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心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』 番外編を含む注釈一覧

(※1)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p147~p162
 

(※2)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p139
 

(※3)小池壮彦『心霊ドキュメンタリー読本』、洋泉社 2016年 p177。
ただしオウム事件の余波は、なぜか児童向けの映像分野には及んでいない。同年7月8日公開の平山秀幸監督『学校の怪談』(東宝)のヒット、フジテレビ『木曜の怪談』(1995年10月19日~1997年9月11日)の放送が開始されていた。
 

(※4)webマガジン『cowai』誌上での鶴田法男インタビュー記事より。記事の配信日は2020年12月3日。
 

(※5)「Jホラー」というジャンル名がはじめてメディア上で使用されたのは、2004年に開始された「Jホラーシアター」が最初である。宮本法明『黒沢清『叫』とJホラーの歴史』、2019年。およびweb.archive.orgの公式ホームページを参照。
 

(※6)『私たちが震えた 少女ホラー漫画』、辰巳出版 2020年
 

(※7)高橋直子『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』、青弓社 2019年
 

(※8)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p128およびp146
 

(※9)一柳廣孝編著『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』
 2006年 青弓社 p84~p103の谷口基『第4章 エクソシスト・ショック—三十年目の真実』
 

(※10)黒沢清・篠崎誠『恐怖の映画史』Kindle版 株式会社boid 2021年 p177~p180
 

(※11)株式会社ザック・プロモーション公式サイト、過去作品のデータベースを参照。2022年11月11日閲覧。
 

(※12)高橋洋『映画の魔』 青土社 2003年 p14~p38 同書では映画に限らず、テレビとビデオを視聴する際に感じた違和感や恐怖について記述した箇所が散見される。
 

(※13)黒沢清・篠崎誠『恐怖の映画史』Kindle版 株式会社boid 2021年 p11~p15
 

(※14)長谷正人編著『映像文化の社会学』 有斐閣 2016年
p45~p62 加藤裕治『第3章 テレビというテクノロジー』を参照
 

(※15)つのだじろう『うしろの百太郎』が読者に果たした「教育的役割」については、一柳廣孝編著『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』 2006年 青弓社 p207~224 一柳廣孝『第9章 オカルト・エンターテインメントの登場—つのだじろう「恐怖新聞」』参照。つのだじろう『亡霊学級』は、1996年に鶴田法男が監督したオリジナルビデオとして映像化された。
 

(※16)異なるメディアどうしが連動し、オーディエンスとの相互作用によって重層的な物語を生成する仮説については以下の文献に依拠した。大石裕『メディアの中の政治』 2014年 勁草書房
 

(※17)笠原和夫・荒井晴彦・『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』 2002年 太田出版 同書では東映実録路線の開始を決定づけた『仁義なき戦い』と関連作品が、製作が進むほど現実に生じた社会的出来事から内容が遊離していくことと並行して、政府与野党や財界との関係から実録路線が頓挫する顛末が語られる。
 

(※18)朝日新聞クロスサーチ 1992年(平成4年)7月29日 水曜日 関東版夕刊20~21面 
 
 
(※19)1992年6月22日の20:00~20:54分に放送された『ミステリー体験ゾーン 本当にあった怖い話』のうち『幽霊の棲む旅館』が、中田秀夫と高橋洋の最初の共同作業となった。Webサイト『テレビドラマデータベース』および『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年) p32~p35
 

(※20)新倉イワオ『あなたの知らない世界』 日本テレビ放送網『お昼のワイドショー』のコーナーとして『あなたの知らない世界』の放送が開始された日付は1973年だが、筆者の調査不足により、放送開始の正確な日付が現時点では分かっていない。 『タツミムック 日本懐かしテレビ大全』 辰巳出版 2022年 p51
戸部田誠『てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~「新倉イワオ」篇』 webマガジン『Synapse』2021年8月26日配信を参照したところ、やはり1973年とある。
ただし『恐怖!!』については、伊藤慎吾・氷厘亭氷泉編著『列伝体 妖怪学前史』(勉誠出版 2021)所収『中岡俊哉』(幕張本郷猛)および、幕張本郷猛『中岡俊哉『恐怖!!』の世界』(『たまはがね 士』亀山書店 2022年)の調査によって具体的な放送日が判明した。
 

(※21)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年
高橋洋『映画の魔』 青土社 2003年
『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年)
webマガジン『cowai』連載『Jホラーのすべて』
 

(※22)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年
同書ではバンドマンとしての手腕が、制作現場でたびたび応用されていたことが伺えて興味深い。本カテゴリの趣旨から逸脱するが、巻上公一や伊武雅刀が主演した早川光『アギ 鬼神の怒り』(1984年)や手塚眞『星くず兄弟の伝説』(1985年)など、80年代のインディペンデント音楽のシーンと、特殊メイクを駆使したホラー映画は親和性があったことを裏付ける作品は多い。
 

(※23)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年
およびwebサイト『テレビドラマデータベース』参照。今後、事実の誤りが見つかった場合は断りを入れたうえで訂正していく。
 

(※24)『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』および『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』では、ソフト発売は1988年。
 

(※25)

 
(※26)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p62~p63
 

(※27)石井てるよしは岩波映画出身である。小川紳助や土本典昭、田村正毅などを輩出した岩波映画だが、日本映画に与えた最後期の影響が心霊ドキュメンタリーの先駆けであったのは、日本映画およびテレビ業界において、ドキュメンタリーの地位が大きく低下していたことを物語る。
ちなみに、1992年には小川紳助の死去と入れ替わるように、佐藤真『阿賀に生きる』がロードショー公開された年でもあった。また是枝裕和は、1991年から深夜枠でテレビドキュメンタリーを手掛けていた。
 

(※28)金子修介『ガメラ監督日記』 小学館 1998年 p42~p43および、2018年3月17日の小中千昭のTwitterでの発言による。1996年、小中千昭と石井てるよしはTBS『ウルトラマンティガ』を手掛けた。
 
 
(※29)『小中千昭『邪願霊』の衝撃』 高橋洋『映画の魔』 青土社 2003年 p14~p16
ちなみに『小中千昭『邪願霊』の衝撃』では、山岸涼子『汐の声』(1983年)に言及しているが、『汐の声』は霊能者の少女、芸能界の裏話である怪談、封印された心霊番組の制作過程など、多くの要素が『邪願霊』と重なっている。
 
(※30)長谷正人/太田省一編著『テレビだョ!全員集合 自作自演の1970年代』 青弓社 2007年 p211~p232 田所承己『第8章 テレビにとって‟やらせバッシング“とは何か—「やらせ問題」のテレビ史的意義』
 

(※31)高橋直子『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』、青弓社 2019年
 

(※32)(※33)高鳥都が2019年8月2日に、Twitterで発言した内容および、『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年) p30~p31に掲載された、ジャパンホームビデオ瀬谷愼社長(当時)のインタビュー記事に拠る。ジャパンホームビデオは三池崇史や室賀厚を商業デビューさせており、同社が90年代の日本映画業界で果たした役割は大きい。

 
(※34)(※35)(※36)webマガジン『cowai』連載記事『Jホラーのすべて』での、一連の鶴田法男へのインタビュー記事による。2020年11月17日配信分。
2020年12月2日配信分。
2021年7月5日配信分。
2021年9月15日配信分。
2021年9月17日配信分。
2021年9月18日配信分。
2021年10月3日配信分。
 

(※37)webマガジン『cowai』連載記事『Jホラーのすべて』での、鶴田法男へのインタビュー記事での発言。2021年10月3日配信分。
 

(※38)『黒沢清、21世紀の映画を語る』kindle版 2020年 boid p37~p38
 

(※39)中村秀之『「紀子」の首—『晩春』の無気味さについて』
 一柳廣孝/吉田司雄 編著『ナイトメア叢書4 映画の恐怖』 2007年 青土社 ここでも、やはりテレビ視聴が顔を出す。
 

(※40)葛生 賢『ジャック・ターナーと私たち—Lost&Found Ⅰ』 webマガジンFLOWER WILD 2006年
 
 
(※41)『黒沢清、21世紀の映画を語る』kindle版 2020年 boid p53での、黒沢清の発言。発言そのものは2007年だが、予算など技術面に限らず、一部をのぞいてナラティヴや演出など全てが激安化したのが、2022年現在の日本の実写映画である。
 

(※43)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p101
 
(※44)中村秀之『「紀子」の首—『晩春』の無気味さについて』
 一柳廣孝/吉田司雄 編著『ナイトメア叢書4 映画の恐怖』 2007年 青土社
 

(※45)『CineLesson2 アート系映画徹底攻略』 フィルムアート社 1998年 p126~p131
 

(※46)このような演出手法は、『リング』シリーズと『呪怨』シリーズのヒットを受けて安易な模倣が繰り返された末、ルーティン化して効果は失われた。『エクソシスト』『悪魔のいけにえ』『ゾンビ』、それに東映実録路線がそうであったように。
 

(※47)現代音楽のスタイル。ホラー映画への応用は当然ながら考慮されていなかったが、スタンリー・キューブリックが『シャイニング』(1980)のサウンドトラックとして使用して以降、すっかりホラー演出のルーティンとなった。カテゴリの趣旨から逸脱するが、『ヘルハウス』のサウンドトラックもまた、BBCで活躍したデリア・ダービーシャーの手によるミュージック・コンクレートである。
 

(※48)webサイト『テレビドラマデータベース』より

 
(※49)webサイト『テレビドラマデータベース』および小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年
小中千昭と石井てるよしはTBSで多くのテレビドラマを手掛けており、1996年には『ウルトラマンティガ』に参加。
 

(※50)オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』三作は、最初からレンタルビデオ店での売り上げを前提としていた。したがって劇場ではなく、VHSデッキが接続されたテレビ画面を通じて視聴することになる。オリジナルビデオ版のリメイクであるフジテレビ版『ほんとにあった怖い話』はやはりテレビドラマであり、プライベートな空間での個人視聴となり、厳密には「観客」とはいえない。
 

(※51)撮影の守屋保久は『ほんとにあった怖い話 第二夜』製作と同じ1991年に発売された、ケイエスエスと角川書店が製作したオリジナルビデオ『ザ・ヒールストリート』(『ビーバップハイスクール』シリーズのレディース版といったストーリー)の撮影を担当している。
 

(※52)実写映画に限っては、日本映画がヒットする反面で質が低下したと嘆かれるようになったのは、もっぱら2000年代以降と思われがちだ。だが東映Vシネマが始動した1989年、すでに日本映画では製作と配給を兼ねた一社だけでは製作が困難となり、複数のプロデューサーや出資元から受ける様々な注文が一因となって現場に支障が出ていた。
笠原和夫・荒井晴彦・『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』 2002年 太田出版
稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ—コンテンツ消費の現在』 光文社新書
 

(※53)ジャック・クレイトン『回転』では、双子の兄妹がわざとペンで不快な音を出すシーンがある。小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、高橋洋『映画の魔』、『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』、webマガジン『cowai』連載記事『Jホラーのすべて』など複数の媒体で、小中、高橋、鶴田は繰り返し『回転』はロバート・ワイズ『たたり』(1963)と合わせて参照したと明言している。『回転』はまた、安易な模倣が不可能なほどに、脚本と演出が精密きわまりなく、同時代のハマー・ホラーのようにフォロワーが生じる余地がなかった。
 

(※54)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p101
ジャン=リュク・ゴダールがビデオ撮影と編集機能を駆使するようになったのは、1975年の『パート2』から。以降、ゴダールは2022年に死去するまで、一貫してビデオ撮影と編集機能を自作に取り込み、テレビ番組も積極的に制作していく。そこには1972年以降の大島渚や全共闘世代とは異なるかたちで、ゴダールの政治的な挫折が影を落としている。
ゴダールのビデオ作品とテレビ放映作品については以下の文献を参照した。
『E/M BOOKS Vol.2 Jean-Luc Godaed』 エスクァイア マガジン ジャパン 2001年増強改訂版
 

(※55)YouTubeにビデオをアップロードされたものがあり、小中自身も小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p79~p80で言及している。
 

(※56)大手映画会社がテレビ業界に参入、2時間ドラマや刑事ドラマが生成されていく経緯については以下の書籍を参照した。
大野茂『2時間ドラマの奇跡』 東京ニュース通信社 2018年
岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説—「俺たちのシリーズ」などとTVドラマ黄金時代』 筑摩書房 2021年

また、大野茂『2時間ドラマの奇跡』と岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説—「俺たちのシリーズ」などとTVドラマ黄金時代』で言及されている民放各局が外部に発注したテレビドラマの制作には、ロマンポルノ路線へと経営方針を転換させた日活と東映との橋渡し役を担った黒澤満の存在は大きい。そのうちの一作が『探偵物語』(197年~1980年)であった。神代辰巳や崔洋一など、日活や東映撮影所の演出家が参加した2時間ドラマは多数あるものの、一部しか再試聴できない現状がある。

『洋泉社MOOK 別冊映画秘宝 90年代狂い咲きVシネマ地獄』 2014 p48~p51 黒沢満・加藤和也の両氏へのインタビューを参照。
 

(※57)黒沢清『黒沢清の映画術』 新潮社 2006年
 

『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年)
一柳廣孝/吉田司雄 編著『ナイトメア叢書4 映画の恐怖』 2007年 青土社
大久保智康は、黒沢清によるVシネマ『勝手にしやがれ!!』シリーズの最終巻にして傑作『勝手にしやがれ!!英雄計画』の脚本を務めた。篠崎誠や塩田明彦らの劇場映画に参加したのち、アニメに軸足を移した。
 
 
(※58)『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年)
『日本特撮・幻想映画全集』 勁文社 1997年
 

(※59)鶴田法男 公式ウェブサイトのフィルモグラフィーを参照。
 

(※60)『学校の怪談』『降霊』を製作した関西テレビの田中猛彦は『SMAP×SMAP』(1996年~2016年)のプロデューサーであったが、『降霊』には草彅剛が出演。テレビにとって主な視聴者層は女性であったのだから、レギュラー化したフジテレビ版『ほんとにあった怖い話』をふくめて、ジャニーズ事務所の存在は番組が製作される際の重要なセールスポイントであった。

 
(※61)『TOKYO NEWS MOOK テレビ60年』 2018年 東京ニュース通信社
 

(※62)『メディアックスMOOK439 別冊カルトムービー Jホラー、怖さの秘密』 平成26年(2014年)
 

(※63)webサイト『テレビドラマデータベース』参照
 

(※64)webサイト 日本映画製作者連盟を参照。1997年の『もののけ姫』の興行収入が約201億円、1998年の『踊る大捜査線 THE MOVIE』の興行収入は約101億円。この頃から大手映画会社の撮影所スタッフと、テレビ局主体のスタッフのあいだで、映画製作のヒエラルキーが決定的に逆転。同時に、アニメ産業は『新世紀エヴァンゲリオン』の社会現象化と合わせて、一気にポピュラリティーを獲得する。

 
(※65)朝日新聞クロスサーチ・フォーライブラリー 1991年3月28日 東京 朝刊
およびYouTubeにアップロードされた動画とコメント欄から、具体的な番組名にたどり着くことが出来た。アカウント名は著作権上の問題のため明かせないが、ここで感謝を申し上げたい。

 
(※66)朝日新聞クロスサーチ・フォーライブラリー 1996年5月14日 東京 朝刊
『怪奇!恐怖体験・学園のミステリー』は断片的であるが、やはりYouTubeにアップロードされた動画とコメント欄から、具体的な番組名にたどり着くことが出来た。アカウント名は著作権上の問題のため明かせないが、ここでも感謝を申し上げたい。
 
 
 
心霊動画に関しては、以下の文献を参照した。
小池壮彦『心霊ドキュメンタリー読本』 洋泉社 2016年
『霊障』電子版 心霊ビデオ研究会 2021年
『ユリイカ 詩と批評』 2022年9月号 特集 Jホラーの現在—伝播する恐怖
 
 
 
 

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