • 国語ってどうやって教えたらいいんだろう?                     ーーーーーーーーーー「国語通信」から 

        • 「続き物語」は有効な指導方法か? ――『春風をたどって』の学習の手引きを検討する

          短歌を読む 2 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)

           『竹乃里歌』の明治33年「庭前即景(四月廿一日作)」10首中の一首である。  三省堂の中学2年の教科書「短歌十首」、東京書籍の中学2年の教科書「短歌五首」に収められている。  子規の歌としては、よく知られたものの一つである。  1 句切れなし ―― 歌の構成を読む  まず、どのようなことをうたっているのか、歌意を考える。  某社の教師用指導書には、次のようにある。(以下、便宜上A~Dとする) A くれないの二尺ほど伸びている薔薇の新芽のまだ柔らかなとげにしっとりと春

          短歌を読む 2 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)

          『春風をたどって』の場面を読む

          『春風をたどって』(如月かずさ)は、光村図書小学3年上の教科書にある、3年生最初の物語である。 1 行空きを意識する!  この作品は、行空きによって4つの場面に分けられている。以下の4場面である。あらすじとともに示す。 1場面 りすのルウは、森の見なれた景色に飽き、旅に出たいと思っている。 2場面 顔見知りのりすのノノンと出会い、ノノンが気づいたにおいの元をたどっていく。 3場面 そして、二人はにおいの元・青い花ばたけを見つける。 4場面 その夜ルウは、明日近くの知ら

          『春風をたどって』の場面を読む

          文学作品と説明的文章との違いを考える   ――その2 場面と段落

           大学の授業で物語教材を扱っているときに、指示したわけではないのに段落番号を打つ学生が何人もいた。彼らが受けてきた文学作品(物語・小説)の授業では、段落番号を打つように指導されてきたのだ。一方、説明的文章に段落番号を打つように指示したにもかかわらず、打つことなく教材を読んでいる学生もいた。  もちろん、物語・小説(以下では「物語」と記すこともあるが、「物語・小説」のと理解いただきたい)で段落番号を打っている学生と説明的文章で何もしない学生とは同じではない。指示の有無にかかわら

          文学作品と説明的文章との違いを考える   ――その2 場面と段落

          短歌を読む 1           列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし (寺山修司)

           寺山修司の初期歌稿『十五才』の小題「燃ゆる頬(森番)」の中の一首である。三省堂の中学2年の教科書「短歌十首」に収められている。   1 句切れはあるのか ―― 歌の構成を読む  一読してスッと分かるような歌であるが、よく考えていくと意外にむつかしい。その理由は、二句「遠く見ている」にある。  「遠く見ている」はその後の「向日葵」に掛かるのだろうか? それとも、列車に乗っている「私」が遠くを見ているのであろうか?  「遠く見ている向日葵」ならば、向日葵が遠くを見ていることにな

          短歌を読む 1           列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし (寺山修司)

          文学作品と説明的文章との違いを考える    ―― その1 作者と筆者 

                                      加藤 郁夫  国語科の教材は大きく説明的文章と文学作品の二つのジャンルに分かれている。この二つは、まったく質が異なっている。にもかかわらず、現場においてその違いにあまり意識的でないといった場面に時々出会う。例えば、説明文の授業であるのに筆者名のあとに「作」と板書されていたりする。「○○〇○作」ということは、それは作られたものということになる。教えていた学生たちに以前に聞いたことがあるが、作者と筆者の違いをはっきりと理解

          文学作品と説明的文章との違いを考える    ―― その1 作者と筆者 

          国語の授業が道徳から抜け出るために

          加藤 郁夫 1 国語科における道徳的傾向  国語の授業はしばしば道徳的な傾向をもつ。物語・小説といった文学作品では特に、その傾向が顕著に見られる。  石原千秋氏は『国語教科書の思想』(ちくま新書2005年)の中で、国語の定番教材には道徳的なメッセージが含まれており、それゆえに定番教材たり得ていると指摘している。しかし、私がここでいう道徳への傾斜は、氏の指摘とはいささか観点が異なっている。氏の指摘は教材そのものが持つ道徳性を問題とするが、私は教材から道徳を読み取らせようとする

          国語の授業が道徳から抜け出るために

          『枕草子-春はあけぼの』はどのように教えられているのか?――中学教科書の検討から見えてくるもの

          1 日本学術会議『高校国語教育の改善に向けて』(言語・文学委員会古典文化と言語分科会)の提言を受けて  2020年6月に日本学術会議(言語・文学委員会古典文化と言語分科会)から『高校国語教育の改善に向けて』という提言(以下、〈提言〉と呼ぶ)が出された。主として、2018年に出された高等学校学習指導要領の科目構成に関わるものであるが、「合わせて不人気科目であることが解消されないことが予想される古典教育の改善」(注1)についても言及している。  「古典に対する学習意欲が低い」(

          『枕草子-春はあけぼの』はどのように教えられているのか?――中学教科書の検討から見えてくるもの