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【ケニア】サンブル族とのクリスマス

「地方の視察行ってきて!」とお願いされて「了解です!」と喜ぶ私がいました。

まずは、ケニアのあっちこっちを詳しく調べてみました。調べ過ぎた結果、簡単なメモだけで90ページ以上の資料を作ってしまいましたw  書き出したら本を出せるかもしれませんw

そして、決められた時間と予算によって、最初は、ナイロビから車で6時間ほど離れているサンブル地方へ行くことにしました。

サンブル地方のメインの目的は、サンブル国立公園でのサファリとサンブル族に会うことでした。予算内でホテルを先に決めたうえ、残っているアクティビティーは川に身を任せ状態でした。

たまたまクリスマスでした。

そして、クリスマスの奇跡のように、とても素晴らしい出会いが待っていました。

・・・

サンブル族との出会いが大きな気づきを与えてくれました。そして、大変お世話になりました。おかげで、未知の世界、未知の地方、そしてクリスマスを楽しくすごせました。

長い記事になりますが、最後まで付き合ってくれれば喜びます。

それでは、サンブル族に会いに行こう!!




サンブル族とは

サンブル族は、Wikipediaですら情報がないぐらい知られていない民族です。
衣装がとてもカラフルなことで、蝶々の民族とも呼ばれています。

ケニア北部、サンブル地区の半砂漠地帯に住んでいます。マサイ族の仲間で、言語が似ています。牛、ひつじ、ヤギを飼い、社会的な交換財として使うこともあります。遊牧民生活を送っています。主食は牛乳やお肉です。

一夫多妻制。嫁を迎えたら、嫁は自分用のお家を作ります。各嫁には、家一つです。家を作るには、2週間かかり、移動したらまた別の場所で新しい家を作るというノマドスタイルです。
男性は、大人への段階一つとして割礼を受けます(心の準備ができた頃に、自ら申し込むけど、儀式中に絶対に泣いてはいけない)。男性は、子供のごろ、家畜のお世話を教わり、大人になっても家畜のお世話と集落の安全確保以外は何もしません。
女性は、若い時から家庭のことを任され、教育不足なため、英語が話せません。
しかし、現代社会において、伝統的な生き方を辞め、町でビジネスなどをする人もいます。女性でも、教育を受け、英語も話せ、仕事などをする人もいます。





サンブル地方とその人たち(旅の流れ)


出発の日、22日の早朝。

空が淡い色になりつつ、私たちは迎えてくれた車に乗りました。

そして、そこから長旅がスタートしました。

ケニアの景色、人々の生活や、道路沿いにうろちょろしているシマウマやマントヒヒを眺めながら進んでいます。

サンブル国立公園に着いたのは、13時半ごろでした。

宿は二泊は国立公園内にあるホテルにしたので、入場料も48時間分を買わないといけないという悲しいオチです。

※当時は一回分は24時間という時間制限だったが、今は国立公園によって12時間単位でしかチケットが買えないみたいです。しかもとても高いです。

仕方がないですね。

入園して、ちょっとサファリをしながら国立公園のど真ん中にあるホテルへ向かいます。

ホテルにチェックインしてご飯を食べて、ちょっとした撮影をして、野生動物を眺めながら夕飯を食べて、翌日のためにドライバーを手配し、朝日を見るために早く起きないといけないので早めに寝ました。

ホテルのロビーや周りでたくさんの動物を見ることができたのは唯一無二の経験だった


翌日、23日。

真っ暗闇の中、頑張って起きます。

弁当を貰い、車に乗ります。本日のドライバーもとてもいい人です。

しかし、こっちは遅れてもないのに、なぜか「もう遅いぞ!」みたいな雰囲気になっています。それで、朝日が綺麗に見れるスポットへ急ぐ必要があるらしくて、想像以上に凸凹の道をドライバーが飛ばしますw

おかげで、素敵な夜明けをみることができました。



スマホ撮影にしては悪くないけど、当時カメラを持っていたら、どれだけいい写真が撮れたのだろうw


そのまま、サファリが続きます。



ドライバーさんがとても知識が豊富な方で、色々と教えてくれました。アフリカの自然や動物について全く何も知らないアウトサイダーの私たちにとって何もかも勉強になりました。

今回はもう3回めのサファリなのに・・・w

写真とは別の話になりますが、イボイノシシは汚れ者だと思われているので、サンブル族が絶対に食べない。ラッキーって言えるかな?w 


そして、9時ごろに一旦サファリを休憩にして、サンブル族に会いたいということで、国立公園の外に住んでいるサンブル族に行くことになりました。

こちらは、完全に観光客向けの村なので、何もかもお金がかかり、さらに支援を求められる感じです。


サンブル族の村の男性たち


村に来て早速サンブル族のネックレスをつけられる。気に入ったら買ってもいいというお金狙いしか匂わない仕組みでウケたw アクセサリーがとても素敵だったが日常生活においてつける機会があまりなさそうだね。あと、こちらのネックレスは結構重かった。慣れも大事なのかな?


しかし、サンブル族の生活などへのとても素晴らしい入門だったと思います!

当時はこんなもんか!(ぼったくりにおい)と思っていたが、この後、この知識がとてもいい土台になるとは思ってもしませんでした。

やっぱ、無駄な知識なんてないよね!


伝統的な火起こしも見せてもらった


皆さんにバイバイして、国立公園に再入園し、ホテルでちょっと休息してから、再びサファリへ。

残念ながら、今回もチーターもレオパルドも見ることができませんでした。(近くにいたけど、隠れていたみたい。可愛いw)


象の三頭家族。
実は、象もシマウマも気候を見て出産を決める。産む時期になっても、乾季なら水不足で小象が生まれても死んでしまう確率が高いので、雨季まで出産を延期にする。そうすると、食べ物も水もちゃんと確保できる。すごくない??



ホテルでのクリスマス飾り



翌日、12月24日、クリスマスイブ。

本日も早起き。しかし本日の目標はサファリではなく、オロロクウェ山です。

この2878mの高い山は、サムブル族にとって聖なる山でもあり、伝統的な結婚式はその山頂で行うらしいです。

オロロクウェ山を登っていなければ、ケニアに行ったことがあるとは言えない。
と言われるほどとても神秘的な場所です。

美しきオロロクウェ山


出発地に着いたのは朝6時頃です。たくさんの水が絶対必要になると聞いたので追加で水を購入し、サンブル族の若者とそこら辺のわんこにガイドとして案内してもらいました。


登るのは、肉食系動物から身を守るために夕暮れあと、象の群れが登っていく道です。山頂まで約3時間ぐらいかかり、弁当を食べて降りてくるというコースになるそうです。

さてどんな景色が待っているのでしょう?

最初の道がとても険しかったしめっちゃ汗をかきました。

象のうんちを避けながら、道なき道を進むという他じゃ絶対体験できない経験になりました。

生まれてから山登りするスロバキア人の私が先頭に立ってしまい、気づいたらちょっと早めのペースで進んでいました。そして、山登りに慣れているサンブル族の子も驚いてしまったという笑
どうやらみんなはもっとゆっくりこの山を登るそうです。一緒に来ていた子には申し訳なかったが笑

登ってる途中、マントヒヒの群れを見かけたり、この山でしか採れないお茶の木を紹介して貰ったり、出会った全てのものについて気軽に質問していいという感じで面白かったです。

そして、ついに山頂にたどり着きました!


この景色は皆さんにも生で見てもらいたい


いや、この景色は素晴らしすぎる!!!

谷を見下ろし飛んでいる見たことない鳥を眺めながら、弁当を食べます。べろは量的に全部食べられそうになかったので、ガイド兼ボディガードをしてくれていたわんことガイドさんにもお裾分けをしました。

食べ終わったあと、地面でくつろぎ、風とその雰囲気を楽しみます。このまま寝てしまいそう…

「そろそろ降りなきゃ。熱くなるんで!」とガイドさんの指示に従い、降りることにしました。途中でこの山でしか取れない茶葉を大量に取っておき、降りたらお茶を入れてもらう予定です。

下りるのは登るよりずっと大変でしたが!


出発地に戻り、話で盛り上がります。ケニアでみんな良く飲む、ヤギの牛乳入りの(先ほど採った茶葉で作られた)お茶を堪能します。うんめーーー!!!

この1ヶ月ちょいで色んなお茶を飲んできましたが、お茶の風味は一番美味しかったかもしれません!!さすが聖なる山のお茶だ!!


国立公園の近くにあるArcher's Postに戻ります。

そしてドライバーさんが連れてってくれる場所はなんと!ニャマチョマのローカルなお店です!!

ニャマチョマ?!何それ?!とみなさん、思ったでしょう?

ニャマチョマとは、ヤギ肉のBBQのことです!ケニアの名物で、特別な機会などにみんなが食べます。

こちらでは、ヤギは財産なんです。


クリスマスメニュー
ヤギの焼肉、サラダ、チャパティー(クレープ)、ウガリ(穀物の粉をお湯で練り上げたアフリカ伝統の食品)


レストランに入って、飲み物を注文し、空いてる席を探します。クリスマスでみんなが帰省してきているので、流石に満席ですが、すぐに一つのテーブルが空いたのでそこにつきました。暫くしたらドライバーさんの友達もやってきました。ヨーロッパ在住の人もいて、皆で乾杯して、ヤギ肉などを食べて、色々な話で盛り上がりました。

クリスマスってこんなに楽しいイベントでしたっけ?と思わせるほど楽しかったです。

美味しいケニアビール、ホワイトキャップ


その時、一緒に飲んでいた1人の仲間は「道を渡ったところにあるバーで飲むんだけど、一緒に行かないか?」と誘ってくれました。「行くいく!」と首が取れそうなぐらい頷きました。しかし、その前に新しい宿にチェックインする必要があるので、先に行ってて〜と一旦お別れしました。

チェックインが終わったあと、例のバーにやってきました。風通しがいい屋根下の席です。こちらは女性なのに男性と共に座ることになり、サンブル族の女性たちはちょっと離れた席に座っています。

ビールを頼み、みんなで乾杯と自己紹介。そして、1人の長老がベロの国籍を聞いてきて伝えたら「行ったことあるよ〜」と予想外の回答が返ってきます。

ん?スロバキアに?いつ?なぜ??

とケニアからわざわざスロバキアまで行く筋を知ろうとしている私がいます。非常に珍しいことです。

理由を教えてもらったが、そのあと、もっと驚く出来事が起きます。


その長老はさりげなく「うちの8人目の奥さんになりませんか?」と出会って10分でプロポーズしてきます。

プロポーズ?!?!

気づいたら長老のお気に入りの5人目の奥さんまで呼ばれていて、ツーショットを撮られていました。

謎が深まるだけなので、具体的なお話を引き出そうと思いました。

話してみると、もはやビジネスのような話が進んでいきます。

「彼氏がいますが?」

「問題ない!」

「旅をしながら生活していますから、いられませんよ?」

「問題ない!」

何も問題がないのに、いないのになぜわざわざ結婚しようと思っているのだろう?!

そこにはちゃんと理由がありました。男性のステータスはヤギと牛の数で大体決まります。要は、生きるために必要な通貨です。だから、ヤギがたくさんいる=たくさんの奥さんと子供を迎えることができます。そして、たくさんの奥さんと子供たちがいれば、外から「ほほー、すごい方ですね!」と尊敬されます。

お金より養えるかどうかが大事な世の中です。もし現金が必要になったら、ヤギか牛を売れればいいだけの話です。

何だろう、欧米や日本ではありえない話なのに、ぶっちゃけいうと、とてもシンプルな生き方だなと思いました。私たちもそのメンタリティー(考え方)を見習わなきゃ。

・・・

「子供は何人いますか?」

「子供の人数を人に伝えるのは運気が悪いので言えない。数字を教えたら、子供を失う可能性があるんで。」

なるほど。奥さんになってもサンブル族の奥さんと違って何も求められません。人のステータスがあがるための、ただの飾りになるわけです。

とヨーロッパ人の私はつい考えてしまいました。


しかし、現地の女性からしたらウィンウィン状態でしょう。嫌じゃなければ結婚して子供を産んで子育てと自炊などで日々を過ごし、旦那さんに養われお世話してもらうという、分業です。

とはいえ、この話は地方に住んでいる人たちで、確か中学校から教育を受けていない女性の話に限ると思います。

とにかく、この話は長くなりそうなので、また次回に恋愛観などをまとめたいと思います。

ローカルのバーの話に戻りましょう。

気づいたら皆と仲良くなっていました。

そして同じ敷地内にあるホール?踊るスペース?で生演奏があったので、仲良くなった一人と踊りに行きました。

この人とその夜にすごく仲良くなって「外国人が一緒に飲むのはそもそもないのに、白人が一緒に踊ってくれるなんて夢みたいで感動した。この夜は一生忘れない。私たちはもう仲間だ!」とすごく嬉しそうに話していました。

特に何もやっていないのに、その人にとってとても大きなことで「明日は車で迎えに行くんでよろしくね〜予定もできたし明日はどこかを案内するね!」ととても親切に話してくれたマーヴィンがいました。

「いや、いや、こんなのでいいの??」と自分の耳を疑います。「迷惑だし本当にいいの?」と何回も確認しますが、返信は一緒。

素敵な人に出会ってラッキー。


案内はたった1日だと思っていたら、ナイロビに帰るまでにずっと一緒にいたのは、もうちょっとしたネタバレになります笑

皆さんのおかげ様で、サンブル族とより深い付き合いができ、価値観や恋愛観や生活などについて詳しい話をたくさん聞かせていただきました。


宿からの景色
向かい側でマントヒヒがいたり、川の中にワニがいるので近寄らないようにと注意された


25日、クリスマス。

おはよう。こんなに素敵な景色と猿を眺めながらの朝ごはんはいかがでしょうか?


マーウィンたちが迎えに来てくれました。

最初に向かったのは、彼の家と事務所でした。庭では、彼の家族と親戚が捌いたヤギの処理とご飯作りをしていました。こちらもクリスマスパーティーです。


しかし、私たちは別のところへ向かいます。実は、前日にベロニカにプロポーズした長老は私たちをクリスマスランチに招待してくれました!

それで、伝統的な村でローカルフードを堪能するんだって!


オロロクウェ山の麓での生活も悪くないね


各奥さんに家一つがある。旦那は毎晩別の家で泊まる。そうすると、奥さんたちが嫉妬しない。


村に着いたら、長老が迎えに来てくれました。彼の奥さんたちはご飯を作ってくれました。子供たちが遊んでいました。他には、長老たちが何人かいました。

用意された席に座り、貰ったお茶とご飯を頂きます。

ヤギ料理とチャパティー、米とスパゲティ
ヤギの牛乳入りのお茶


なんと、この日のために、長老がヤギ4匹も捌いたらしいです!!!

光栄すぎます。


長老の1番目の奥さん。
飾りの量でステータスがバレる。



雑談が終わり、皆さんに御礼を言い、再び車に乗り街中に戻ります。

ローカルバーでビール一本を頂き、一服。
そして、もう帰るかと思ったら、ある場所に寄りました。


そこには、たくさんの女性が集まっていて歌って踊っていました。お祭りだから、こちらの皆さんもオシャレしていたうえ、首を赤色に塗ってありました。


カラフルな民族。通りで蝶々の民族だと呼ばれるわけだ。


しかも、女性の集まり会なので、男性が立ち入り禁止で、マーウィンが車で待機してもらい、女性陣だけで参加しました。

相変わらず、皆さんがとても親切で「一緒に踊ろう」とすぐに仲間に入れてくれました。



みなさん、本当にありがとう!!


ホテルにも猿たちがよく遊びに来ていた


この後は、宿に戻りました。が!ビックリすることにとても賑わっていて、外で座ることになりました。オーナーの話によると、毎年クリスマスに色んなところからたくさんの人がわざわざ遊びに来るらしいです。近い街から来る人がいれば、ナイロビからわざわざ足を運ぶという人もいました。そして、気づいたら、また仲間が増えていました!

夕暮れの時、焚火を囲み、色々な話をしながら、ビールで乾杯を交わしました。

この夜は、サンブル族の人たちの思考、一夫多妻制、恋愛観、子供、コミュニティーの大切さなどについて様々なお話を聞かせて頂きました。


翌日。

マーウィンたちは再び迎えにきてくれて、エレファント・サンクチュアリへ向かいました。

途中で、伝統的なサンブル族の歯ブラシをゲットするために、良くわからないところで、一旦車から下りて、ある木を探します。見つけたら小枝を切って、歯で噛みながら歯磨きをするという超ナチュラルなやり方です。口が寂しい人にとって特に健康的だと思うので、広まってほしいw

歯磨きしながら、発車です。


エレファント・ロック


エレファントロックに寄ってから、サンクチュアリへ向かいました。
そこは、様々な理由で、一人っ子になってしまったベイビーエレファントのお世話をする施設です。お話を聞いたあと、象との触れ合いもありました。とても可愛かった!!


入場料は寄付みたいなものですが、さらに支援できます。



サンクチュアリでお世話になっている小象たちの記録。
いつ来たか、名前、拾わられた場所、独りになった原因、性別、お母さんとの再会または自然への戻り


このあと、マーウィンが紹介してくれた新しい宿でチェックインしたんですが、こんなに素敵で安い宿があると知っていれば、最初から泊まっていたと思います!なぜラストナイトに限って???とツッコみどころが多いのですが、やっぱ現地の人に聞いてみないと分からないことがたくさん。

一緒にご飯を食べて、話して、寝ました。


起きたら、悲しい現実が待っていました。ナイロビに戻らないといけない日です。つまり、サンブル地方とその素敵な人たちにバイバイせざるを得ません。

悲しいけど、しょうがないです。

しかし、仲良くなり大変お世話になったメンバーはなんと、見送りまで来てくれました!!この出会いは一生忘れません。そして、早くまた会いに行きたいです!



サンブル族の友達と話して気づいたこと

「なぜ欧米人は子供を産まないの?」と聞かれたら、みなさんはどう答えますか?

私はこの質問されて、流石に笑いました。「それこそ、なぜアフリカ人が子供たくさん産むの?」と答えが分かっていても、ツッコんで返してみたら、真面目に答えられたのも面白かったです。

「子供は投資です」

フィリピンでも同じことを聞いていましたが、西洋というか先進国の脳みそには中々理解しづらいでしょう。


先進国の人は「お金がないから」「お金がかかる」「時間がない」「今は仕事で忙しいから」などの答えをするのでしょう。
サンブル族の人は「歳を取ったら世話してもらう」という考えを持っています。もはや、お金とかどうでもいいみたいです。


お金に囚われず、周りの人を大切にするのも、この素敵な人たちです。


・・・


「どこへ行っても、みんなと仲良くしているみたいだし、友達が多いみたいだけど、どうやってこんなにみんなと仲良くなれたの?」
とマーウィンに聞いてみました。

「みんなを大切にするうえ、相手が困ったら助けるし、逆にこっちが困ったら助けを求める。そして、光栄なる役割を色々な人に分担している。例えば、結婚式はこの人にお願いするけど、息子の割礼の大事な役割は別の人にお願いする。こうすると、周りの人との繋がりが一層強くなる。」

確かに、と納得していました。とてもシンプルなことなのに、便利すぎる生活を送っている私たちは忘れがちです。

人って頼り頼られないと、仲間が作れないため、どこかで寂しい気持ちになりますよね。頼るという強さを無くし、なぜか「恥ずかしい」「迷惑をかけたくない」という連呼になってしまいます。しかし、本来、人間って誰だって他人に頼らなければ生活なんてできませんね。私たちは、いつからこんなにズレた思考を持ち始めたのでしょうかね?


・・・

しかし、サンブル族の人たち、これだけが秘訣ではありませんでした。

空気を読む力が日本人より凄まじいです!

一緒に来ていた子はとてもいい子だが、(まあ、疲れもあっただろう)新しい提案が出ると否定から入ってしまいました。そして、翌日は○○行かない?と提案されても「興味ない」と。じゃ、何をしたいかと聞いても分からないと。

こんなやり取りをしていても、時間とエネルギーの無駄だと思っています。そして「今はこういう気持ちかもしれないけど、行ったらあなたなら、きっと楽しめるよ」と言ってもなかなか・・・結局、みんなで行って楽しい日になりました。

そんな中でも、サンブル族の友達がその子のことをとても心配してくれていました。さらに面白かったのは、翌日でもその子は何かしらの文句を言い始めたら、マーウィンがさり気なく席をチェンジw。

空気を読みながら、他人を傷つけず、自分を守るという最強の業を見せてもらいました! これは見習いたいかもしれません!


・・・

さらに、人間の観察力もできています。私自身もそうですが、サンブル族の皆さんは私ですら超えました。人同士の関係性をシンプルな言葉で簡単に説明してくれました。
「何でこうなっているのだろう?」という私の悩みに対して
「彼女はあなたのことを嫉妬している」と人が笑っていました。
「嫉妬することがないのよ?」
「人気者だから仕方がない。ドンマイ。乾杯!」

と次の話題に移りました。相変わらずさりげなくw

・・・

一夫多妻の社会なのですが、皆さんに形を決める選択肢があるというのも面白かったです。伝統的な生き方をしている人もいれば、(キリスト教の影響で)一夫一婦を選ぶ人もいます。この自由もとてもいいなと感心しました。



サンブル族は、とにかくネガティブなことを話さないで、器が広く、興味津々で相手の話を聞いていて、できるかぎり相談に乗ります。これ全部がうまい人間関係に繋がっていると思います。

温かく、広く、アフリカの太陽のように。



ことわざの例

Menyanyuk likitereto o likituruma/(物質的に)手伝ってくれる人より慰めてくれる人がいい
サンブル族は、病気の人に贈り物を送るよりも、見舞いに行って慰める方がいいと考えています。この背後にある理由は、贈り物の有無に関わらず、病気を訪問する人は、付き添い、精神的なサポートを与え、病人を励まし、精神を高揚させます。

Sapa nikshon/1週間は一生だ
1週間の出来事が個人の人生を永久に大きく変える可能性があります。この意味で、1週間という期間は、たとえ短いものであっても、個人の一生の中で重要な部分を占めます。
このことわざは、人生のどの部分も生涯と同じぐらい真剣に受け止めなければならない、と人々に警告するために使用されます。なぜなら、個人の生涯のどの部分の出来事も、生涯全体を左右する可能性があるからです。

Jurro naa mboita/親しみやすさは関係している
人々は交際し、交流するにつれて、お互いを知るようになります。付き合いが長くなり、やり取りの頻度が増えます。「馴れ合いは軽蔑を生む」というイギリスのことわざにあるように、馴れ合いの次に来るのは軽蔑です。
このことわざは、義理の親など、親しくない人々と頻繁に付き合いすぎないよう、人々に警告するために使われます。

Medol lala sina/歯は逆境に気付かない
幸せなときも悲しいときも、人の歯は同じ色です。悲しみに暮れているとき、人はそれを表情で表します。危機や逆境の真っ最中にいて、何か面白いことが起こった時に笑ったりすることは可能です。
このことわざは、困難な時に人々を元気づけるためのものです。同時に、そのようなジェスチャーが深刻に見えるかもしれない状況で誰かが微笑んだり笑ったりしたときに、気分を損しないように人々に警告するために使用されます。

Keata nkishon larin/人生は季節で構成されています
個人の一生は長い年月で構成されており、その年月は様々な季節で構成されています。それぞれの季節は個人の人生の新たな章であり、個人にプラスまたはマイナスの影響を与える様々な経験をもたらします。人生は、長く続く平坦な道ではありません。それは、個人の人生に様々な経験や教訓をもたらす、段階的な季節のシステムです。
ことわざの教えは、季節が経つにつれて個人も変化するということです。したがって、季節が年月に変わるにつれて、個人には行動の変化が期待され、大人はその成熟した態度によって子供や若い人と区別されます。



最後に

数日間だけの付き合いでしたが、サンブル族との出会いは大きく私の背中を押してくれました。色々な意味で。その親切さや強さ、余計なことを気にしないマインドセットなど、全てが大きな気づきを与えてくれました。ベロニカにとって転換期になったと言っても過言ではありません。

温かく歓迎してくれたうえ、最後までお世話してくれた人たちに永遠に感謝です。お陰で、そこらへんの観光客じゃできない体験をたくさんさせてもらいました。


みなさんは、この記事を読んでどう思いましたか?何かしらの、発見がありましたか?ぜひ、コメントで教えてください!
そして、あまり知られていないアフリカで、知られていないケニアで、マサイ族でもないサンブル族って知られているわけではないのですが、より多くの人に知ってもらいたいという勝手な欲望があり、この長い記事を書かせていただきました。


珍しく長い記事になりましたが、サンブル族の魅力が伝わったなら、とても嬉しく思います。

最後まで付き合っていただきありがとうございました!



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