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あしか祭り - 短編集カンガルー日和を読んで(2)

本シリーズの目的

本シリーズでは、村上春樹氏の1986年に発売した短編小説集である「カンガルー日和」を読み、各短編の要約と感想を述べていく。
第2回は、書籍中のpp.59-67、「あしか祭り」について扱う。


要約

物語は以下の文章ではじまる。

僕はちょうど簡単な昼食を終えて煙草を一服しているところだった。
玄関のベルがカンコンと鳴り、僕がドアを開けると、そこにはあしかが立っていた。

あしか祭り - カンガルー日和より

新宿のバーで隣に座っていたあしかに、酔った勢いで名刺を渡してしまった主人公。後日、主人公の家に「あしか祭り実行委員長」の肩書きをもつあしかが「精神的御援助」を求めて押しかけてきた。

「あしかは世界を構成する精神性のある種のファクターを担っている、あしか祭りはあしかのみならず世界にとっても重要だ。あしかルネサンスを目指すため精神的誤援助をいただきたい!」と主張するあしか。意味のわからないことを熱弁されて困惑する主人公。この小説は、あしかと主人公の不思議なやりとりを描いた不思議な作品である。


感想


この話を読んで最初に出てきた感想は

わからん… 


である。

いやまじわからん… (あしかってなにもの!?)


ちなみに、この話に出てくる「あしか」とは何か嫌な人間をあしかに例えているのではなく、普段海に生息しているようなごく普通の「あしか」である。

著者である村上春樹氏にとって、「あしか」はこんなにも宗教じみたコミュニティを形成している印象なのだろうか。

正直、物語の内容については全く理解できなかった。
とりあえず、あしかには関わらない方がよさそう…

もしこの記事を読んでいただいた方で、「あしかルネサンス」「あしか性」「メタファーとしてのあしか」について知見をお持ちの方がいらっしゃればそれぞれの意味についてご教授いただきたい。


(こんな文章を最後まで読んでくださりありがとうございました🦭)

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