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思わず僕の口から出たのは「ありがとうございます」だった

このところ「忙しい」の一点張りで、誠に申し訳ない。

そもそも「仕事で忙しい」という人の話を僕は話半分にしか聞かない。
会社とは実態のないものであり、そこで働く8時間は仮初めだと思うから、「仕事で忙しい」というその忙しさを僕は信用していない。
どんなにその8時間が忙しくとも、極論的には退職すれば翌日からは平穏な8時間を取り戻すことができるのだから。
だから僕は自分がいくら仕事で忙しくても、「忙しい」と口にすることは避けてきたつもりだ。

一方で「生活で忙しい」はそのままその人の忙しさだと理解している。
嫌になったからといって明日いきなり生活を手放すことはできないのだ。

一昨年、退職を選んでフリーになり、自分の仕事の質が変わってきた。
自分で選び取る仕事だから、それは自分の人生そのもの…とまではまださすがにいかないが、少なくとも仮初めの8時間ではなくなったのだ。
だから、このところ口を衝いて出る「忙しい」は、形としては仕事の忙しさだけど、気分的には生活の忙しさと感じている。
話半分でなく話八分くらい聞いてやるかと思えるものになっているのだ。

かみさんが先週ちょっとした不調を訴えた。
僕は仕事をキャンセルし、かみさんを病院に連れて行った。
正念場3日間と定めた初日に不測の事態が起きたというのがそれだ。

朝早く行ったはずなのに、大きな総合病院だからいくつか検査を受けているうちに正午の鐘が鳴り響く。
結果は既知の持病以外に大きな問題はなく、点滴だけしておきましょう、付き添いの方はその間に昼食済ませてきてくださいとなった。
僕は急いで帰宅し、レトルトカレーを飲み込むように食べた。
これよこれこれ、こういう忙しさを本物の忙しさというのだと思いながら。

そして病院に戻り、看護師に戻りましたと告げたとき——

「あ、おかえりなさい、息子さんですか?」

思わず僕の口から出たのは「ありがとうございます」だった。

※それだけを書きたかったのに、前半いる?

(2024/2/14記)

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