パレスチナという場所

久々に、根詰めてパレスチナの勉強をした。
卒論のフィールドはパレスチナにするはずだったのに、いろいろな事情から違う場所を選んでしまったので、少しパレスチナのことから離れていた。

そういえば、まだパレスチナには行ったことがない。いつ行けるのだろう。20代、できれば前半のうちに訪れたい場所である。

パレスチナ問題について勉強すればするほど、イスラエルについて批判的になってしまう(アラブ研究者から話を聞くから、なのかもしれないが)けれども、どう考えたってイスラエルが今やっているヨルダン川西岸地区への入植やガザ地区の封鎖は、暴力だ。それは、ユダヤ人がホロコーストという暴力を過去に受けたからと言って正当化されるものではない。
ヨルダン川西岸地区は一応のところ「パレスチナ自治政府」の統治下におかれているが、実際は西岸地区のおよそ80%にもわたる地域で警察権はイスラエルにあり、またイスラエル人(それもニューカマーの移民)による入植が進んでいるという。アラブ人であるパレスチナ人が住む地域のインフラは整わず、水道の供給も危ういが、イスラエル人が住む入植地は家にプールがついていたり……私がアラビア語を学んでいて、アラブに対して親和的な人間でなかったとしても、「それってさぁ…」と思わざるを得ないような現実が、パレスチナにはある。

私がアラビア語を始めたきっかけは、パレスチナに興味を持ったことだった。大学生になってからどうしてアラビア語をやっているのかと聞かれるたびに、高校の時にパレスチナ問題について学びたいと思ったからだと答えてきたが、そのたびに向けられる「物騒でよくわからないことをやっているのね」という視線が嫌だった。

アラビア語を勉強するためにアラブの国に留学した時も、アラブ人から全く同じ質問をよくされたので、まったく同じように答えていた。アラブ人たちはみんな「素晴らしい!がんばってね」と言ってくれた。

日本とアラブ、パレスチナに興味があると話した時の反応は全く違うが、ともかく、「アラビア語を学ぶ人」としての私にとって、パレスチナというのはいつだって重要な場所だ。

ガッサーン・カナファーニーというパレスチナ人文学者がいる。カナファーニーの遺作である「ハイファに戻って」という小説は、現在のイスラエルにあるハイファという街を舞台にしている。

1948年、イスラエルが建国された年、ハイファはイスラエル軍によって攻撃された。ハイファに住んでいたパレスチナ人たちは避難を余儀なくされる。物語の中で1948年当時、ハイファに暮らしていたサイード・ソフィア夫妻も避難した人々である。ただ、その時、乳飲み子だった息子を家に置いたまま逃げてしまった。
20年ほど経って、サイードとソフィアはかつて暮らしていたハイファの家を訪れる。そこにはすでにユダヤ人の家族が暮らしていた。そして、避難の時に置いてきてしまった息子は、その家族によってユダヤ人として育てられていた。
これが「ハイファに戻って」のあらすじである。本当に本当に読んでほしい本なので、アマゾンのリンクでも貼っておきます。

パレスチナ人にとってユダヤ人とは、自分たちの故郷を奪い取った占領者に他ならない。パレスチナ人とユダヤ人が憎みあっている様子は、中東のニュースを注意深く見ていると、今でも当たり前に報道される。
そういう関係性があって、「自分はユダヤ人として育ってきたけど、実はアラブ人の血を引いている」という現実に直面させられる、サイードとソフィアの息子の気持ちは計り知れない。

ただ、「ハイファに戻って」の出来事は、どうしても他人事だと思えないのだ。「もしかしたら私だったかもしれない」と思えてならない。
それは、サイードとソフィアの息子が自分が何者かわからなくなって激昂し、それを見ているサイードとソフィアや彼の育ての親も混乱しているような、「自分は何者か」「周囲の他者にとって自分は何者か」わからなくなってしまうという経験は、普遍的な体験ではないかと思うからだ。私も、私が何者なのか周囲の大切な人たちにとって私は何者なのか、あまりよくわからない。

ただ、日本にいる限り、私が「自分が思う自分でありたい」と主張することはほとんど可能だ。ただし、勇気は必要だし、それが実行できるかどうかは何とも言えないけれど。

しかし、パレスチナはそういう場所ではない。イスラエル/パレスチナにいる限り、ユダヤ人であるかアラブ人であるかによって住む場所も得られる権利も変わってしまう。
それは、「自分が自分であることを外部から規定する暴力」ではないだろうかと、ふと思った。

パレスチナ問題の解決を考えるとき、入植地やガザの封鎖の問題、パレスチナ難民の問題など、早急に何とかしなければならない具体的な課題はいくつもある。しかし、「自分が自分であることを選べない場所」としてのパレスチナを知り、同じような悲劇を二度と生み出さないように働きかけていくことも、必要なのではないかと思う。

パレスチナ問題は、単なる宗教問題でもなければ、「難しくてよくわからないこと」でもなく、「物騒だから自分たちにかかわってほしくないこと」でもない。「もしかしたら私だったかもしれない」ことだし、案外近い経験をしている人が世界中にいるように思える。だから、パレスチナのことを敬遠しないでほしいと私は言いたい。パレスチナ問題について政治的な意見を述べなければならないと、私は言うつもりはない。ただ、パレスチナのことを知って、自分のことと比べながら考える機会をなんとか多くの人のために作り出したい、そう願ってやまない。

この文章も、そういう思いで書いたものである。

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