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運良く入った軽音サークルで青春謳歌し散らかしていたらいつの間にか天職に就いていた浅イイ話

まじで運はいいとは思う。というかそもそも私の人生が、“偶然の産物”で出来ている。



何かを見た後に自分も何か創造したくなったら、それは“良いものを見た”と言える。Twitterでそうバズっているのを見た。
多分私はその原理にまんまと当てはまっているから、こんな戯言を書き始めたのだと思う。

というのも、最近、とある友人がインスタのストーリーにnoteで文章を載せているのを見た。
彼女は時折noteをストーリーにあげているのだが、彼女のnoteはいつもすごい。彼女自身の人生もすごいと思うが、それを彼女の言葉で面白く書かれたそのnoteは、いっそうすごかった。

そんな彼女のnoteを見た数日後、「私も何か書きたい書きたい」といても立ってもいられなくなった私は、仕事終わりに0キロカロリーのチョコをお供にスマホのメモを開き、あーでもないこうでもないと頭を捻りながらこうやって文字を打っている。

彼女の真似事かもしれない。でも、元から小説を書くのが趣味だった私にとって、久々にこうやって筆を執る時間が、忙しなく必死に生きている中でもしかしたら必要だったのかもしれなかった。

そんなに長くはかからないと思う。
だから、これが卒論も書かずに卒業した私の卒論だと思って、ぜひともご愛読して頂けたら。私は飛んで喜びます。
(ちなみにnoteの彼女には私も書くねと一言だけ伝えました。)


冒頭で唐突に運やら偶然やらの話で困惑したかもしれないが、述した通り私の人生は運の良さだけが取り柄だし、ほぼ誰かのおかげで成り立っている。

まず、短大を卒業するまでこんなにも音楽漬けの毎日を送れたこと。それは小4の時、とある幼なじみの女の子が「合唱やらない!?」と誘ってくれたことが一番のきっかけだ。
因みにその幼なじみは0歳の絶賛赤ん坊真っ最中の時に偶然公園で出会い、これまた偶然その時お互い同じ服を着ていたことから仲良くなった子だ。この出会いはまさに奇跡である。

小4で幼なじみが合唱に誘ってくれてから毎日。私は合唱部に入部し、放課後や夏休みは音楽室で合唱曲を歌いまくった。元々やっていたピアノで音楽自体は少々齧っていたが、ちゃんと音楽にどっぷりハマったのは初めてだった。

そんな中、ある日のことである。狂ったように合唱漬けの日々を送っていた私は、とある元気少女なクラスメイトのランドセルに、光るものを見た。
ゆるふわ軽音楽部のアニメ、“けいおん!”のキャラのアクリルキーホルダー。元気少女のランドセルの側面で、けいおんの平沢唯ちゃんがキラキラと輝いていた。
「それなに!?」私はすかさず唯ちゃんを指さし、元気少女に尋ねた。元気少女はこれまた元気にけいおんの唯ちゃんだよッ!!と答えてくれた。
元気少女によると、なんと“けいおん!”は深夜放送で今やっているので、録画をすれば早寝早起きの小学生でも見れるらしい。

合唱で音楽に興味を持っていた私は、いいことを聞いた、と飛ぶように帰宅し、お母さんに「けいおんを見たい」と伝え、後日早速深夜放送のけいおんの録画を見始めた。
見始めてみたら、まぁ面白いのなんの。次第にお父さんも見始めてハマり、お母さんもハマり、遂には妹までもがけいおんにハマった(元々バンドをしていたお父さんはけいおんのバンドスコアを買ってくるようになったし、お母さんはブックオフでけいおんの漫画を全巻買い揃えてくれたし、次の年には家族総出でけいおんの劇場版を見に行った)。

そのうち、私はけいおんの主人公でギターボーカルの平沢唯ちゃんに憧れて、「ギターをやりたい」と言い始めた。
そんなにすぐ楽器や機材が揃うわけが……と普通は思うかもしれないが、奇跡的にバンドをしていたお父さんのおかげで、奇跡的にお父さんからギターを借りられることになった。本当に奇跡である。

クラスメイトの元気少女に連れられて、けいおんを見たこと。
結果的にそれが、私の人生の転機になった。

ギターを練習するうち、私は「いつか、私も軽音でバンドをするんだ!!」と固く決意するようになった。……の、だが。

中学には、軽音楽部はなかった。代わりに吹奏楽部に入り、合唱も続けた。
高校に入り、今度こそ軽音楽部に……!と思ったが、なかった。代わりに吹奏楽部を続けた。

悲しいかな、私の青春は全てギターではなくトランペットと己の喉に当てられてしまった。別にトランペットが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。ただ、バンドを組むという夢は叶わなかったのだ。

何度も夢見た文化祭でのバンドライブなどというアオハルを経験することも無く、フツーに楽しく高校を卒業し、短大に入学した私。
短大で出来た友達に「軽音部に入りたいんだ」とこぼすと、なんとそこでまたもや奇跡が起きた。
「友達が軽音部だよ」と、彼女は言うのだ。

人脈しか勝たん。彼女のその友達とコンタクトを取り、私は晴れて軽音サークルに見学に行くことが決定した。
そこからはもう秒である。軽音サークルに入り、ギターをしたいと言う希望が通り、晴れて私はバンドを組むという夢を叶えることが出来た。サークル見学に連れて行ってくれた友人には、本当に頭が上がらない。

しかし。
サークルに入部して、ようやく夢のバンドライフが始まった私だったのだが。

将来の進路が決まらなかった。
なんとなく短大卒業したら就職、と思い就活やらキャリアやらの授業を取っていたが、就きたい職業は依然として決まらなかった。
もうすぐ就活が始まる。軽音サークルの次のライブに向けてちまちまとギターと歌を練習しつつ、心の片隅は就活に対しての焦燥に覆われていた。
来月の今頃は、私もリクルートスーツに身を包み、黒髪に染め、エントリーシートとにらめっこしているのかと、焦り始めていたのである。

そんな中、とある日の事だった。私の進路が秒で決まった。

午後の講義中。恐ろしいほどの眠気に耐えきれなくなり、教壇で延々と教科書を音読する教授には申し訳ねえと思いつつも、私はF大に通う友人と机の下でリアタイLINEをやりとりしていた。
私と似て、邦ロックが好きな友人。当時のLINEで、彼女はバンドが好きなのに中々軽音部に入りに行けないとこぼしていた。
そんな彼女が、ふと言った。

「え、F大来て一緒にバンドやらん?」
「えやる。F大行くわ」

私の進路が決まった。卒業後、私はF大に3年次として編入することにした。
なんと不謹慎で、適当な進学理由だろう。もはや学生でいたいがためにF大に行くようなものである。適当すぎる理由にバチが当たりそうだ。
でも当時は友人の誘いに「またバンドができる」「好きな友人と音楽ができる」と浮かれていたのだ。行きたい学部で学べる科目も今自分が専攻している科目と似ていたこともあり、加えて友人とバンドができることは私の生きるモチベになった。

だが、またもやここで問題が生じる。
進路を決めるのが遅すぎた。

四大編入の準備が間に合わなかった。試験勉強だったり、小論文などの練習が試験日までに到底間に合わないことが分かったのだ。

泣く泣くF大に行くことを諦め、就活にも出遅れ。とりあえずお金だけは貯めようと、新たに掛け持ちでバイトを始めるために面接を受けるも落ちまくり、卒業後は地元でフリーターになるしかないとヤケを決め込み始めた私。

ところが、たまたま入ったイオンド田舎店のとある服屋で、求人募集の張り紙を見つけた。
当時新しいバイトをかけ持ちしたかった私は、藁にもすがる思いでその服屋の店員さんに、「ここで働かせてください」と某ジ○リ映画の主人公のごとく直談判しに行った。とにかくなんでもいいからバイトがしたかった。

結果、バイトに受かった。
今思えば、その服屋は人手が足りなすぎて人を集めているだけだった。だって、私が入ってからのシフトが過酷だったからである。
貯金をしたかったため、バイトができるのは有難かったものの、多い時は週6でシフトを入れられ、シフトがある日は一日の大半をイオンで過ごし、サークルの部室とイオンと自宅を点々とする生活が続いた。
服屋店員自体は、案外楽しかった。ただ、毎日の忙しさに体がついていかず、人生初エナドリデビューまで果たした。
服屋でアドレナリンを大量に産出し、結果寝られず遅くまで起きてギターを弾き、翌朝に寝不足で出勤する。そうやって限界バ畜服屋バンドマンが完成するわけである。

そんな限界バ畜が死んだ目で過ごしていたある日、地元に帰る用事が出来たので一日だけ地元へ舞い戻った。

疲れも溜まっていたため、元気に色んなところを見て回る余裕もなく、用事の時間まで駅ビルの服屋をさまよい歩いて時間を潰していた。
そんな私の死んだ目が、突然カッと生き返ったように光る瞬間があった。

たまたま入った大好きな服屋で、新入社員募集の求人を見つけたのだ。

私の勘が告げていた。ここを逃したら就職の道はないぞ、と。
そこで私のフッ軽行動力が発揮。レジにいた可愛い店員さんに「ここで働かせてください」とまたもや直談判。

するとトントン拍子に面接日程が決まり、面接をし、見事内定をもらった。
人生何があるか分からないものである。


そういえば以前、あの芸能人のマツコがテレビか何かで、「人生で差し出された手に気づけるようになりなさい」と言っていた。

多分こういうことなんだろうなと思う。普段がむしゃらに生きていて、視界が狭まっていたら、道中自分に差し出された手には気づけないかもしれない。
でもいつも生きている土地から少し離れて歩いてみると、差し出された手の存在に気づけることだってあるのかもしれない。

今私は、内定を無事もらった服屋で毎日可愛い服を着て、必死に働いている。
服屋店員は楽しい。好きな服を着られるし、新作が入ってきたらワクワクするし、お客さんに似合う服を考えるのも楽しい。楽しいけれど、必ずしも楽しいことばかりなわけでもない。とある上司は私の仕事を奪って地味な仕事を押し付けてくるし、日本語がお通じにならない日本人のお客様もいる。
けれど、服屋店員の一番のやりがいは、自分が選んだ服をお客さんが笑顔で買っていってくれることだ。
綺麗事に聞こえるかもしれない。でも私は、お客さんや買いに来てくれた知り合いの笑顔が、一番のやりがいに感じられる。

“自分が一番お金をかけたものに関する職が、自分の天職だ”。
そんな言葉をどこかで聞いた。
私は決してお洒落なわけでも、センスがあるわけでもない。けれど、自分の部屋は自分の好きな服で溢れかえっている。

音楽を始め、バンドにハマり、サークル活動の合間を縫って始めたバイトを通じて、職種も決まった。
運の良さだけで長い道のりを辿って就いたこの職は、もしかしたら私にとって天職だったのかもしれない。

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