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カレイドスコープ ───1/5


 家具がみな運び出された子供部屋は、がらんとしてよそよそしく見えた。素に戻った壁と床ばかりが、主(あるじ)を忘れた飼い猫のように知らん顔をしている。
 雪(ゆき)は、カーテンのはずされた出窓に歩み寄ると、そこに忘れ物のように置かれていた、ひとつの飾り物を取り上げた。
 真鍮製のカレイドスコープ。これは、自分の手で持って行こうと決めていた。
 雪の一家は今日、この町から引っ越す。父と、母と、自分。そして、今まではここに兄がいた。

 冷たい真鍮の筒の中には、色とりどりの硝子の粒が入っている。覗きながら筒を回すと、かしゃり、とシャッターのような音を立てて、不思議な図像が表れる。いつまでも、いつまでも、無限のパターンをもって子供たちを虜にする、合わせ鏡の小さな迷宮。

 カレイドスコープはかつて、兄である光(ひかる)の持ち物だった。
 三つ年上の光は、いつも雪の上に立ち、雪の前を走っていた。快活で賢く、勇敢な少年だった。弟の雪にとっては、絶対で万能の神のような兄。雪はいつも、その光の背中を追いかけていたのだった。
 幼い頃は、家とその周辺だけが兄弟の聖域だったけれども、光が学校へ上がる年になると、光の冒険はもっと広く、遠い所で行なわれるようになり、雪だけが家に取り残された。光が学校の友人たちと、望遠鏡など片手に自転車で出かけて行く度に、雪はうらやましがって泣いたものだ。

 光は、立ち止まってくれない。いつも、遠く、速く、雪を置いて行ってしまう。

 しかし、その兄が立ち止まる日が、思いがけずやって来たのだった。
 胸を病んだのだ。



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