見出し画像

心地よい距離感を目指して

ほんの少し、考え方を変えようと意識したことで、なんだかすごく救われた気がする。息もしやすいし、感情に流されそうになったときにぐっと踏みとどまれる。こういう作業が必要だったんだなと改めて。

振り返ってみると、負の感情が働くときには大抵「嫉妬」と「期待はずれ」がそこにあることに気付いた。
こうしてくれるはず、という期待がはずれてがっかりするみたいな、思っていたのと違う展開になることを、受け入れられなかった。会話を勝手に先読みして、こう返してくるだろう、こう思っているだろうというのも、外れているときだってあるはずなのに、自分の感覚中心で考えすぎていたなと思う。

それと同じくらいたちが悪いのが、嫉妬だ。
嫉妬心があること自体は自然だと思う。でも、私の場合は完全にコントロールできなくなっていた。心のどこかで妬む気持ちが出ているからこそ、正常な境界線を引くことができずに、どんどん踏み込んでしまう。
その結果、自分も相手も苦しくなって余計に不安になるという悪循環。

この流れに気付いたことは、本当に大きかったなと思う。
今はまず「それは誰の都合?」と語りかけるようにしている。
自分の都合だけで物事を考えているときに、あぁ、そうかこれは自分の都合を押し付けているだけだ、と気づくことができるようになってきた。

嫉妬なんて、完全にこちらの都合だ。
私自身の劣等感まで、相手に抱えてもらおうとするのはお門違いもいいところだ。これは私がしっかり自分と向き合って、これからじっくりと対処する問題。

さらに、「私はどうしたいと思っているの?」「相手は本当にそう思っているだろうか?」と問いを重ねていくことで、どこまでが自分の感情で、どこからが相手の感情か、切り分けることができることにも気付いた。

よかれと思って、というのは本当に相手が望んでいることなのか。
これって意外と難しい問いだなと思う。
自分がされて嬉しいことは相手がされて嬉しいこととは限らない。
逆もまた然りだ。

相手を思いやることと自分が我慢することは、イコールではないと思う。
もちろん我慢する部分もあると思うけど、我慢というよりは譲歩のほうが近いかもしれない。無理を通すのではなく、相手に歩み寄る気持ちで一歩引くイメージ。その中で、自分の中にあるこうしたい、という気持ちも大事にできたらいいなと思う。

行動を起こす前に、一歩踏みとどまること。
そして自分の都合を押し付けるのではなく、相手のことを思い、尊重すること。この二つを守ることができればきっと、今よりもっと心地よい距離感を築くことができると思う。

試行錯誤の日々はこれからも続く。


この記事が参加している募集

最近の学び

この経験に学べ

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。