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好きなことを好きと言うことがこんなに難しいなんて。

ここ数日、政府が「ギフテッド」とか「2E」とかをもっと支援するという方針を発表したことで、何らか支援を必要としている多くの子供の親御さんたちの心の揺れがタイムライン上で展開された。

そもそも私は「ギフテッド」という言葉が嫌いなので、本垢の方ではミュートしている。なぜかと言えば、この国における「ギフテッド」とは、とんでもなくお勉強系に拘りと能力があり、いわゆる「良い学校」に行く子供ばかりにフォーカスされがちだからだ。あるいはたまに芸術系も入るかもしれない。

うちの息子はIQ100ちょっとの発達障害児であり、残念ながら勉強の面では特に取り柄がない。この先変わるかもしれないが、まあ特に期待していない。

ただ数年前からフィギュアを使ったコマ撮り動画の作成にエライはまっており、YouTuberとして登録者数が1,200人を超えた。来る日も来る日も考えることは動画撮影のことであり、下校中も風呂でも食事中でも溢れ出るアイディアを頭の中で組み立ててブツブツと独り言を言っている。(嬉しいことに buzzfeedに取り上げて頂いたことあり↓)

私からしたらコマ撮りが好きで毎日こうやって寝食忘れて作り続けているのも立派な才能じゃないか!と思うのだが、発達障害児親の懇親会などではお勉強系が得意で良い学校に進学したお子さんこそが羨ましい存在で、一日中コマ撮りをやっているなんていうのは何の話のネタにもならんのだ。

だって、それやって、一体将来どうするの?って聞かれる。

こうやって、好きなことを役に立つか立たないかで選別される世の中で、好きなモノを好きって堂々と言うのって、本当に難しい。

ギフテッドだってそうで。勉強や芸術の分野がずば抜けてることが理想的なんだろう。定義が曖昧だからこそ、そこに選別と序列付けが生じるのは私は今まで生きてきて何度も見てきた。

私は文系の大学院に博士課程まで在籍していた。そのときに外野からイヤというほど投げかけられた、「文系なんて何の役に立つの?」という言葉。「なんちゃって修士号じゃん」「モラトリアム」とかもよく言われた。そのときの悔しい想いは今も澱のように心に積もり積もっていて、それが原因で好きなことを好きって言うことが本当に難しくなった。

私は好きなんだよ、
私は楽しいんだよ、
私にとっては本当に役に立ってるんだよ

世の中の選別や序列付けなんて気にせず、堂々とそう叫ぶことができたら、病むこともなくあのまま学位が取得できたのかもしれない。

だから私は誇りに思うんだよ。

息子が誰の目も言葉も気にすることなく、「僕はこれが好きだ!」と言って淡々と作品を作り続けていること。彼はきっとギフテッドがどうのとか将来役に立つとか立たないとか、そんなこと全然気にしていないと思う。ただ目の前にある大好きなことに、全力で取り組んでいるだけだ。

私が外野になっちゃいけない。世の中の選別や序列付けを、彼の世界に持ち込んではいけない。

今日も彼の目は曇りなく好きなものに向かって真っすぐだ。

息子のYouTube Channel 登録お願いします(笑)


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