虚無の独り歩き

三十までに芥川賞を取ります。 そんなことを平気で言える、二十七の滑稽な青年です。 気…

虚無の独り歩き

三十までに芥川賞を取ります。 そんなことを平気で言える、二十七の滑稽な青年です。 気難しい顔をして歩くには難しすぎる世界を、少しだけ広角上げて歩くために書き、誰かの口元にも少しだけ笑みを。いや、こんなヒューマニズムは嘘くさい。僕にはこの世界でただ恋愛だけが真実に思える。

最近の記事

安部公房の描く”疎外”

良き医者は、良き患者である。 安部公房はその野心作『密会』で、病院という舞台に社会の狂気の縮図を閉じ込めてみせた。 この小説のイメージは、ごく分かりやすく言えば千と千尋の神隠しの世界観である。つまり、我々の生きる現実世界を曲解して創り上げられたある一つの世界に、外来者が思わぬ理由で足を踏み入れ翻弄される、という構図である。これは、僕が大好きなカフカの『城』という作品にも通ずるものがあって、世界の何にも紐づけられない人間が秩序ある世界を彷徨う苦悩がここにも克明に描かれた。

    • カミュという作家 〜『幸福な死』を読んで〜

       僕は、またパリに行かなければならない。今度はサルトルではなく、カミュの墓参りをするために。そして、いつも降り注ぐあの容赦ない陽光と青すぎる空、煌めく海と褐色の美しい女性たちという得意にして甘美な舞台設定を可能にした彼の故郷であるアルジェ、この街を訪れるために僕は近いうちアフリカの土を踏むことになるだろう。  サルトルの墓については散々僕が騒いでいるように、今日もひっきりなしにファンが足を運んでは落書きしたりメトロのチケットを置いたりしているものである。ところが、この悲しい

      • パリ二月革命 Ⅰ

        【東京の夜 〜第十一の散歩〜】  立場を表明しないという生き方は不可能だ。 車を運転してる人は皆、渋滞には”ハマる”ものだと思ってる。流行り物が好きな人は皆、流行には”乗る”ものだと思っている。美味いのかどうかよく分からないラーメン屋の行列に並んだ時、その人はその行列を人間一人分だけ伸ばしている。この会社、変だよ。金曜の居酒屋ではそんな風に言いながらも平日の白昼は文句も垂れずに真面目に働く。自由の時代だよ、多様性の時代だよ。そう言いながら、自分はできるだけ目立たないように、

        • パリ二月革命〜革命前夜〜

            熱い風呂に一時間も入れば、今度は涼みたくなる。かと言って浴槽から出るのも面倒だから湯を抜いていく。水面が少しずつ下がり、次第に自分の質量を意識し始める。“重くなってしまった。立ち上がるのがさらに面倒になったぞ”と思ってそのまま動かずにいて、気づけば湯は消え、浴槽に全裸で座っているだけの滑稽な状態になった。  愛はお金じゃ計れない。そんな耳触りの良い言葉も、真理かと言われれば些か疑わしい。要は、限りある資源をどれだけその人に向けられるか。この点に尽きると思われる。愛がお金で

        安部公房の描く”疎外”

          一般的生活の美しさ

          好んで孤独を選ぶ馬鹿があろうか。そんな屈強にして堅牢な精神があるならば僕は見習いたい。 朝の通勤列車さえ、稀にしか乗らぬ者にとってはちょっとした冒険だ。 夜な夜な飲み歩いてるようじゃだめだ。たまには、早起きしないと。そこには、今日を生きている人たちの姿があった。僕は爆撃に打たれたみたいに、目が覚めた。こんな時間、いつもは狭い寝床で馬鹿みたいに眠っているのに。くよくよと眠ってる、実に馬鹿らしい。普通の生活を見下していた時期があったことは紛れもなく事実で、それは本気の侮蔑であ

          一般的生活の美しさ

          消えゆく僕 

           福音を授かるようにして、出口が不意に照らされた。いつかは降車しなければならないこの電車から、一体僕はいつ、どのようにして降車するのか。もうだいぶ加速してしまって、無防備に飛び降りれば重傷を負いかねない、しかし停車の気配もないから僕をどこまでも運んできてしまったこの暴走列車、もうどこを走っているのかも分からない、僕の不安を煙に変えて駆け抜けた暴走機関車、その名を青年号。どうもその走りに陰りがあった今日この頃は、タイヤの異音、煙の異臭、他の乗客と僕の表情の間に認められた異和、き

          コロナ禍での狂人日記、見つかる。またの名を、小人搭乗法Ⅱ

          2021年xx 月xx日 何処にも飛べないこんな時だからこそ、人生という長いフライトのシュミレーションでもして遊んでみるのはいかがだろう。君に問うのは、君はいま何処にいるのか、何処へ向かっているのか、そしてどれだけの小人が搭乗しているかである。 一つ目の質問に対し、多くの人は既に離陸している可能性が高いが、しかしある一定層は残念ながらまだ離陸していない。誘導路を走行中に脱輪してしまった人もいれば、何か非常に悲しい出来事があって精神を揺さぶられ、このままではフライトに

          コロナ禍での狂人日記、見つかる。またの名を、小人搭乗法Ⅱ

          デザイン〜ニコラス・G・ハイエックセンターの衝撃〜

           それはあまりに劇的だったから、言葉によって記録しておく必要がある。僕はその日、群衆の一員である必要があった。銀座の路地を右へ、左へ。目的もなく、ただこれは小さな冒険のようなものだから、誤って同じ路地に入り込むことだけは避けるようにしてもう冬の銀座の夜を少年の夏休みの素材によく使用されるダンゴムシのごとく動き回っていた。群衆といっても銀座の夜の案外静かなことはここに書き留めておく必要があって、つまりこの小冒険は冬の冷たい乾燥もあいまって、少々の孤独が否めないものであった。  

          デザイン〜ニコラス・G・ハイエックセンターの衝撃〜

          危険な快感

           実に、それは嫌な快感であった。快感に嫌も何もあろうか、だって快感だろう?しかし、快感にもTPOがあることを誰もが知っている。だから、不感なんて言葉があるし、仮面の告白なんて小説がある。  この嫌な快感…それは箱男のそれに限りなく近いもの…つまり、覗き覗かれない快感。それは思わぬ真面目な瞬間に訪れた。  それはある種の消火訓練。僕は長い髪が挟まれないように気をつけて、その銀色の被り物に首を通した。僕だけが代表してそれを被ったのがいけなかった。一人だけ、顔の周りに不思議な空

          ルッキズム、万歳!!

           人もまばらな山手線車内。 そうだ、まずはこの車両…何年か前に新しくなったこの電子レンジみたいな見た目。デザインに関係する全ての人たちは、一旦このことをよく考えて欲しい。 「あなたの手がけたものは電車ではなく、街なのだ」 実際、山手線を一車両だけ製造して暗い車庫で眠らせておくだけならそれはあくまで電車のデザインであるが、それが何百車両と東京の街を走り回る時点でもう、それは電車のデザインという枠を超えている。 あの車両接合部の優先席前、ピンク色の空間。あれほど気味悪いスペ

          ルッキズム、万歳!!

          なぜ書くか。何を書くか。

          こんにちは、世界。 instagramの2200文字が手狭に感じるようになってしまって、ここに着弾した。僕は、物書きだ。 書かずには生きていられないから書く。 そう、僕の人生は綱渡りみたいな絶妙なバランスの上にあるから、もう二十七にもなってまだその表情は強ばり、硝子の少年みたいな顔をしている。緊張感漂う、不穏な人生。そういうのは、真面目に取り合うには少々真面目すぎると思って、少しユーモアのスパイスを加えて、時には(いや、頻繁に?)香港の煌びやかなルーフトップで酒でも飲んで

          なぜ書くか。何を書くか。