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大阪城公園は浄土真宗の町だった?!

浄土真宗のルーツを辿っていたら思わぬ発見がありました。
それは、かつて大阪城公園に、「浄土真宗の町」があったことです‼︎

中心にあったのは「石山本願寺」
本願寺とは、西と東に分かれた京都のあの有名なお寺です。

浄土真宗の町とは「寺内町(じないちょう)」と呼ばれていました。
「寺内町」とは、中世後期から近世前期の日本において、浄土真宗により建設された仏教寺院・道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことで、町を濠や土塁で囲むなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住していました。

つまり、大阪城公園は、「石山本願寺」を中心とした一つの町だったわけですね‼︎

しかしそんな「石山本願寺」は、「織田信長」との戦い「石山合戦」に敗れ、その地を明け渡し、京都に本拠を移したとありました。

ちなみに、「寺」は元来、「役所」の意味であったことや、大阪城公園内にある洋館は、かつて旧陸軍第四師団司令部庁舎だったことや、神戸にある本願寺神戸別院、東京にある築地本願寺か洋館であることからすると、 「石山本願寺」もまた洋館だったとしても不思議ではないなぁと思いました。

いずれにしましてもルーツを辿るのは興味深いですね。
本当の歴史はどうだったのか?

勝者側のみではなく、敗者側からの歴史も踏まえ、多面的かつ柔軟に物事を見ていきたいものですね。

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