自分の選択は、結局自分のためのことが多い

自分ががんばってるのは自分の幸せのため
自分が選択したことは結局自分のため

自分がある選択をしたことで得た結果が、
ぱっと見良くないように思えても
よく考えると
因果応報というか、意外に自分が望んでいたことになっている気がする

相手のために不満を我慢する
みたいことも

不満>不満を言った先喧嘩できない(勝てない、こわい)→言わない方が気持ちが楽!!

↑みたいな構図になってるから
実は我慢してるのは自分のためだったりすることに気づいた。

それを相手のせいにすり替えてしまったりすると、
自分可哀想→悲しみ
相手ひどい→憎悪
みたいな、良くない感情のパフェが完成してしまう(パフェ、、、?)
もちろん一概には言えないし
いろんな要素は詰まってると思うが、、

しかしながら、上記のように考えるとなると、この我慢する気持ちとか、そもそも物事がうまくいかないモヤモヤみたいなのとか、そう言う気持ちをなんとなくうまく処理できるんじゃないか?と思えてきた

行動、気持ちに主体性が入れば、
違った見方もできるし、次なる行動や気持ちに幅やゆとりを持たせられる気がする今日この頃

もしかすると何日ご、何ヶ月後にこの価値観変わってる可能性大ですがひとまず書く!

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