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愛国勤労

1 自己紹介

 自分は、哲学者を志している在日ベトナム人であり、こよなく愛する祖国ベトナムと愛する第二の祖国日本に貢献することを熱望している。

 今年二〇二一年には、人生初の哲学書を出版し、そして、二作品を執筆中である。

 そして、自分が最も尊敬する先哲の一人であり、そして本気で、後継者を志している人物は、「ホー・チ・ミン主席」である。

 自分の前期哲学(40歳頃までの哲学活動)にて完成させたい新しい学問とその超大作は、「ホーチミン思想」である。

 上記の拙作は、伯胡(Bác Hồ。ホー・チ・ミン主席の敬称)の遺徳を懐疑的かつ批判的に学び受け継いでは、これを革新的に発展や深化させて、新しい学問を確立させ、日越並びに世界中に貢献することを目指したものである。

 日本では、否定的や消極的、現実逃避の口実や危険活動の正当化とされる傾向にあり、そして実際、そうなってしまっている実態が決して少なくない「愛国心」という概念を、ぜひとも、肯定的や積極的、善き自己啓発や自己実現、正しい社会貢献や国家奉仕の理念に変えていって、やがて、「愛国勤労」という有望で新奇な働き方を創造して、日本に提唱していきたいと、心の底から思っている。

2 愛国勤労

 「愛国勤労」とはどんなものか?例として、伯胡の著作である「Thư gủi các bạn thanh niên」(若き友達への手紙)を参考にしつつ、ご紹介します。

 以下の引用は、「Hồ Chí Minh Toàn tập - Tập 5」(Chính trị quốc gia - Sự thật; bản thứ ba、2011)(ホー・チ・ミン全集-第五巻、国家政治-真実、2011)のp.216-217からであり、訳文は自分が行ったものであり、文中の[]は原文には無いが、意味が通じるようにするための補足、または、私的な解釈となっており、()は備考としての解説です。

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 なお、邦訳には、『解放の思想』(ホー・チ・ミン⦅著⦆、坂本 徳松、大類 純⦅編訳⦆、大和書房、1966)があります。

 ただし、こちらは、美しくかつ読み易い意訳となっており、それが故に、原文の深みや含蓄・滋味等を表し伝えきれていないため、逐語訳と補足・解釈・備考としての解説を加えました。

 親愛なる若き友達の皆さん。
 ベトナム青年会議[が開催する]に当たって、私は皆さんが円熟な成果を得られるように、挨拶を送ります。以下は、皆さんの討論に役立つ幾つかの意見です:
 人々はよくこう言います、「若者は国家の将来の主人公である。」と。実際、国家が、栄えるか衰えるか、弱くなるか強くなるかは、大部分は青年達に由ります。立派な将来の主人公になりたいと思うのでしたら、正に今、自身の精神と実力を鍛えなければなりませんし、将来に備えて働かなければなりません。
 私達[のような世代の人達]は、青年達は非常に積極的であるということを、認識していかなければなりません。ですが、八月革命以後から今に至るまで、青年達の運動が、より急速に、より広範に発展する機会があったにも拘らず、私達の青年達の運動は、まだ非常に狭小であることも、認識していかなければなりません。
 ですから、皆さんの任務は、あらゆる方法を見出して、大きくて強い青年運動を生み出すことです。
 私見として、このその目的を達成するには、一人一人の青年、特に一人一人の幹部が、以下のことを何が何でも決行しなければなりません。
 a) 他人よりも先に犠牲や困難に自ら当たり、他人に悦楽や閑静を自ら譲ること。(論語の「先難而後獲」に酷似)
 b) やらなければならないことは、いかに困難であろうとも、よく忍んでは、完遂するまでやること。
 c) 熱心に国家と人民に益することを行うこと。地位・功名・富貴を貪らないこと。
 d) 尽公無私の心を、人々と仕事に齎すこと。
 e) あらゆる面で鑑となることを決心すること:勤勉・節約・清廉。
 f) 傲岸・自慢・自己満足しないこと。少なく言って多く行い、親愛し合って団結すること。
 こうすれば、誰もが青年を愛護して、感服せずにはいられなくなり、青年活動は必ずや[人心と社会や文化に]広く深く浸透することでしょう。
 現在、青年にとって、活動と仕事するのに[機会が]不足しているところはありません:軍隊や義勇軍・ゲリラ部隊にいたり、大衆教育の拡大であったり、増産運動であったり等…。
 [本気で]やるのであれば、仕事を探し出し、そして、仕事が出来るようになると決心するのです。
 私からまたもう一つの助言を述べますね。広大で、読み聞こえは良いが、実現不可能な企画や計画を立ててはいけません。
 どんなことでも、実際的であり、言うことも、行うことも、可能なものでなければなりません。どんなことも、小から徐々に大へと、易から徐々に困難へと、低から徐々に高へと[やらなければならないの]です。(論語の「下学上達」や中庸の「遠必自爾、辟如登高必自卑」に類似)確実[で実現可能]な一つの小さな企画の方が、大きくて(「抽象的」とも意味する)実現不可能な百もの企画よりも優れています。
 それが、皆さんへの、博識洽聞(様々な経験をしていて、様々な知識を深く知っていること。)である一人の友人の数々の経験からの、率直で親身な公言です。皆さんの尽力と成功を願っております。
親愛と勝利への決意の挨拶[を込めて] 一九四七年八月十七日 ホー・チ・ミン

 いかがだったでしょうか?今、日本では、「苦労することが美徳」という考えが廃れ、勤労の観念や概念、価値観や方法等が、個人主義的に、相対化かつ多様化しています。

 それは、とても良いことであり、ブラック企業の激減や没落に、個性の発揮や活躍の激増、そして、精神や観念、価値観や概念、技能や技術等の革新や多様化に、社会や国家の発展や進歩に繋がると、自分も心の底から思っております。

 ですが、「勤勉」「節約」「清廉」、「貢献」「忠誠」「献身」「奉仕」、そして「愛国心」等、これらは、太古の聖哲な聖人・賢哲な君子・篤実な志士、そしてごく一部の正直な狂人や逸民等の美徳であり、それが、時代が下るごとに、後世に濫用・悪用されることで、忌まわしい危うき悪徳になってしまい、人々に誤解や嫌悪、無視や拒絶されてしまったのです。

 自分は、徳を以て、悪徳を美徳へと快復させて、そして、ますます「正しく」「良く」「善く」していきたいと思っております。

3 結語

 日本人の皆さん、どうか今一度、日本の悪徳の「本来」を学び知って、共に「美徳」を成し、勤労の「報酬」「成果」「喜楽」、そして「幸福」等を増進させて、共有し合いましょう!

本書「序文」より
勤倹貯蓄、これは実に長い間の日本人の徳目であり、これを行なうことが美徳とされて来た。美徳とされて来たことはそれが一つの独立した価値、いわば宗教的ともいえる価値をもっているからであり、それが価値を持ちうることは、一つの思想の帰結だからである。
では一体その思想はどのように形成され、どのような影響を与え、どのようにして現在に結果しているのであろうか。それを探求しようと試みたのが本書である。本書が、自己を律している伝統的規範を明らかにし、将来への予測の一助となり得れば幸いである。

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