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パリ二月革命 Ⅰ

【東京の夜 〜第十一の散歩〜】

 立場を表明しないという生き方は不可能だ。
車を運転してる人は皆、渋滞には”ハマる”ものだと思ってる。流行り物が好きな人は皆、流行には”乗る”ものだと思っている。美味いのかどうかよく分からないラーメン屋の行列に並んだ時、その人はその行列を人間一人分だけ伸ばしている。この会社、変だよ。金曜の居酒屋ではそんな風に言いながらも平日の白昼は文句も垂れずに真面目に働く。自由の時代だよ、多様性の時代だよ。そう言いながら、自分はできるだけ目立たないように、面倒ごとに絡まれないように周囲に足並みを完全に合わせて真面目にやってる。それじゃあ結局、意志に反してアンシャンレジームに加担してしまう羽目になる。

 それはもう、やむを得ないことにも思われる。旧来の制度を全て批判して、何に寄りかかることもなく生きていくことはほとんど不可能だ。大きな変化、革命を夢見ながら、その実自分が世界を転覆する側なのか、滅ぼされ朽ちゆく側なのか、よく分からない。それはちょうど、知識階級のブルジョワと共産主義との歯痒い関係みたいなものだ。カミュとサルトル、私の大好きな作家(というべきか哲学者と呼ぶべきか)はこの問題を契機についに長年の友好関係を絶交してしまったほどだ。

 そんな曖昧な反抗心の結果、可能なことといえば少し髪を伸ばすこと、それから煽情的な言葉を頻繁に連ねることくらいしかなかった。確かに僕はここにこうして存在しているが、決してこれは賛同しているわけではない、ただここに在ってしまっているだけ、ここに存在せざるを得ないだけなのだと。行列に並びながらも、半身だけ列から外れてみて、並んでいるのかいないんだか分からないような場所に立って、行列の先に興味などないような顔をして、宇宙の方を見ている。

「その素晴らしすぎるレールから、脱線してみるかい?」

 響く怪しい声。敷かれたレールを歩く人生は、しばしば揶揄される。しかし、誰かに羨まれながら生きる人たちにも秘密の苦労がある。僕に言わせれば、敷かれたレールを足並み乱さず歩くことの苦悩はその重みで宇宙をも凹ませるほど。それに耐え先人の道を我も行かんとする者たちの気概、これにただ圧倒され続けてきた三年と少し。歩兵に自由意志あり。僕らがほんの木製の手駒なら、列を成して歩く難しさなどあろうはずもなく。しかし精神ある我々が、列を成して歩くのはほとんど奇跡だ。それは、こうして文筆を連ねたり、絵を描いたり、映画を撮ったり、作曲したり、そういう感覚的な作業の数億倍の苦痛を伴う。旅客機が当たり前に飛んでいる裏で働いている人たち、オペレーションという仕事に携わる者たちは、我知らない奇跡に加担してる。

 なぜそういうことが可能なのか?齢三十を手前にした血気盛んな男女が、この煌めく東京の夜を天空橋の向こうに眺めながら、毎夜薄汚い自習室で勉強できるのはなぜなのか。解せぬ。解せぬ、と言っていると気づいた時にはその奇跡の行列を逸脱しているのである。

 ほら、また気づけば傍観者だ。行列を眺め、己を眺め、我が身は一体どこにあるのか。零時過ぎの東京タワーがその象徴性を失ってただの電波塔と化すみたいに、夜の漆黒に行方をくらませた。航空障害灯とやらが、虫の数ほど光ってる。赤の群れはどうも人工的すぎる。水流の如く流るる橙色のヘッドライトはそれに比べていかに優雅か。定めが決められたもの、無い役割を生きるもの。全部あって、この夜空の下の夜景。人々の生活の灯りを忘れてはいけない。慎ましく、ただ生きることの素晴らしさと険しさ。凡庸に生きるのが一番すごい。一番難しい。弱い者は普通を見限る。

凡庸であるに耐える精神こそ、最強である。

どうやったらそんなものが醸成されるのだろう。
不必要に自分を制することを知らない者が世を生きることは、容易でない。ニヒリズムが体に巣食って、何かに執着することが不可能になってしまった。忍耐の経験があまりに欠如しており、この奇跡の行進をこれ以上続けることは全く不可能に思われた。儀式めいた不自然なものに、嘔吐を催すほどの嫌悪感を覚えるようになってしまった。僕は少し、人間らしく生まれすぎた。

だが、それはついに見出した革命の入り口でもあった。僕はその二叉路を前に、立ち竦んでいる。それでは語弊があるか、僕が行動しなければ、僕はそのうちの片方に自ずと吸い込まれていくだろう。それはつまり、行列に再び戻り、整然と列を成して歩くということである。それはつまり、反抗という名の賛同である。革命か、反抗か。スケールは小さいが私が今突き付けられた問題はまさに、これなのだ。パリに行くのは、そういう因果である。革命を起こすということは、実際どういうことなのか?それは、僕自身が真人間に還るということである。
仮面を捨て、傍観者という歯痒い立場から実際にフィールドに飛び降りること。僕が僕として、全責任を背負って歩くということ。来年も、再来年も、以降の一瞬一瞬に全身全霊を捧げなければならない本当の人生がここに、明けるということ。その難儀な開幕式があり得るとすれば、やはりパリしかない。

人生の虚さを思えばこそ、
動け。

革命の血の気を借りに…
結末は誰も知らない。

(2023年の終わり、都心にて)

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