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歳取ったら分かるって

「(へんいち)ー! ちょっと針に糸通してー!」

食卓から母の声がする。
40年も前の話だ。

狭い実家にはリビングなどと呼べるしゃれた空間はなく、夕食後も両親は結局食卓に残り、父がTVで野球を観る傍ら、母は裁縫をした。
子供にはそれぞれ部屋が与えられていたから、僕はすでに自室に退散していたのだが、その僕にお呼びがかかったのだ。

「(へんいち)ー! (へんいち)ー!」

読書でもしようかと腰を落ち着けたところだったが、お呼びとあらば行くしかない。

もちろん呼ばれたのは(へんいち)ではなく本名だけど。
以前、オン会だったか、僕の本名をへんいちだと思われている方がいて、全然違うんですよと本名告げたら、うそー!と驚かれたことがある。
だから、その驚きと同じくらい、上の母の言葉に(へんいち)と入れることは僕にとって大きな違和感があるが、ここではやむを得ない。

「え、針? 糸?」
「そう、これにこれ通して」
「え? これができへんの?」
「さっきからがんばってるけど、見れば見るほど穴が2個に増え3個に増え、そうか思たらまた2個に減ったりして、もうムリ」
「えー! なんでこんなデカい穴が増えたり減ったりすんねん」
「いや、歳取ったら(へんいち)も分かるって」
「ほれ、通したで」
「うわ、早っ! ありがとう、助かるー!」

そんなことはよくあった。
そのたびに
「え? これが見えへんの?」
「(へんいち)も歳取ったら分かるって」
のくだりを繰り返した。

昨日、洗濯物を畳みながら、自分のお気に入りの服に綻びを見つけた。

裁縫セットを持ってくる、針を取り出す、糸も取り出す。
リビングはあるが、食卓で。

そしてもちろん、糸は穴に通らない。
穴が2個に増え、3個に増え…どころではなく、穴が見つからないのだ。
指で確認すると確かに穴はあるらしいが、まるで見えない。
お手上げだ。

そうだ、糸通しなるものがあったはず。
輪っかになった針金を針穴にちょいと差し込んで糸を通しやすくするアレ。
家庭科で習ったときは、誰がこんなん使うねんとバカにしていたが、はい、僕が今から使うんです。

すごいよなぁ、これさえあればあの小さな針穴が大きな輪っかになるのだから、誰だって、誰だ、誰…
糸通しすら針穴に通らない。
キーーッ!

懐かしい母の声がした。

「ほらやっぱり」

いたってふつうの人と思っていたが、母は実は予言者だったのだろうか。

(2023/12/27記)

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