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震災。津波。

僕達夫婦は2011年、東日本大震災の起きた東北の地を訪れた。

気仙沼から南三陸町にて三年間、復興のお手伝いをさせて頂いた。

福島県にも向かったが原発の影響により、当時は入ることができなかった。

何よりも、津波で流され、亡くなられた方々とたくさんお話した。


やはり、津波という突然の出来事に、自分が亡くなったことに納得できずにいる方ばかりだった。


南三陸町の防災庁舎で、逃げずに最後まで防災無線で住民の避難を呼びかけて、津波で流され亡くなった女性が、真実を教えてくれた。


庁舎の屋上まで津波が到達し、アンテナのみとなった。


最後は、我先にアンテナにしがみついた町長と数名のみが生き延びた。


あとの職員は全員流され亡くなった。


町長は一体、どんな気持ちだったのか。


でも、最後まで住民に避難を呼びかけていた女性は、もう悔いは残っていなかった。


「私は、皆さんが一人でも助かるために最善を尽くしたと思う。だから悔いはない。もう逃げられなかったから覚悟したの。最後に、あなたと話せてよかった」


壮絶な決意が感じられた。


僕は南三陸の復興のお手伝いさせて頂いた際に、南三陸町長と何度も顔を合わせたので、とても複雑な思いが込み上げた。


いつ事故や災害などに見舞われるかなんてわからない。


悔いの残らないよう、一日一日を大切に、精一杯生きていきたいですね。


今日もありがとうございます。


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