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「We Are Who We Are」揺れ動くアイデンティティ ドラマ感想

「Bones and All」を観た時に、監督のルカ・グァダニーノによるドラマ「We Are Who We Are」(以下WAWWA)が気になっていました。

*物凄く適当に思いつくまま書いています。構成とか読みやすさとかほぼ考えてないです(;^_^A。読まれる方は御覚悟を!!


CMBYNからのオマージュいっぱい

ポスター・ビジュアル見た感じはそこまでそそられなかったんだけど、いざ観始めると「君の名前で僕を呼んで」(以下CMBYN)に似た演出や雰囲気、音楽の使い方、まさにルカ・グァダニーノWorldっていう感じのドラマでした。

一瞬だけどティモシー・シャラメアーミー・ハマーがカメオで出ていたり、CMBYNの湖から引き上げた銅像の腕と握手するシーン、あれのオマージュってわかるシーンが出てきたときはニヤリとしちゃいました。

他にも色々あるんだろうけど、フレイザーとジョナサンのシーンで似てる!と思うシーンがいくつかあった。デートに行く時に戦争記念碑の周りを歩くシーンだったり、ジョナサンの後ろから飛びつくシーンだったり、フレイザーが青いシャツを着ているのもエリオがオリバーの青いシャツを着てるのを想起させる。

1話の最後にフレイザーが訊く
“What should I call you?”
「君を何て呼んだらいい?」というのも”名前を呼ぶ”ということでCMBYNとの繋がりを感じさせるというレビューもありました。

フレイザー役のJack Dylan Grazerは映画「Beautiful Boy」で若い時のティモシー・シャラメを演じていることから、見た目もちょっと似てる部分があるし、音楽や本が好きな所も一緒。20代後半ぐらいの大人の男に惹かれる所も被っている。ただエリオよりかなりぶっ飛んでる。薬キメてんのか?という目の時もあるし、アルコールばかり飲んでるし(;^ω^)、エリオほどイイ子ちゃんではない。


あらすじ

を簡単に書くと、
イタリアのベニスの近く、キオッジャにある(架空の)米軍基地が舞台。
2016年、NYから大佐として赴任してきたサラとレズビアンのパートナーのマギー、そしてサラの息子14歳のフレイザーが引っ越してくるところから物語が始まる。

サラ一家の横に住むのがケイトリンという黒人の女の子の一家。
父親が軍人のリチャード(熱烈なトランプ支持者)。母親はナイジェリア出身のジェニファーダニーと言うケイトリンの2つ上?もうすぐ高校卒業の兄がいる。

そこにサラの部下のジョナサン、ケイトリンとダニーの友達仲間クレイグ、サム兄弟、ブリトニーなどが絡んでくる。

そんなフレイザーとケイトリンのジェンダー・アイデンティティセクシャル・アイデンティティを模索する過程を見つめるドラマ・シリーズ…と言った感じでしょうか。


テーマはアイデンティティとセルフ・ディスカバリー

自己同一性(じこどういつせい、アイデンティティ: identity)とは、心理学(発達心理学)や社会学において、「自分は何者なのか」という概念をさす

ジェンダー・アイデンティティとは、自分が男なのか?女なのか?(バイナリーならこのどちらか)それともその中間のどこか?どっちもしっくりこない?どっちでもない?(ならノンバイナリー)ということを考えて、どこに属するかということ。

一方セクシャル・アイデンティティとは、自分が好きなのは、性的に興奮するのは男性?女性?両方?興味なし?好きになったら誰でも?…と、性の対象がどこにあるのかということ。

ドラマの中でフレイザーはゲイっぽく描かれてはいるし、ジョナサンに興味を持っているのでゲイなんだろうな…と思わせる感じで話は進むんだけど、明確にゲイであるとは言わないし、そのラベルを貼ることにも彼自身は躊躇している。つまり彼はセクシュアル・アイデンティティを模索している14歳の少年ということ。何回かセックスに繋がりそうな場面もあったけど、そこには至らない。最終回ではケイトリンを選んだけど、その後にセックスする関係になったかどうかも分からない。性行為自体には興味ないアセクシュアルの可能性もある。

一方ケイトリンは女の子だけど男の子の恰好をしてみたり髭を付けてみたり、FtMのトランスジェンダーのサイトに興味を持ったりと、あ~この子は男になりたいトランスジェンダーの女の子なんだな…と思って観ていると、コチラも最後の最後でアレ?違うかも?みたいになる。なので自分のジェンダー・アイデンティティが揺らいでいる、模索している14歳の女の子ということでした。彼女も元彼のサムに押し倒されてもセックスには至らなかったし、そこまでセックスに強い興味がある感じでもなかったのでアセクシュアルの可能性もある。

サラとマギーはレズビアンカップル
しかしサラはマギーの前に男と付き合ってフレイザーを妊娠しているので、バイセクシュアルの可能性もあるし、セクシュアル・フルイド(流動的に性的対象が変化する)なのかもしれない。

ケイトリンの母ジェニファーもドラマ内でマギーとレズ浮気する。
彼女も隠れレズビアン、もしくはバイセクシュアル、セクシュアル・フルイドなのかもしれない。加えてナイジェリア移民?ということで純粋なアメリカ人とも違う枠にある。ムスリムだったのかな?過去にいろいろあったらしいという設定。アイデンティティがどこにあるのか中々に複雑なキャラ。

あとジョナサンも彼女?FWB(セフレ)?がいるし、同僚女性に微笑んだり性的対象は女性っぽいのにフレイザーにもちょっと気があるような素振りを見せる。積極的に絡んでいくわけじゃないけど懐深くフレイザーを受け止めてる。匂わせバイセクシュアルって感じかな?彼も15歳ぐらいまではイスラエルの母の元で育ち、その後アメリカ人の父親のところに渡ったという設定。彼も純粋にアメリカで育った人間とは異なるアイデンティティを持っている。

こんな感じで色んな性の多様性(人種、国籍なども内包しつつ)を提示しながら、まだ自分にラベルを貼れない思春期の男女の心の揺れにフォーカスした作品。

いままではゲイならゲイ、トランスならトランスと自認した人物が世間との軋轢で苦しむ物語が多かったですが、自認に至るまでの過程にフォーカスしてる点が21世紀というか、2020年代、これからのドラマという新鮮な感じがしました。日本では未だに同性愛であることさえ社会的に拒否もしくは無視される社会なのに、海外のドラマは一歩、いや二歩ぐらい進んでいて、マジで世界から置いてかれていってるなぁ~と(;^_^A。

生まれた時からゲイでした!って人もいるだろうけど、やっぱり14歳頃、思春期に入って意識し始める人が多いと思う。そういう意味では自己のジェンダー、セクシャル・アイデンティティを模索する過程をじっくり見せるというのは非常にエデュケーショナル。下手に保健の授業で教えるよりわかりやすかったり、共感しながら知ることができそう。

そういえば基地にやってきて最初にIDカード作ったり、映画館のおばさんのネームプレートをわざわざ読み上げたり、アイデンティティを意識させる場面がところどころで挿入されていたので、やはりアイデンティティは重要なテーマなんだと思われます。


結論は最初に提示してあった

1話冒頭の空港からの車の中での会話。
星座に興味のあるフレイザーがケイトリンの星座を聞いて、

てんびん座
Uncommitted Inconclusive Invasive
という。

Uncommitted:(特定の行動方針・義務・考え方などに)拘束されていない,縛られてない;積極的にかかわってない;(論争などで)中立の。

ケイトリン、フレイザーもまだアイデンティティが一つの考えに拘束されていない状態だし、一つの考えに縛られる前の段階でした。

Inconclusive:結論が出ない 
これも二人とも結論が出るのかな~と1話から観て行って、結局最後も結論が出たような出ていないような…そんな感じで終わった。

ドラマの副題が"Right Here Right Now”だったので、”今、この時点ではこういうこと”という暫定的な結論という感じでした。

Invasive:侵襲的
この単語はちょっとピンと来ない。強いて言うならケイトリン、フレイザー、共にお互いの存在が侵襲的、侵略的に相手のアイデンティティ形成に影響を与え合っていた…という感じでしょうか。


設定の妙

このドラマ、設定が色々複雑というか、興味深い。
まず、上に挙げたように登場人物達のアイデンティティが本当に多彩。
国籍だってアメリカ人とイタリア人だけじゃなく、マギーはブラジル出身、ジェニファーはナイジェリア、ジョナサンはイスラエルのバックグラウンドがある。

そして舞台設定も独特。
イタリアにある米軍基地。イタリアの中にあるアメリカ
CMBYNでもイタリアに住む米国人一家の家に米国人青年が訪れてくることから始まる物語で、イタリアの中の小さなアメリカでした。今回も一緒。

これは異国におけるアメリカの異質さを際立たせる為なのかな?と想像。
アメリカ人の常識が実はどこかおかしい、どこか偉そう、独善的…と言う風に薄っすら感じれるように作られていた気がする。CMBYNの場合エイズ禍が始まっているアメリカとの落差、イタリアのあの場所だけは楽園のように描かれていて、より二人の恋が神聖化される仕掛けだったのかなと想像。

常識なんて場所が変われば違ってくるし、アメリカの正義もそれは彼らの正義であって世界唯一の正義ではない。一般的にマジョリティが占めているジェンダーやセクシュアル二元論がアメリカの正義だとすると、じつはその正義は米軍基地の中だけで通じるものであって、その外の世界には実際それ以外のマイノリティもい~っぱい存在していて、そんな二元論なんて意味がない。ギリシャ、ローマ時代はそんないろんな愛の形が認められ礼賛されてきたことを考えると、そういう色んな愛の形、人のアイデンティティを肯定してきた世界がイタリアで、極端な二元論で縛ろうとしているのがアメリカという皮肉を込めた設定なのかもしれません。

次にフレイザーの母サラとケイトリンの父親リチャードの設定。コレもナカナカに複雑。

いままでは権力の上位にいたのは、ストレートの男性、白人、家父長制を守る保守的な共和党支持者…みたいな人物。
しかしこのドラマではレズビアンの女性、白人、たぶんリベラルな民主党支持者。どちらかと言うと今までの相手とは対立するような属性の人物。

一方リチャードは、いままで黒人と言えばリベラル寄りだったと思われるのに保守派、熱烈な共和党トランプ支持者。妻や子に対しても強権的で家父長制を強く意識している。

ついつい子供たちの方に目が行きがちだったけど、このサラとリチャードの対立が徐々に悪化していき、最終的にはリチャード一家を基地から配置換えという名目で追い出すことになる。

最初は、リチャードが兵士の死の責任を咎めたことでサラから嫌われたんだろうとしか思ってなかったのですが、そもそも1話の頃からリチャードはケイトリンを連れて何かの液体(ガロン単位)をボートで運んで町の人に売っている描写がありました。
あれは何だろう?密売的なことをしてるのかな?と思っていたら、軍のガソリンを盗んで密売していたということらしい。ということは、あの立派なシボレーの車もそのお金で買ったってことなんだと思います。

サラは妻の浮気もガッツリ知っていたし、彼女にとってはリチャードのこの窃盗も知っていたはず。その上祭りの日に暴動起こす、酔って兵士の死の責任を自分のせいだと追悼の場で糾弾する…粛清対象に選ばれても仕方ない。

ただ怖いのはサラもだけど、マギーもな~んかずっと意味深な何考えてるかわからないキャラだったこと。最後の最後にリチャード一家を配置換えするのを早くしたほうが良いとサラに進言する。あれは単にジェニファーと気まずいからなのか?それともそもそもジェニファーに近づいたのも趣味と実益を兼ねて、あの家の内情をスパイしていたのか…なんていう深読みもしてしまう。実はこの二人、カップルでありつつ軍の中でも協力しながら敵対勢力を排除しながらのし上がってきたのでは?なんて想像してしまうくらい二人とも何考えてるかわからない不気味さが微妙にあった。

リチャードは軍においてもサラに対してコンプレックスを刺激されムカついてる上に、大事な娘も隣の変な息子によってどんどん変わっていき、何考えてるかわからない人間になっていく。隣家へのフラストレーションと敵意の高まりがわかりやすく描かれていた。

息子のダニーがイスラム教へ傾倒していく様は、イスラム教国のイラクやアフガンと戦ってきた米軍のその中で、密かにイスラム教徒が誕生していくという皮肉を込めているんでしょうか?


イマジナリー・フレンド

フレイザーのキャラがADHD(注意欠陥・多動性障害)なのでは?とか、想像の彼氏マークやコンサートで知り合ったルカが最後に消えたのも彼の幻覚で、少し統合失調症の兆候があるのでは?という意見も見かけた。

確かにあのルカがポン!と消えた演出はフレイザーが作り出した幻覚だった説は納得できるかな。統合失調症までとは思わないけど。もう必要ないと頭が切り替えた時点で消えた感じでした。ルカが現れたのもマークの存在が想像だったとケイトリンに告白したすぐ後に入れ替わるように出てきたし。

ルカがフレイザーに最後に言った言葉、「この上にこの世で一番美しい場所があるよ」と誘う場面。あれは何だったのか?ちょっと誘惑する悪魔っぽくも聞こえる。フレイザーとケイトリンが新時代のアダムとイブ、いや逆か?イブとアダムで、イブを誘惑したヘビに姿を変えた悪魔を想定した演出なのかな?

フレイザーのADHDで調べていると、演じているJack Dylan Grazer自身もちょっとADHDっぽい落ち着きの無さと場の読まなさがある人物なんだと知りました。

映画「Shazam!」のインタビューとかでもガンガン割り込んで早口で話し始める。でも共演者たちは一瞬ビックリするけど笑って流して楽しんでる。動画のコメント欄でもみんな優しい言葉で応援している。イイですね。こういうの。それだけアメリカではADHDが認識、浸透していてその子の個性として認めてるってことなんでしょうね。映画やドラマでも子供がADHD用の薬を服用してる描写とかも時々見かけますし。わかってしまえば、そういうもんだと思ってしまえば、余裕をもって受け入れられる。

日本ではADHDや発達障害はまだどこか欠陥的なイメージがあるような?そうだと認めることはその子にスティグマ(傷痕)を付けるみたいでなかなか親も認めたくない部分があるんでしょうね。難しい問題。
勿論当事者たちが一番苦労する。ドラマ内でも、サラはフレイザーのそういう傾向は理解した上で落ち着いて接していたんだろうな、と振り返るとわかる。それでも急に暴れだしたり叩かれたり、軍人の母親じゃなかったらまず心が折れてそう。

でもJack Dylan Grazer君は頭はスゴク良さそうだし、落ち着けないのに役者みたいな集中が必要とする仕事をどうやってこなしているのか、好きなことには驚異的な集中力を発揮するのかな?これからどんな役者になっていくいのか楽しみです。

結局「We Are Who We Are」はセカンドシーズンは作られないみたいなのが残念。もうちょっと彼らのアイデンティティを巡る旅路を見てみたかったかも?


ということで、なかなかに興味深く、考えさせられることも多いドラマでした。

例えコレみたいなドラマを日本で作っても、現段階では理解できる土壌がまだ醸成されてるとは言い難いですかね。ジェンダー・アイデンティティやセクシャル・アイデンティティ、ノンバイナリーの概念を理解している人、Z世代になると多いのかな?30代以上の人には中々浸透も理解もまだまだされていないような気がする。かくいう私もまだ反射的に反応出来るほどは理解浸透してない💦。頭でえ~っと…と考えて単語の意味を確認しつつって感じ。
理解が進んでいるZ世代向けにこういうドラマ作って欲しいところだけど、日本はまだまだ頭の固いオッサンが製作決定権握ってそうだし、そういう人たちはこういう問題自体理解して無さそうで難しそうですよね。月9に未だにキムタクだもんねぇ~。

もっと10代の初々しくてちょっとカリスマ性もある男女が自分のアイデンティティを模索する内容で、スタイリッシュな映像と音楽を使ったドラマとか見てみたいけどな。薄っぺらい主人公たちが最終的に引っ付くだけの恋愛ものより、この二人どうなるの?って言う方が絶対面白いと思う。

そういえば月9じゃないけどトレンディ・ドラマの元祖W浅野の「抱きしめたい!」は浅野ゆう子演じる夏子が浅野温子演じる麻子と男取り合ってるようではあるけど、結局男より友情選ぶというか、特に夏子は麻子に執着していて、気持ち百合っぽい雰囲気もあったんだよね。そういう複雑な心情の絡まり合いみたいなドラマが減った気がする。
「We Are Who We Are」でもケイトリンの元彼サムと付き合っていたブリトニーが実はレズで、ケイトリンの気を引きたいがためにそんなことをしていたというビックリの秘密が明かされていた。

エ~そこがそっち?そしてこっちはこっちなの?そしてこの人は両刀!?エッ、この人女性(男性)好きじゃなかったの?みたいなもうグッチャグチャの多様なセクシャル・アイデンティティてんこ盛りみたいなドラマどうですかね?1話の段階では登場人物のセクシュアル・アイデンティティが全く読めず、観ていくと段々わかってくるけど揺れ動いて変化するキャラもいる。もうどこがどこと引っ付くかわからな~い、先が気になるぅ~…みたいなドラマ作ったら結構オモシロイと思うけど、どうですか?ドラマ・クリエイターさん。アッ、でも吉田秋生の「ラヴァーズ・キス」はそんな感じだったか。アレ、ドラマ化?映画化してたけど、どんなだったっけ?ゲイ要素やレズ要素はちゃんと描いてたのかな?描いてなかったんなら今こそ原作通りに作るべきだと思う。

アッ、なんだか話が逸れてきたのでこの辺で…

追記:こちらのレビューによると「ラヴァーズ・キス」の映画は

「ノンケカップルのめでたい大団円に向けて、同性カップルがハッピーエンドになりうるルートは念入りに潰しておこう。こいつらしょせん途中の盛り上げ役だしー」
と言う感じだったらしいので、やはりもう一度原作忠実、Or 関係性は原作通りで設定は現在にして作って欲しいな~。


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