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松尾芭蕉とBL道の旅に出た話(番外編) 🌸男色花紀行<岩つつじ>

「岩つつじ」

芭蕉がゲイだったことから男色にまつわる花があることを知り、その意味を辿ってみるシリーズの3回目。今回は「岩つつじ」です。

古今和歌集にある
「思いいづる ときはの山の いはつつじ いはねばこそあれ こひしきものを」
(思っていても、ときわの山の岩つつじのように、言葉にこそ出しはしないが、やはり恋しいものだ)

詠み人知らずの歌だが、真雅僧正が若き在原業平に送った歌だと言われている。そう、男色の祖、空海の弟であり、彼もまた男色界の有名人、真雅。

「男色の景色」の丹尾氏は8つほどの過去の文献を参照し、どれも二人の関係に言及しているとして、いわねばこそあれ、言わんでもそういうことだろうと教えてくれている。

14世紀の文献「玉伝深秘巻」
「業平十四歳、真雅僧正の弟子として、十六より廿八に至るまで真言一宗を極めたり(略)僧正、かの業平を愛念深く思はれけるほどに、真言の奥義を残さず授けらる」

ということで、超有名人同士の二人の関係がず~っと語られ有名だったので、そこから岩つつじ男色を意味する植物になって行ったわけですね。

そして時を経て、芭蕉の師匠・北村季吟が、
男色に関する歌や物語を集めた本に「岩つつじ」と名付けて編纂したり、

明治~昭和期の男色研究の第一人者に岩田準一という人がいる。
彼は、画家・竹下夢二の弟子であり、江戸川乱歩の友達(二人で旅なんかもしている)、南方熊楠とも男色談義で何度も手紙のやり取りをしていた人物。
「本朝男色考」という彼の著作は、日本の男色の歴史をかなり詳しく調べているらしく、滅多に人を褒めない天才熊楠も、彼の男色史には感心しまくりだったらしい。

そして前回、「紅梅図屏風」で語った光琳に「躑躅(つつじ)図」と言う絵がある。

左に穴の開いた石、真ん中に蛇行した川、右に突き出た岩とそこに生えるツツジという構図。
まさに紅梅図のつつじバージョンといった趣。そこに穴の開いた石、突き出た石。
ここにセクシャルな意味合いが読み取れる。
岩に着いたつつじ=岩つつじ、それを上記の男色の隠喩だと光琳が知っていたなら(時代背景、彼の交流関係、などなど総合的に考えたら普通は知ってるはず)、「躑躅図」も男色を表したものの可能性が高い。

しかし菊のように、その花の形状から関連されてるわけでもないので、今ひとつピンと来にくいですね。古今和歌集の歌を知ってるかどうかの教養を要する男色隠語。

次の花も光琳からで「杜若」に続く。

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次回「杜若」編はコチラ↓

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