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煙草警官と聖女伝説


「一本いかが?」

「頂くわ」

敵対していた二人の女の間を取りもつ煙草の煙。 

煙に委ねる人生の溜息。
ほろりと溢れ落ちる本音。

ペネロペ クルス主演のスペイン映画
「パラレルマザーズ」のワンシーン。


主演のペネロペちゃんは40代後半。
煙草を勧める相手役の女優さんは、10歳くらい年上だろうか。

「大人の女が語り合いながら、煙草を吸う姿ってなかなか味わい深いわ」



もう長い間、煙草から遠ざかってるけど、還暦を越した今、友達とこんな風な時間を過ごしてみたい。



でも日本では、映画のようには行かないでしょうね。


何故かと言うと、急に牙を向く人が出てくるわ。女が煙草を吸うと。

体に悪いからとか、そんな理由じゃない。



1980年代、バブルと呼ばれる時代に青春期を過ごした私。

仕事帰りに、親友と二人でサテンに長居して、(昭和の時代はカフェでなかったの。喫茶店、サテン)
煙草を吸いながら語り合った仕事の愚痴や恋の悩み。 



この頃にはもう、喫煙の健康被害が叫ばれていたけど、未だゆる〜く捉えてる人が多かったから、喫煙者が大勢いた。煙草の値段もうーんと安かったし。

私の周りにも、煙草を吸う娘達が少なくなかった。


でもまぁ、皆んな大っぴらに吸っていた訳ではなく、大半は親の目や世間の目を気にしてこっそりと。

「なんで、吸ってたの?」
と、聞かれたらどう答えようか。

煙草を吸う方が格好いいわ。ただ粋がって不良がって。
不良の方が格好良く思えた。
私は世の中に慣れてんのよ、と。


そんな中に、忘れもしない初代の煙草警官が現れた。


23歳の冬の事。
友達と京都に旅行し、粋な小料理屋さんに飛び込んだ。


白木のカウンターに並ぶ、おばんざいと美味しい熱燗。
女将さんの京言葉に酔いしれていると、隣の席に女将さんが「団さん」と呼ぶ常連さんが通された。


「団さん」は、関西では主の別称。
関東で言う「社長」みたいな感じかしら。


今思えば、50代かなぁ。
さらりと着物を気流す彼は、染め物問屋のご主人だった。


「旦さん」が教えてくれる京都の話しが面白くて、時を忘れてしまう位だったけど、少し酔いの回った私が煙草に火をつけるなり、彼は顔をしかめてこう言った。

「おねーちゃん!
酒はかまへんけど、煙草はあかん。
女が煙草吸うと蓮っ葉に見えるんや」

と、茶目っけ混じりのお小言が飛んで来た。


私はバツが悪くなり、縮み上がって一挙に煙草を揉み消してしまった。

何でバツが悪いのだろう…


女が煙草を吸うのはハシタナイ。
心の底では旦さんの意見に頷いている私がいた。

誰かに教えて貰った訳じゃない。
幼い頃から感じていた社会通念みたいな物だ。

2代目は、同じ頃にごく短期間だけ付き合った人だった。


今思えば、モラハラ気質のその人から、
「煙草を吸う女は下品だ!」
と、猛烈なパンチをくらった。

自由でいたい私と、「女だてらに」と考える人とでは、合う筈もなく瞬く間にTheEnd。 
でも結構傷ついた。


後になって、このモラ男さんからは大切な事を学んだと気付くのだが。


未だ自分の事をよくわかってなかった私に、どんな人が合うかを教えてくれた、最初のきっかけだった。
それまでは関白亭主に憧れていたのだもの。

私を自由にしてくれる人が良い。
「女だてらに」を振り翳さない人が良い。

だからと言って喫煙を辞めた訳ではなかったが、結婚を機に私も友人達も潮が引くように、煙草を必要としなくなった。



「いちご白書」の歌詞にもあったっけ。
学生時代に就職が決まると、ロン毛にしていた男の子達が髪を切るように。



その後の私は日常的には吸わないが、時たまお酒を飲んだ時だけは煙草を吸いたくなった。


お酒で緊張が解れると、あの解き放たれるような柔らい煙の中に、心を委ねたくなってしまうのだ。



結婚相手は私を何事も型にはめず、喫煙も場所さえわきまえればオッケーな人だったから、私は伸び伸び自由になった。


時は流れ、10年近く前の事。



私は既に五十路を過ぎていたのだが、何とびっくり!3代目が現れたのだ。


娘っ子で無くなっても、煙草警官に捕まるなんて。


親しい友人夫婦が主催する、彼らの同窓生の飲み会に誘われ参加した。
殆どが男性で同世代、初対面の人達だった。

お酒を飲むと吸いたくなる私。
ちょっと人目が気になるが、
まっ、いいか。
「一本ちょうだい」
と、お隣さんに貰って吸っていると、名前も知らない男が私に向かってこう言った。

「まるで やな。」


「何がまるで よ!」


と、喧嘩越しで言い返したが、その言葉を跳ね飛ばす事が出来ず、本心では辞めておけばよかったと、しょんぼり。


煙草を吸うと急にやさぐれ女に見なされる。
この原因は何処にあるんだう?

なぜ私も、失礼な男の言葉を無視する事が出来ないのだろう?自分が腹立たしい。


若い頃から、人前で煙草を吸う度に、後ろめたく道を外しているような気持ちがいつも漠然と付き纏う。

その漠然の正体はいったい何なのか。

思うに、日本の社会が普遍的に女達に求めて来た理想像は、女は何時もお淑やかな聖女であらねばならぬ。


女の喫煙は、このイメージから大きくかけ離れてしまうのだろう。
煙草と聖女はいかにもアンマッチだ。



聖女イメージからはみ出すと、煙草に関わらず、日本の社会は女にNOを言う事が多い。男に関わらず同性の目も厳しい時がある。



正直に生身の女でいると、
「やさぐれ女」とリスクを背負う事になる。

つい最近観たイギリスのドラマに、こんなシーンが出て来た。

法廷を終えたばかりの2人の女性の弁護士が、お互いを労いながら煙草を吸う。

ヨーロッパには、煙草警官はいないみたいだわ。
日本だけかしらね?




深まりゆく秋。
私の人生にもその季節が訪れている。


そろそろ、聖女の仮面を脱ぎ捨てて生きてみたいなぁ。














































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