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セカンドからファーストに

注意

今作品はエヴァンゲリオンの最新作「新劇場版シンエヴァンゲリオン」の内容を若干含みます。完全にネタバレを避けたい方はご遠慮ください。

幼い頃から本や物語を読む、観ることが好きだった。否、幼い自分が嫌で、大人になることをひたすらに願い、幼いということと繋がることはしたくないという一心だったようにも感じる。人形やおままごとといったいわゆる「幼稚園生の女の子」が好むものを避けた幼少期を過ごしたように思う。同時に、当時の私が考える「大人になったらやらないといけないこと」の中に、子供を産み育てることや料理をすることが組み込まれていた。ゆえに、私はまだ子供だから、子供のうちにしかできないことは本を読むことだ、などと極端な思想に支配されていた。この頃から、一人で本を読む自分と、他人といる自分の乖離が始まり、自分だけの世界に没入するようになった。

物語の中で、決まって好きになるキャラクターは全員、「他人に弱みを全く見せない、乱暴ながらも強い女の子」それは今でも変わらない。そんな私の元に現れた漫画が『新世紀エヴァンゲリオン』私が今もなお愛し続けるキャラクターかつ人生で初めて好きになった二次元のキャラクターである惣流・アスカ・ラングレーと出会った。当時小学校三年生だった。

アスカは常に強かった。エヴァの操縦も華麗で、シンジやレイなど他のパイロットにも強気で傲慢。ただ、彼女の内側はとても脆かった。人形を娘だと感じ、それと共に自死した母親を想い夜に涙を流す場面や精神汚染の場面は何度も読んで、その度に涙が止まらなかった。また、他のパイロットに傲慢ではあるが、彼女のわがままはひとつも叶っていない。常にシンジやレイを、何だかんだ優先する。

そんな彼女の呼称は「セカンドチルドレン(二番目の適格者)」そしてレイは「ファーストチルドレン(一番目の適格者)」だった。それはマルドゥック機関が決めた順番ではあるが、アスカは常に何かの「セカンド」であったように思う。私はそんなアスカに度々自らを重ねる学生時代を過ごした。否、今エヴァにのめり込んで色んなことを思い考え、だから私はアスカにこれほどまでに自らを重ねているのではないかと思えた。

まず、アスカとレイの、シンジへの好意である。レイは感情を知らない。ゆえにシンジへの想いを直球で投げつける。シンジもそれに満更ではないし、レイに好意を示す。しかしアスカは必ず素直になれない。いつも変化球。テレビ版でシンジがエヴァから戻ってきた後、レイはシンジの病室の中でずっとシンジを待っていた。そしてシンジが目覚めた後に会話をする。しかしアスカは、ずっと病室の外でシンジを待っていて、レイが退室するためにドアが開いた際に影が見え、アスカは慌てて隠れる。シンジはどうせファーストが好き、アスカは無意識のうちにそう考えていたのかもしれない。

そして、エヴァパイロットとしての実績である。アスカは人一倍努力しパイロットに選ばれている。ツテで選ばれたレイやシンジとは違う。「あたしは特別」がアスカを支えてきた。しかしエヴァとのシンクロテストでシンジに追い抜かれてしまうし、挙げ句レイに助けられてしまう。自分が特別かわからなくなった際の精神汚染。彼女のシンクロ率はなしに等しいものになってしまった。

アスカのこういうところに、思わず自らを重ねているのかもしれない。

私は、恋愛では常に、自分が好きになったら迷惑だと思った。好きになった瞬間に罪悪感を覚えた。そして想う相手には既に好きな人がいるか、彼女がいた。その相手は大抵可愛い。顔ももちろん、言動や振る舞い、空気管全てを含めての「可愛い」である。自分にはそれがこれっぽっちもないように思えた。だから常に、どんな異性に対しても決めていることがある。女性らしさを感じさせる立居振舞をしないことだ。異性から好意を向けられることも、自分が女という性を用いて他人に近づこうとすることも恐れ拒んだ。

以前好きだった人とその好きな人と何人かで食事に行く機会があった際、親に言われたことがある。
「あんたはどうせ引き立て役だから、可愛い恰好はしないでおけば」
納得したと同時に、傷ついた。長年想っていた相手だったから尚更である。それ以前から心掛けていたことではあったが、その発言以降さらに気を付けるようになってしまった。

以前付き合っていた人や、その周囲の人間に言われたことがある。
「お前の素直なところが好きだ」
複雑な感情になった。その当時の私は、笑うことはおろか、思ったことはきついことでもすぐに発言していて、ナイフのようだった。奥底に秘めた孤独や寂しさをひた隠す行動だったのではないかと、今振り返って思う。なぜなら、その人と付き合ってからの自分がとてつもなく「メンヘラ」であったからだ。返信が来ないことは、自分に全く興味がないから。私はこんなに想っているのに、なぜ少しも返ってこないのか。そればかりを嘆き悲しんだと同時に、自分にこんなにも弱く孤独な心が備わってしまっていたことに驚いた。幼い頃無心で涙を流していたアスカと同じ状況に自分が置かれていることを、今振り返って思う。

部活や勉強でも同じだった。中学一年生の私は、同級生の男子からいじめを受けていた。ささいなことをきっかけに殴られ蹴られ、挙げ句「セックスしないか」と気味の悪い笑みを浮かべて誘われたことさえある。そんな私を保つひとつのことが勉強だった。私は当時クラスで一番の成績を保っていた。そのことが私を強くした。こいつらよりも上。私は運動も勉強もできないゴミだと思っていたけど、こいつらの方がゴミ。その気持ちが私の精神を保った。

二年生、三年生になると、いじめられはしないけれど、成績で絶対に勝てない人間が一人ずつ現れた。私が勉強することのモチベーションは、親から褒められることにもあったし、成績が下がれば部活を辞めさせるという脅しにもあった。必死になって勉強しているのに、彼奴には勝てない。そういう罰則も何もなさそうなのに。悔しい。そればかりであった。

そんな私を次に救ったのが、陸上競技だった。昔から親に馬鹿にされ罵られ生きてきたので、自分の根底には常に「私は何もできないゴミ」という気持ちがあった。しかし陸上は違った。駅伝では市で優勝できたし、個人だと区間三位。高校でも県で団体入賞に区間十位だった。しかし、陸上でもセカンドだった。中学でも高校でもチームメイトに勝てなかったのだ。それも中高一人ずつ。駅伝のためにお菓子は必要最小限にした。休みの日でもランニングは欠かさない。勝ちたい。その心を身体に邪魔された。度重なる怪我に病気。あの怪我がなければ、あの病気がなければ、私はファーストになれたかもしれない。今でも蘇っては孤独な私を脅かした。

今週頭に上映されたエヴァの最新作を観た。アスカはシンジに「かわいそうな自分をアピールしてる(曖昧)」と言葉を投げる。今こうして自分の弱点を文章に乗せている私にも刺さることがあった。親が言うから、他人が楽しそうだから、身体が言うことを聞かないから。そうやって逃げているだけで、自他の全てを知らないくせに決めつけ何もできていない自分を、自分の文章によって顧み、他人にもそれを提示する。自分のなかの落とし前をつけて、周囲に比べて自らが劣っている、自らがセカンドになっている、という思考から抜け、自分に少しの自信を持ち、良くも悪くも自分しか知らないからこそ自分がファースト、そういう風に考えていけたらと痛感する。

あと数週間で社会人になる。今回こうしてエヴァが終わったことで、エヴァと共にした綺麗な感情から汚い感情と広く葛藤を繰り返した学生時代を終わらせたいと思えた。そして心機一転、卑屈になる私とは袂を分かちつつも自分を彩ってくれた物語を読んでいる自分、つまり自らの乖離性を重んじつつ、自分のしたいことに愚直に突き進める社会人になれたらと思う。

私の文章を好きになって、お金まで払ってくださる人がいましたら幸福です。