伊藤雅彦

元映画ファン・元音楽ファンであった地方在住者が「映像産業の歴史学」を目指して勝手な検証…

伊藤雅彦

元映画ファン・元音楽ファンであった地方在住者が「映像産業の歴史学」を目指して勝手な検証することを再開。

マガジン

  • 地方自治体の福祉制度事情

    福祉制度と医療機関を利用する知人を「支援」していく過程で体験した、地方自治体と医療機関の体験談など。 この記事の最大の課題は、果たして一連の体験談は公益となるのか、である。

  • オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』

    オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』とジャパニーズホラーの90年代について分析した、最初期の記事。 大急ぎで書き上げた完成度の低いもの。自分で読み返して「面白くない」と感じた。

最近の記事

市役所福祉課と医療機関を利用する際、利用者が用意しておくべきアレコレ➀

まえがき  前回の記事である「地方自治体の福祉制度事情➀」では、私と知人の手によって私立病院から大学病院へと転院するにあたり、市役所・私立病院・大学病院のあいだで法的な取引・交渉らしき行動を取った時の体験談について、大雑把に書いた。  今回の記事では前回のケースを例として、あらかじめ利用者の側が用意しておく必要のある法制度にかんする情報、それに交渉にあたって必要な方法について書いていきたい。  前もって断っておくが、以下の方法はあくまでも私と知人が、市役所や医療機関との

    • 地方自治体の福祉制度事情➀

        まえがき 突然の方針転換について  突然であるが、「心霊ドキュメンタリー」の実証研究と印象批評からの営業方針を転換することに決めた。  「心霊ドキュメンタリー」のアレコレについては今後も進めていく予定だが、身近な現実に思うところが、もう一人の執筆者である知人と共に色々とある。フォロワーである数名の方々には堪忍していただきたい。  私は地方に在住しているが、当地の福祉制度の利用について、アレコレと関わっている。いわば「身バレする」事態となれば様々なリスクが考えられる

      • 90年代の映像産業。その体験を回顧する②

         ときは2003年から2007年ごろ。福岡県のとある地方の記憶。    とある晴れた週末の午後。田畑。水田。雑草が繁茂し、足を踏み入れる余地のないほど荒廃した耕作放棄地。その隣には、水田や田畑であった土地を分譲した住宅地の、真新しい戸建住宅やアパート、マンションが点在していた。分譲地を抜けると、ふたたび水田や耕作放棄地、それに建設機械や産業廃棄物の集積所が点在する空間に戻る。  道路はアスファルトで舗装されているが、それは徒歩移動ではなく自動車を利用した移動を前提として整備

        • 90年代の映像産業。その体験を回顧する①

           時間を遡ること、1990年代初頭から末期。  わたしは1980年代末期に生まれ、九州のとある地域で育った。実証研究に取り組むうえで、主観を相対化する必要性があるのは承知のうえだ。では、わたしの主観が記憶している地方のサブカルチャー、特に映像産業と音楽産業のそれは、現在の時点で記憶する限り、どのようなものであったのか。事実関係の確認や検証に入るまえに、その点を整理しておきたい。  要するに、ただの思い出話に過ぎない。したがって、注釈はない。投げっぱなしで無責任である。  

        市役所福祉課と医療機関を利用する際、利用者が用意しておくべきアレコレ➀

        マガジン

        • 地方自治体の福祉制度事情
          2本
        • オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』
          17本

        記事

          参考文献一覧

          『毎日ムック 戦後50年』 毎日新聞社 1995年 小熊英二編著『平成史 完全版』 河出書房新社 2019年 大島渚『戦後50年 映画100年』 風媒社 1995年 大島渚『大島渚1960』 青土社 1993年 大島渚『わが日本精神改造計画—異郷からの発作的レポート』 産報 1972年 小川紳助/蓮實重彦『名古屋シネマテーク叢書 小川紳助』 風琳堂 1993年 『TOKYO NEWS MOOK テレビ60年』 2018年 東京ニュース通信社 長

          参考文献一覧

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』 番外編を含む注釈一覧

          (※1)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p147~p162 (※2)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p139 (※3)小池壮彦『心霊ドキュメンタリー読本』、洋泉社 2016年 p177。 ただしオウム事件の余波は、なぜか児童向けの映像分野には及んでいない。同年7月8日公開の平山秀幸監督『学校の怪談』(東宝)のヒット、フジテレビ『木曜の怪談』(19

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』 番外編を含む注釈一覧

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』番外編 『ほんとにあった!呪いのビデオ』と心霊番組~個人的な印象論を交えつつ

           『ほんとにあった!呪いのビデオ』の成立と心霊番組  あからさまに『リング』のヒットにあやかったタイトルの『ほんとにあった!呪いのビデオ』(演出:構成 中村義洋)第一作だが、本作の演出スタイルはまた、テレビの心霊番組の構成を引き継いだものであった。  遡ること1991年3月28日、日本テレビは夜7時から8時54分の「木曜スペシャル」枠にて、単発バラエティ番組『緊急リポート!!これが世界の怪奇現象だ』を放送した。出演者はみのもんた、日本テレビのアナウンサー(当時)永井美奈

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』番外編 『ほんとにあった!呪いのビデオ』と心霊番組~個人的な印象論を交えつつ

          『霊のうごめく家』その後の展開

           『霊のうごめく家』とその後のJホラー  オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』以降のJホラーの動きを、筆者個人の視点から大まかに振り返っていきたい。  オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』がレンタルビデオ店に並び、黒沢清は『地獄の警備員』を公開した1992年。それに『地獄の警備員』にスタッフとして参加した篠崎誠や青山真治たち『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の人脈は、ホラー映画を含めて、そう簡単に劇場映画を制作できる余地は存在しなかった。  所属先であっ

          『霊のうごめく家』その後の展開

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』11

           オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話 第二夜』の他のエピソードと『霊のうごめく家』  後半になるにつれ、本稿は思考が混乱しだす。忌憚のない批判を期待したい。  オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話 第二夜』のなかにあって、『霊のうごめく家』は「実話性」「実話怪談」といった言葉に象徴される、ある種のリアリズムから逸脱する演出が顔を出す。  小津安二郎を参照した日本家屋の間取りを活用した画面設計だけではない。ドッペルゲンガーの出現や男の幽霊は、特にそうだ。個人

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』11

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』10

           エピローグ・転居  ショット84~ショット88  霊能者の語るところでは、自身の手に余るほど、この家には大量の霊が住み着いている。しかも地下には大量の人骨が埋まっているという。    一刻もはやく別の家へ引っ越さなければ、家族は年齢の若い順に亡くなる(つまり陽子が真っ先に亡くなる)と告げる。慌てた両親は、次のショットでは既に引っ越し先に向かおうとしている。  ショット89~ショット94  ここからの一連のショットでは、借家を去ろうとする陽子の行動を描くが、またし

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』10

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』9

           除霊  ショット61  約14秒のショット。オレンジ色のフィルターが掛けられた望遠レンズとその圧縮効果によって、住宅地を並んで歩く父親と霊能者の女性を撮影したショットである。  ショット62  約6秒のショット。黒バックに字幕が表示される。 「父は親戚の紹介で、萩市に 居る霊能者を家に連れてきた」  ショット63  約33秒のショット。玄関に並んで立つ父親と霊能者の女性を捉えたカメラは徐々に引いていき、迎え入れる母親をフレームに収めたあと、両親と霊能者が室内

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』9

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』8

           居住と心霊現象  ショット17  約20秒のショット。はじめに児童向けの書籍が並んだ本棚と、その上にぬいぐるみが置かれているショットだけで、陽子の部屋であると理解できる。 やがてカメラは左にパン、机にむかって何かを書いている陽子の後ろ姿へ。サウンドトラックはペンを動かす効果音を微妙に強調しているが、小中千昭と鶴田法男がともに意識したジャック・クレイトンの『回転』(1960)のシーンを、巧みに参照したのかもしれない(※53)。  このショットでは部屋全体を照らす照明は

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』8

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』7

           『霊のうごめく家』の演出  プロローグ・入居  『霊のうごめく家』はビデオで撮影された約17分の短編である。鶴田法男によって書かれた初稿では8人であった登場人物は、幽霊を除けば親子3人と霊能者の4人にまで削られた。舞台はほぼ平屋建ての日本家屋のロケ撮影に限定されている。  反面、演出面ではハリウッド大作のアクションシーンのような、数秒ほどのショットと編集など精密な作業が、重要な効果を上げているシーンも少なくない。むしろ画面設計から音響効果まで徹底して作り込んであり

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』7

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』6

           『霊のうごめく家』と小津安二郎  「小津安二郎がホラー映画を撮るならば、どんな作品となるか」。これが鶴田法男にとって『霊のうごめく家』の演出方針であった(※37)。  小津安二郎はホラーを撮っていないが、視聴していると恐怖を感じるという証言は少なくない。なにかとホラー映画の要素を見いだしてしまう黒沢清だけではない(※38)。中村秀之の論考『「紀子」の首—『晩春』の無気味さについて』では、ある日の深夜、テレビ放映されていた『晩春』(1949年)を視聴しているとき、いわ

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』6

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』5

           「小中理論」の共作者・鶴田法男  オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』シリーズの製作と販売元であるジャパンホームビデオは、日活撮影所のスタッフであった升水惟雄が1984年に設立(※32)、黒沢清が所属していたディレクターズ・カンパニーとの縁もあった(※33)。GAGAの社員としてビデオセールスを担当していた鶴田法男が、取引先であったジャパンホームビデオに映像化の企画書を売り込んだのが、オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』が製作される、そもそもの切掛けである。

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』5

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』4

           『霊のうごめく家』の作劇と演出~「小中理論」の生成とビデオ撮影  『ホラー映画の魅力』や複数のインタビュー(※21)を読むと、『邪願霊』から始まる「小中理論」の成立が、あまり小中自身の意にそぐわない苦肉の策の結果であったことが伺える。  バンドマンでありつつ特殊メイクの実作を試行錯誤していた小中千昭(※22)が大学卒業後に仕事としたのは、映画業界ではなくテレビ業界であった。1986年にテレビ局の下請けであった制作会社に入社後、ディレクターとしてプロモーションビデオや企

          心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』4