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「奇跡の社会科学」(中野剛志著、PHP新書)デュルケーム①

仕事柄、クリスマスケーキを食べたのに、年末感を全く感じないぽんニャンです🐱🎅

さて、ソーシャルワーカーやケアワーカーはぜひおさえたい、デュルケーム編です😃

それでは、どーじょー🎅🎄

エミール・デュルケームはフランスの社会学者。
ドイツのマックス・ウェーバーと並び、近代社会学の創始者とされる。
今回は1897年に発表した『自殺論』を取り上げる。
中野剛志さんは、デュルケームが個人の心理とは別の角度から、自殺の問題に切り込んだことを称賛している。

ソーシャルワーカーが自殺の原因を個人やその周辺環境に求めたり、個人の相談に乗り出すことで防ごうとする。
しかし、デュルケームは、その原因を社会構造に求めている。

デュルケームは、当時のヨーロッパ主要国における自殺者数の統計を見て、ある傾向に気づく。
社会環境の変化と、自殺者数の増減との間に、何らかの関係が見て取れるのではないかと、デュルケームは仮説を立てた。
もしそうならば、自殺は、心理学ではなく、社会学のテーマということになる。

まず彼は、宗教の違いと自殺者数との関係を見出す。
カトリックの国々では自殺者数が極めて少なく、プロテスタントの国々では非常に多いことに気づいた。
ユダヤ教徒の間では、プロテスタントの国々を下回っていた。
これら宗派は自殺を禁じていたが、なぜ違いが出たのか?
デュルケームは宗教体系の違いに着目した。
プロテスタントは聖書解釈の自由を広めていた。
カトリックは権威主義的であり、プロテスタントは個人主義的であった。
デュルケーム曰く「プロテスタンティズムのほうに自殺が多い理由は、プロテスタントの教会がカトリック教会ほど強力に統合されていないためである」
ユダヤ教も同様で、キリスト教から排斥されてきたユダヤ教徒には、異常に強力な連帯感が生まれていたからである。
人間が自殺に向かわないよう引き留めているのは、宗教という「社会」だった。
人は「社会」との絆が結ばれることで、自ら破滅に向かうことがないということ。
これは、家族でも同様である。

逆にデュルケームは「個人主義」は危険だと説き、個人主義的になって自殺する類型を、「自己本位的自殺」と呼んだ。

人間は社会と結びつき、宗教、道徳、政治などの活動に参加し、自らの存在理由を確認することができる。
しかし、それらが失われたら「何のために生きているのか」となる。
社会から切り離された個人は、自殺に走ることになる。

中野剛志さんは「西洋人は個人主義で、日本人は集団主義で個が確立していない」と言われ続けて、多くの日本人はそう考えていると言う。
しかし、デュルケームは「人間は、個人主義的になると自殺に走りやすくなる」「人間には、共同体との絆が必要だ」と結論付けた。

しかし、日本では新自由主義やグローバリズムが席巻し、120年前にデュルケームが提唱したことと真逆なことをやり続けている。
結果、日本の自殺率は1998年以降、G7中トップを独走。
デュルケームの説が正しいならば、日本は欧米先進諸国より「個人主義化」したことになる。

グローバル化により、多様性や多文化共生が推進されてきている。
しかし、デュルケームも、先に挙げたポランニーも何と言っていたか?
ポランニーはグローバル化、新自由主義化により、共同体が破壊されると説く。
そしてデュルケームは、人間は、共同体に属さないと自殺に走りやすくなると説いている。
つまり、行きすぎたグローバリズムに走らず、共同体を意識せよと説いている。
そしてその共同体を「中間団体」と呼んだトクヴィルは、それらが中央権力と対抗することで、民主主義が正しく機能すると説いている。

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