見出し画像

アンラッキーな話 : 4番目の眼鏡


「…私、オーロラを見るのが小さい頃からの夢だったの!」


たしか入籍してから数ヶ月が経とうとしていた頃だろうか、乗り換えのために駅構内を2人で足早に歩いているさなかに、妻が唐突に口火を切った。


僕は、ああ、これから乗り換えまでの時間はお互いの夢を語り合う時間なんだな、と思ってこう言った。

「あのさア、瓶詰めで売られているタイプのおもしろ消しゴムって見たことあるだろ?くるまの形とかおべんとうの形とか、アメリカの国旗の形をしたかわいいやつとかが瓶いっぱいに入ってるヤツだよ。あれをさ、後先考えずに好きに使い放題使う、っていうのが子供のころからの僕の夢なんだよね。小学生の時、いちどビン詰めのやつを縁日で当てたんだけど………」

残念ながら、僕の壮大なる夢のカケラのプロローグは、妻のあきれ声によって途中で遮られ、最後まで聞いてもらえなかった。

どうやら妻が期待した回答とは違ったらしい。彼女はこのとき、夢語りタイムスタートの合図で話しはじめたのではなかった。

新婚旅行の行き先を「フィンランド」にしたい、という話がしたかったのだ。





4番目の眼鏡 

こういうわけで、僕たちの新婚旅行の行き先はすぐにフィンランドに決まり、この旅行の準備当時、僕は北欧雑貨ばかりが出てくるガイドブックばかり読み漁っていた。


とは言っても、僕は細かい旅行情報の文章が頭に入っていかず、イラストや写真のたのしそうな部分しかばかりしか読めないタイプだ。

社会人として声を大にして自慢することではないが、僕はエッセイや小説などやハウツー本など、まったくといっていいほどすすんで文のかかれた本を読まない。雑誌も絵のところしか読まない。というか読めない。

文字をしかたなく読むのは仕事で使う技術書とか、必要最低限の仕様が書かれたものとか、友達が書いているとか、映画をみてあまりにも監督のことを気に入ってノベライズを読むとか、そういったなにかしらの他のモチベーションを持ってして一気に行うときだけだ。おそらくは、ほとんどの情報をイメージや視覚的にしか得れないタイプの構造の脳なのだろう。

現に「人類はいったいこれから何十年毎日電子メールやチャットを読み漁りつづけるという同じことのループをするつもりなんだ、メールとかチャットの文化はとっとと棄ててすべて動画でやるとか新たなフォーマットにしろ」というようなフラストレイションを毎日感じている。

とにもかくにも、当時の僕の頭の中はそれらの見事に洗練された美しいデザイン雑貨や家具の写真でいっぱいになっており、マリメッコとか、IKEAの家具だとか、いままで生きてきて毛ほども興味のなかったものたちが、ここにきてやたらめったら格好よく感じてしまっていた。

僕はデザインについては詳しいことはよくわかっていないが、北欧デザインについての最大の魅力は 機能性の中に自然に”遊び心”を残せているところだと思う。キャンバスでいうところのセンスのある余白の様なイメージだろうか。わざとらしくなくこういうことができるのは、厳しく寒い冬と向き合い、共存する必要のあった国土から来る北欧の人々に根付いている国民性がなせる技なのかもしれない。

どれも自分のうちの家具や雑貨にはない特別感があり、妙に惹かれるものがある。この時期に好きなバンドは?と尋ねられていたら、僕は間違いなく食い気味にFlying Tigerと答えただろう。そんなグループ本当にあるのか知らないけど。

こんなとき、ちょうど大手眼鏡チェーンで北欧デザイナーのリサ・ラーソンとコラボしたモデルの眼鏡が売っていたのを見かけたものだから、僕は必然的に首ったけになってしまった。
“マイキー”という人気キャラクターの猫が、フレームの内側にさりげなく刻印してあるかわいいデザインのものだ。見かけた店舗で欠品していたため、好みの色のものを手に入れるため結局3店舗にまで足を伸ばした。

妻も気に入り、お揃いでまったく同じモデルのものをひとつずつ購入した。


ところが、この眼鏡、高すぎるデザイン性のためか、フレームとレンズ部分のつなぎがとても弱かった。あきらかにこのメーカーの得意とする構造でないものに、商品性と企画に乗り、無理に手をだしたのだろう。
妻のものは壊れなかったが、僕のほうの眼鏡は、かけてから2週間もしないある日、パキッと音がして左のレンズとフレームの接着部分が離れてしまい、レンズがフレームから一部浮いたような壊れかたをしてしまった。


眼鏡屋に持っていくと、担当の方が陳謝してきた。人気な型番で代わりのものを渡せるほどストックがなく、交換ができないらしい。僕の眼鏡を回収、修理センタに送付するので、処置後にまた受け取りにいくしかないらしいとのことだった。

仕方がないので、1か月ほど待ち、ついにピカピカにオーバーホールしてもらった眼鏡と対面した。いわば、2番目の眼鏡である。

……ここまで書けばもはや多くを語る必要もないと思うのだが、僕はまた持ち前のアンラッキーさをここで発揮してしまった。
そのせいで、2番目のマイキーとの別れは、まるで生菓子の消費期限かのごとく、とてつもなくはやいスピードでやってきた。


3日ほど掛けたところで、パキッと音がして、前回とまったく同じ箇所が剥離して再起不能になってしまったのだ。

大手チェーンというのは素晴らしい。こういうときにどう対応すればいいかがきちんと社内資産化されていて、すこしも不快にならなかった。
とくだんクレームをいっておらず説明もしていないのに、一度壊れて1か月待たせたうえ、3日で再度客に足労させてしまったことがデータかなにかで店員皆に共有されていたようだった。

応対いただいた店員さんの人柄もよく、丁寧に謝罪してくださったうえ、状況についてもこまかく説明してもらうことができた。このモデルはやはり従来のモデルの眼鏡よりも壊れやすいらしく、次のロットからは違う構造のものにするという話が本社で検討されているらしかった。

構造改変を待ってもらうのは時期的に未定だし、案内が難しいとのことで、また本社に送り、強化措置のような修正をして今度こそぜったいに壊れないように対応させていただきたい、と陳謝された。すがしがしいまでに謝られたため、こっちもバツが悪くなってしまった。僕はそんなに怒ってもいないし、責めてもいない。ただ、ふつうに眼鏡をかけたいだけなのだ……


それから3週間ほどたった日、まんをじして、3番目のマイキーを受け取りに同店舗に行った。

このときの対応もすごかった。
まだ眼鏡屋に入店してもいないのに、僕の顔を見るなり即座に気付いて顔色を変え、謝りながら店のフロアから足早に迫り出してきて説明をしはじめるほどの勢いのある対応だった。
なんだか自分がものすごく悪いことをしているような気持ちになり、本当に逆に謝りたい気持ちになった。他の客は僕をハイパー・クレーマーだと思ったに違いない。

パキッとなるフレーム部分に対し、強化措置をがちがちに入れた、との説明を丁寧に受けた。おまけに万が一パキッと剥離状態になっても、くっついたまま差し支えなく使用できるよう、前回壊れた箇所には見えないボンドのようなものがダメ押しで着いているらしかった。なんだか下町ロケットのドラマを見ているような威信をかけた説明のように思えて、すこし怖くなったほどだ。


受け取り後、店を背にしたあとも、店員さんや店長がいつまでもこちらを緊張しながら見ているように感じられ、僕は本当にはやくかえってしまいたかった。こっちも謝りたい。だれのせいでもないんだ。
運が、運が悪いだけなんだよ。
僕は最高の気まずさでもって、帰路についた。



この受け取り店舗から当時の僕の家までは、小田急小田原線で4駅ほど離れていた。時間にして15分ほどで、駅前にある僕のマンションにつく。

これから書くことは神に誓って嘘ではないが、帰宅して、上着を脱いでハンガーに掛けたとき、こめかみから、



パキッ


と音がした。
対策しまくっていた左のフレームではなく、今度は反対側、右の、まったくもって同じ箇所がぶち壊れてしまった。
チャップリンの喜劇か何かなのか。ついさっきの熱意のこもった説明すべてが、灰燼に帰した瞬間だった。そればかりか、まるで壮大なお笑いネタの”フリ”のようにさえ感じられた。


このときは流石のぼくもうなだれてしまい、変な乾いたような笑い声が出た。
やるせなさと、申し訳なさと、ついでに愛しさと、切なさと、心強さが襲ってくる。


もうあきらめてしまおうか何度も迷ったあげく、この事実を伝えるため、僕は眼鏡屋に電話を掛ける決断をした。

4番目のマイキーを手に入れる前には、自分に悪意がないこと、もう気まずいのでそんなに謝って欲しくないこと、クレーマーでないことなどの弁明をひとこと目にいい、くどくど謎の謝罪めいた文言をだらだらと話さなければいけなかったので、すこし、いやたいへん骨が折れたものだ。


電話をかけた受話器の向こうで、店員さんも変な声をだしながらうなだれていたのを覚えている。




4番目のものは、しばらく待って、構造見直しがかかった新ロットのものにしてもらった。あれからは、企業努力のおかげなのか、ただの1度も壊れていない。
4番目の眼鏡が、僕の真実のパートナーだったという星のめぐりあわせだったというわけだ。


……それから、念のために言っておくと、

妻の眼鏡も、買ってからただの1度も壊れていない。






…別の話はまたの機会に。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?