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なぜ書くか。何を書くか。

こんにちは、世界。
instagramの2200文字が手狭に感じるようになってしまって、ここに着弾した。僕は、物書きだ。
書かずには生きていられないから書く。

そう、僕の人生は綱渡りみたいな絶妙なバランスの上にあるから、もう二十七にもなってまだその表情は強ばり、硝子の少年みたいな顔をしている。緊張感漂う、不穏な人生。そういうのは、真面目に取り合うには少々真面目すぎると思って、少しユーモアのスパイスを加えて、時には(いや、頻繁に?)香港の煌びやかなルーフトップで酒でも飲んで見せなければ、折り合いがつかない。

 そんな僕だから、自分のために書いている。だが、太宰のファンなら、私小説がときに他人を救うことを知っているだろう?多様な人間、とはいえ似たような心持ちで生きている人が少なくとも何人かはいるものだ。そこに流れる静穏な共感が、冷え切った心を少し温め、口角をわずかに上向けたりする。

 僕がここに書くものは、僕のessay以上の何物でもないだろう。だが、そんなものでも楽しんで読んでくれる可能性があることを、僕の友人らは教えてくれた

 さあ、有象無象の記事が溢れるこの世界で、僕の記事を読んだことを後悔させることのないよう。僕は僕の私小説をここに昇華させなければならない。

 僕が見たもの。そこから宇宙までも飛んでいく、壮大な観察の旅を共に。

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