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週末の夜は映画をお供に『手紙』

週末の夜は早めに家事を済ませてソファに腰掛ける。
サブスクの海からみたい映画かドラマを探り当てるこの時間が好きだ。
部屋の明かりを暗く、さながら映画館のようにしてみるのがお気に入り。
今回選んだのはこれ。

2006年公開の『手紙』。
原作は東野圭吾の小説で、この小説もたしか少しだけ読んだことがあったはず。ミステリーは国内外の作家問わず好きだが、東野圭吾作品は定期的に読みたくなる時期がある。

ただ、中学生か高校生の頃だったのであまり内容は覚えていないのが悲しいところ。他の作品もそうなので、これもきっと原作とは若干内容や展開が違うんだろう。そちらも気になる。

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犯罪を犯した人、つまり加害者が世間から冷たい目でみられてしまうのは、理解できる。けれど、加害者の家族は一体何をしたと言うのだろう。
今世間を騒がせている問題とほんの少しリンクしたような部分があって、なんともいえない気持ちになった。

なんの罪もないのに、加害者の家族だからという理由だけで一生差別されながら生きていくなんて、考えたくもないし目を背けたくなる。ただ、そういう人の存在も知っているし、身近な人でまさに今その問題で悩んでいる人も知っている。

決して他人事ではない。
自分だけが真っ当に生きていればいい、という話ではないのだ。
この問題に白黒つけられる人はいるのだろうか。

罪のないものだけが石を投げなさい、というキリスト教の言葉をふと思い出した。被害者の痛みや悲しみに便乗して、ただの憂さ晴らしをしている人たちにはきっと届かないんだろうな。
やりきれない気持ちでいっぱいだ。

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手紙は良い。
LINEのようにすぐに返信しなくても既読かどうかなんて誰にもわからないし、一方的に書きたいことを書いて送ることができる。
書くだけでなく、郵便受けをのぞいたときに手紙が来ていたら嬉しい。
手書きの文字にその人の人柄が垣間見えたり、慣れていないんだろうなと思う不器用な文章にくすっとする瞬間も好きだ。

ただ、手紙はときに優しく、ときに暴力的であることをもっと自覚的にらなければならない、と改めて思わされた。
自己満足、よかれと思って…というような安易な行為が、自分が思っている以上に相手を傷つけてしまうかもしれない。

一方的、ということは同時に言い返すことができないことの裏返しでもある。ちょっとずるい気もするし、こちらの気持ちを押し付けるだけになってしまったのでは元も子もないな、とも思う。

今の私にとって他人事とは思えない内容だったからか、思った以上に心にくるものがあった。なんだか、未だにどんよりしている。
近しいテーマのときは心に余裕があるときに見るよう気をつけよう。

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