見出し画像

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に

その昔、父の仕事のフィールドは淡路だった。

橋はまだなく、家族で父の車に乗ってフェリーで淡路に渡り、島内あちこちで仕事をする父を海水浴で待ったり、鳴門観潮船で待ったり。
父といっしょなのは移動だけだった。
仕事を休むことを知らない昭和な父との、それが家族旅行。

そんな僕も、10月から勤務地が神戸から淡路になった。

明石海峡大橋を淡路側から見る、通勤途上のある朝。
対岸の右端に見えている山が、小中高時代を過ごした塩屋のあたり。

画像2

全長4km、高さ300m、世界一の吊り橋はやはり巨大。

淡路に入って一週間、いろんな業界、階層、世代の人たちに話を聞いた。
平成の大合併からひきずる課題、産業の持続性の問題、人材大手の本社移転にともなう東京から淡路への千人超の移住問題など。
以前愛媛で取り組んだような村おこしをするわけではない。
ただ、現地の声を知らずに動く愚はそのとき十二分に学んだから。
さぁ、しばらくがんばるとするか。

朝、道路が海に沿うポイントで車を停め、大きく息を吸い込んだ。

画像3

***

国産み神話によると、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島の中で最初に創造したのがオノコロ島と淡路島。
奈良や京都など比にもならない、超越した歴史を持つ島。

百人一首にある淡路を詠んだ歌は、小さい頃真っ先に覚えた。

淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)
来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ(藤原定家)

〈淡路〉とは、阿波(徳島)に至る路という意味で、律令時代の南海道が大和→紀伊→淡路→阿波…と通ることに由来する。
古代には御食国(みけつくに)とも呼ばれ、朝廷に食物を貢いだ。
今なお食料自給率100%超を誇る食の島は、海産物も農産物も実に旨く、以前あげた〈生しらす丼〉も淡路だからこその逸品だ。

画像7

江戸時代、阿波の支配を受けた淡路は、長らく続いたお家騒動の影響から、阿波からの独立を企てる。
その願い空しく明治の廃藩置県では阿波と一体の名東(みょうどう)県となるが、再びいざこざが勃発し、多数の死傷者が出る事態に。
これをもってついに淡路は阿波の支配から逃れ、兵庫県を強大にしたかった初代知事・伊藤博文の意向で兵庫県に編入となった。

***

帰路の夕刻、朝と同じ場所に車を停める。

画像4

画像5

あぁ絶景かな。
心洗われるとはこのことか。

大橋を望む丘に着く頃には、とっぷりと日が暮れていた。

画像6

朝の1枚とは打って変わって、対岸の神戸の灯火がまぶしい。

***

地図を眺めて、淡路島と琵琶湖が同じ形だと思った人は多いはず。
ん? 僕だけ?
滋賀県のど真ん中がなぜかスポンと飛び出し、瀬戸内海にパシャンと落ちたのが淡路島、抜けた凹みが琵琶湖、今でもそう信じている。

飛んできた淡路島を、元あった琵琶湖の地に戻してみよう。
これでぴったりはまれば僕の説は正しい。

画像1

むむむ…淡路島:592.55km²、琵琶湖:670.4 km²。
淡路島、ちょっと小さかった。

(2021/10/9記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!