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手際と味は比例しない

仕事から帰宅したら一時的に停電していたらしく、炊飯器が点滅していた。遠方にいたので全く知らなかったけれど自宅のほうはひどい雷雨だったらしい。
知らぬが仏。大嫌いな雷の音を聞かずに済んだのは幸いだった。

最近はとてもニュートラルな日々で、大きく感情が揺れ動かない。自炊欲だけが日々高まっているので、あれこれとレシピを検索しては新しい料理に挑戦している。前の家はキッチンがとてつもなく狭くて、コンロこそ二口ついていたがまな板を置くスペースもなかった。
そうなると料理をする気分にもなれず、時短簡単レシピばかり作っていたが今は一人暮らしにはもったいないくらいのスペースがあるので何でもできる。
…ような気がしている。

『下手ではないけど手際が悪い』
というのが自分自身の認識だったけれど、どうやら物理的なスペースのなさが、より手際を悪くさせていたらしい。調理スペースが十分に取れるのであれば、手が粉まみれになることもあちこちが油はねでベタベタになることもないんだと知った。

不器用だと自覚している人こそ、スペースは広めに確保しておくことをおすすめしたい。広さがあれば、少々広げすぎてもなんとかなるし、視覚的にも余裕があるので落ち着いて料理ができる。
例えば狭いと調味料をその都度出してしまって、としなければならない。でもスペースがあれば全部出していたって邪魔にならないのだ。

たったそれだけのことでも随分違う。
狭くても工夫してできる人は器用な証拠なので羨ましい。私には難しかった。

あるもので何とかしようと思える人、実際にアイデアで乗り切れる人はすごいなと思う。私は不器用な上に発想の転換が得意ではないので、できることは何も考えずともできるのに出来ないことは何を言われてもできない。
自分の中であぁ、なるほど。と納得して理解しないと同じ動きにならないのだ。わかるけどわからない、状態によく陥る。

料理に関していえば、左利きなことも関係しているとは思う。大学生になるまで包丁でリンゴを剥くことすらできなかった。包丁の刃をどの向きにどう動かしたら手を切らずに向けるかずっとわからなかった。頭の中で見えているお手本と自分の手を反転させてイメージするのがとにかく難しかったのだ。
当時付き合っていた人が熱心に何度も練習に付き合ってくれたおかげで今は見映えは悪いけど何とか剥けるようになった。あの時間がなければ、今もピーラーを使っていたかもしれない。

こんな調子なので料理に関してもアレンジはほとんどしたことがない。レシピに書かれた通り、食材も調味料も綺麗にそのまま使っている。目分量には絶対にしない。その辺りの自分の感覚は全く信用していないので、作り慣れたものでもレシピ通りにしている。不器用な人ほど勝手なアレンジを加えて失敗するとわかっているので、自分なりの対処方法なんだと思う。

感覚的に生きているけれど、料理は理系だという頭がある。いわば算数の問題を解くかのように作っている。だからちょっと疲れる。でもできあがったものが美味しいと、計算がうまく解けた時のように嬉しい。

宣言が明けたとはいえまだまだ家で過ごす時間が長さそうなので、新しいレパートリーを増やすことをこの夏の目標にしようと思う。

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