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体験記 〜摂食障害の果てに〜(22)

 あまりのショックで、頭も心も、ガンガン鳴り響いています。布団の中で、喉と口が荒れた原因を推測しました。
(やっぱり胃液が逆流して、胃酸で口の中が傷ついたからに違いない。ならば、水で、喉と口の中の胃液をすすぎ落とすしかない!)
 それは勇気がいることでした。でも、やらなくては治りません。二~三日躊躇していましたが、実行に移しました。
 看護師さんにベッドを起こしてもらって、水をコップに汲んでもらうと、ストローでほんのわずか、水を吸い込みました。すると、耳まで裂けたかと思うほどの痛みに、絶叫しました。看護師さんが覗きにきました。布団を握りしめ、耐えました。二口目を飲み、また絶叫。三口目で、(あれ?)と気づきました。一口目と比べて、痛みが緩んできているのです。四口目には、麻痺したのか、痛くなくなりました。でも、痛みが酷過ぎて、全神経と体力を使い果たした気がして、飲むのをやめました。
 これを朝と夕方に繰り返し、三~四日目あたりで、看護師さんの一人が、
「そんなにしみるのだったら、飲まなくていいです。」
 と、飲ませてくれなくなりました。私も、痛さが度を越していたので(まさに傷した所を刃物でえぐる感じ)、心が折れて、水飲みを止めてしまいました。ちょっとずつ、スプーンで飲んだらいいや、と考えたら、気が楽になりました。その内、傷も治っていくかなあ、と期待してみました。
 口の中が干からびきってしまったら、看護師さんに、水をスプーン一杯だけ、口に垂らしてもらいました。口に含んで温めてから飲み越すと、喉に滲みない事を発見し、嬉しくなりました。普通に水を飲めていた頃は、夢のようです。夏の暑い時、冷たいコーヒーを氷を浮かべて飲んでいた、あの頃を思い出し、ずいぶん贅沢だったなあ、と思いました。できなくなって初めて、その貴重だったことに気付くのです。普通というのは、健康だから得られるものなのです。でも、その貴重でかけがえのない贅沢を手放したのは、他の誰でもない、私自身です。私は私の体に大きな負担をかけてしまいました。もう、元のような体に戻ることはできないかもしれません。悲しいですが、どうしようもありません。
(食べておけば良かった。)
もし、一ヶ月前に戻れたら、絶対食べるのに、と何度も何度も思いました。
 家族とは、食べ物の事で言い争いばかりしてきました。私が食べないので、
「いつか、絶対病気になって後悔する日がくる」
 と、言われていました。でも、私は本気にしませんでした。言いたければ言うがいい、と知らん顔していたのです。愚か者でした。
 母はいつも、「五体満足に生まれてきて、高校生まではなんでも食べていたのに」と、嘆きました。「大学生の頃は、自転車こいで、凛々しかったのに」と、言いました。でも、私の心の中には壁があって、いつもその言葉を遮ってきました。弟は、私は魔法にかかっているのだ、と言いました。その魔法を解く鍵は、私の自分の心にある、と言いました。私は、バカバカしい、と耳を塞いで逃げ続けてきました。もし、食べてしまったら、今までの自分でなくなってしまう気がして、怖かったのです。本当に怖いのは、そう思い込む心の病の方なのに。
 昔、母はラーメンを作る度、自分の丼から小皿に取り分けて、私に渡しました。母は、私を少しでも太らせたかったのでしょう。穀類を全く摂ろうとせず、痩せて貧血だったのを、改善したかったのだと思います。でも、私は、ラーメンを食べたくなかったので、いつも箸をつけませんでした。ラーメンに、必ず食べなければならない栄養があるとは、考えられなかったからです。
 ある晩、母はそれに激怒し、ラーメンの丼と私のお気に入りのカップを勝手口から外へ投げ捨て、割ってしまいました。そして私の体も勝手口から外へ押しやり、
「出て行け! お前なんか生まれてこなければ良かったのに!」
 と、怒鳴りつけました。私は傷ついた気持ちでいっぱいで、心を頑なに閉じて、何も感じないフリをしました。そうしなければ心が壊れてしまうからです。でも、私は母の心を壊していたのです。家族にもひどいストレスを与えてきました。
「あんたのせいで病気になる!」
 母がよくそう言っていました。そのせいで(と、母は言う。)、コレステロールが上がり、高脂血症になりました。どんなに否定したくても、できません。私がストレスを与えてきたことは事実なのですから。
 私は悪い『鬼』でした。だからこの『痛い地獄』で罰を受けるのです。でも、いつかこの罰が終わったら、神様がこれまで以上に元気な体にしてくれる。そう信じて、痛みに耐え続けました。

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