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連れ帰ってくれたタクシーにひたすら感謝

タクシーに目上の人と乗り合わせるとき、いつも困る。
目上の人をおいてわれ先に乗り込むのはいかにもスマートではない。
といって後で乗れば、支払が終わるまでその人を待たせ、金銭授受の一部始終を見せることになってこれもスマートでない。

タクシーって難しい。
親からは、あれは金持ちの乗り物だと諭されていたから、そう信じている。
実際、電車やバスより格段に高いから、それもあながち間違いではない。

目黒区の学芸大――大学は移転してすでになく、駅名だけが大学だ――に住んでいた頃、横浜の戸塚に朝から用務で出かけることがあった。
朝起きたときから少し体調の異変を感じてはいたが、寝不足だろうと軽く考え、戸塚に向かった。

同僚5人ほどで他社を訪ね、終日説明を受けることになっていたが、現地に着くなり僕はトイレに立て籠った。
上から下から出すものすべて出しきったが、悪寒や頭痛がひどく動けない。
同行していた上司に申し出て帰らせてもらうことにした。

しかし、JR線で横浜に出て東急東横線に乗り換えるというレベル0のミッションですらその日の僕にはまったく不可能と思われた。
そんな僕を見て上司はすぐタクシーを呼んでくれた。
え! 金持ちの乗り物で県境を越える?と目が点になったが、それ以外に方法がないことは明らかだった。

タクシーにぐったり座り込み、運転手に学芸大までと告げた。
それどこ?と訊き返されるだろうと身構えたのに、無言で走り出すあたり、日々金持ちはあたりまえに県境を越えるのだなと思った。
あまりに顔色が悪かったのだろう、高速に乗ってよいか確認されたあとは何も言わずそっとしておいてくれた。

「お客さん、着きましたよ」
走り出してすぐ寝入っていたようだ。
おかげで、苦しむことなく着いた。
「12,000円です」
ま、まぁ、そのくらいはするだろう。
なにせ金持ちの乗り物なのだから。

この日を境にタクシーを見る目が変わった。
当然だが、乗りたい場所から降りたい場所にダイレクト。
そのとき限りの自分専属の運転手を雇うに等しい。
電車やバスとは運賃が違ってあたりまえだ。
といって金持ちの乗り物には変わりないし、いまだに目上の人と乗るときにはどぎまぎするけれど。

あとで判ったが、その日の僕は当時はやりのO-157だった。
前日、閉店間際のスーパーで半額になっていたイカ天が怪しい。
連れ帰ってくれたタクシーにひたすら感謝しながら、僕はその日から10日間ほどボロアパートで悶絶することになるのである。

(2023/7/11記)

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