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わたしの熱狂、スウィンギング・ロンドン。

その昔、渋谷のル・シネマに通い詰めてひたすら最新のフランス映画を追いかけていたころ、スクリーンの中のパリは東京での学生生活よりずっとリアルな世界だった。リアルタイムで活躍するフランスの女優や俳優たちに精通し、新作を観終わるや否やロビーで次回上映作品のチラシを片っ端からチェックした。そして、中年になっても相変わらず魅力的なカトリーヌ・ドヌーヴのタバコの吸い方や、パリ・シックの代名詞のようなジェーン・バーキンとシャルロット・ゲーンズブールの着こなしに夢中になった。そして映画が終わると友達と階下にあるカフェ・ドゥ・マゴへ直行し、コーヒーを飲みながら観終わったばかりの映画についてああでもない、こうでもないと語り合うのがその次に待っている楽しみである。
パリのサン・ジェルマンに本店のあるこのカフェで擬似パリ体験、というわけだ。それでもスクリーンの中のカフェと決定的に違ったのは、店内を見渡せばブランドバッグなんかを持ったやけにお行儀のよいお客さんばかりで、ぼさぼさ頭で議論に夢中の人なんて一人も見当たらなかった点だろう。

東京におけるフランス映画の殿堂、ル・シネマの90年代は今思うとすごい作品ばかりが上映されていた(今も、もちろん悪いわけではないが、昔に比べると上映作品にそれほど魅力を感じない。これはもちろん今日のフランス映画の質の低下も関係しているだろう)。若くしてエイズで亡くなったシリル・コラールの遺作「野生の夜に」とか、S・ゲーンズブールがその危ういロリータ的魅力を炸裂させた「ちいさな泥棒」、ヌーヴェルヴァーグの粋を集めたオムニバス映画「パリところどころ」など、その後の人生で忘れることのできない名作のまさにオンパレードである。

そんな時代に観た作品の中でふたつ、当時の私にとって衝撃的だったものがある。それらの作品を、たしかル・シネマではなく六本木あたりのミニシアターで観た気がする。それはミケランジェロ・アントニオーニの【欲望】(原題:Blow up)と、マイケル・サーンの【ジョアンナ】である。これら二つの作品はそれぞれ66年から68年のロンドンを舞台にしているという共通点が面白いのだが、60年代中期以降と言えばスウィンギング・ロンドンのカルチャー真只中だ。90年代にこれらの作品を観た私は30年も遅れてこのカルチャーショックを味わったのだが、どちらの映画も観た後には体中に鳥肌が立っていて、自分が生きている時代がすっかり色褪せて見えたものだ。

そのくらいこれらの作品にはこの時代の音と色彩、そして言うまでもなく若い世代における大きな価値観の変革というパワーが漲っていて、もちろん今観ても少しもその魅力は褪せていない。
例えば【欲望】と聞いてまず思い出すのはデイビッド・ヘミングスの洗練されたホワイトジーンズ姿や、人気フォトグラファーである彼が暮らすお洒落なロンドンのスタジオ兼フラットだろう。
当時のトップモデル、ヴェルーシュカにカラフルなミニ・ドレス姿のジェーン・バーキン。極めつけは ヴァネッサ・レッドグレイブの素肌にネクタイ姿に至るまで、とにかく何よりもまずスタイリッシュな映画なのだ。
そして、謎の殺人事件というスパイスを利かせた作品にも拘らず、一切のドラマ的効果を狙った音楽や演出はゼロ、というのもアントニオーニ作品ならではの斬新さである。それはあたかも日常生活に紛れた殺人、さらにはそれすらもドラッグの煙の中に埋没していこうとするかの如く不確かなもの=大騒ぎするほどの事ではないものとして扱われる。時折り覚醒するかのように流れるハービー・ハンコックのジャズだけは、一点の隙も無い抽象画のような映像に人間的な緩みを与える。
【あると思えば、ある。ないと思えば、ない。】といった現実とイマジネーションの境目を漂う世界。これはやたらと神や人間による裁きを持ち出すハリウッド的思考に慣れてしまった人々にはもしかすると【斬新過ぎてよくわからない】作品かもしれない。

一方、【ジョアンナ】はかなりマイナーな作品と言えるだろう。先に言っておくとこの作品は、イタリアの巨匠アントニオーニの作品群と肩を並べて語られるような映画ではない。ストーリーも陳腐で、監督もどうやら本業ではないらしい。でもだからといってこの作品の魅力が差し引かれるわけでは全くない。この作品の魅力はまさにその【出所不明】な面白さにあるのだから。
ジョアンナという19歳くらいの主人公がとにかく意味不明で見ていて楽しい。声も幼ければ頭も幼い美術学校生のジョアンナ。でも抜群にスタイルが良くて、自由で、60年代ファッションが惚れ惚れするほど良く似合うのだ。最初から最後までカラフルな衣装とロンドンの街の魅力に我を忘れてしまう。そしてどこかノスタルジックなマックイーンの音楽は一度聴いたら忘れられない愛おしさだ。映画を観た当時このジョアンナと同じ年くらいだった私は、完全にこの映画にそれまでの価値観みたいなものをひっくり返されて映画館を後にした。

最近しばらく映画を観ていないのがとても残念だ。せっかく学生時代からの憧れだった映画の都パリにいても、コロナ前から徐々に映画館から足が遠のき始めた。なぜだかはわからない。もしかしたら、プライムやネットフリックスなどのおかげで映画は家でいつでも楽しめると思ってしまっているのかもしれない。でもあの東京の学生時代、毎回わくわくしながら通ったル・シネマの大きなスクリーンで見た数々の予告編や、上映後に素晴らしい体験の思い出として、決して安いとは言えない立派なプログラムを買ったりしたときの興奮に勝るものは決してないように思われるのだ。


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