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祖母の死と、わたしの希死念慮。

今年に入って、生まれて初めて、身近な人が亡くなりました。祖母です。

わたしは占い師をするほどに陽のエネルギーが強いので、38歳になった今まで、家族・親族・友人・知人……それこそ犬やハムスターのペットに至るまで大往生で、近しい人の不慮の死が全くありませんでした。(夫繋がりでは、何人かいらっしゃいましたが)。

祖母も、80代半ばの大往生。
ここ3年ほどは、肺の病気で入退院を繰り返していたので、コロナに罹ったら即アウトだなと思い、あまり接することができなくて寂しかったですが。。(わたしは無症状保菌者の可能性が常にある仕事なので)。


祖母自身、昔から「寝たきりになったり、認知症になるのは嫌だ」と言っており、70代でもスイミングスクールに通い、足腰を鍛えていました。
車の免許も、50代かな?そのくらいで取得しており、ずーっと仕事もしており、強く逞しく、歳を重ねてからも新しい挑戦ができる、聡明な女性でした。

わたしの両親は『毒気味の親だったな』と強く思います。勝手に産んでおいて、
「長子なんだから!しっかりしなさい。妹たちのことで大変だから、迷惑をかけないで」
なんて言い放ってしまうタイプの、ネグレクト系の毒を帯びていました。

なので、祖父母にはかなり、育児面でお世話になったわたし。
祖母は家族の中でもかなりまともで、わたしもとても尊敬していたし、好きでした。
親が『自分達に迷惑がかからないよう、厳しく躾けた』のとは異なり、祖母のしつけは『Allieが将来、恥をかかないように』と、そんな想いを感じられるものでした。

だからこそ、亡くなったらどうなるのだろう?今までこんなに、「安楽死・尊厳死を認めるべきだー!!」と声を荒げていたのに、身内のこととなったら、一変したらどうしよう?くっそ、ダサくない?と思っていましがた、杞憂でした。


肺の病気で大学病院に入退院を繰り返していましたが、じわじわと行動範囲も狭まり、その影響で筋力も衰え、徐々に寝たきりに……という感じでしたが、完全に寝たきりになったのは、一ヶ月かそのくらいでした。

わたしは、周囲(主に主婦友達)から聞いていた実体験をもとに、
「なんだかんだで、寝たきりになってからも、ターミナル病棟で数ヶ月〜一年は生きてくれるだろうな」
と、あまり深刻に親からの連絡を受け止めていなかったのですが、まさかの、ターミナルに移動してからは一週間あったか??くらいの、スピード死去でした。

「おばあちゃんの調子が悪いらしく、来週の◯曜日、面会許可が出ました」
親から来たLINE。コロナなので、面会に制限があったのです。
「了解です。なんとか、日程を調整します」
返信しました。


その翌日。
朝、わたしがまだ爆睡していた時間に、LINEが入っていました。
昼ごろ起きて、見たら、

「おばあちゃん、◯時◯分に亡くなりました。おじいちゃんと、私たち(両親)は看取ることができました」

ま、まじか……。

正直、南極に行って以来めちゃくちゃカンの冴えているわたしでも、『虫の知らせ』は全くなかったです。
芯は強いけど控えめで、自分に注目が集まるのが嫌いだったおばあちゃんらしいなあ。と思いました。

なので、祖母の姿を見て、会話は乏しかったけど、視線や手振りで意思疎通をしたのは、お正月が最期になりました。
あの時、夫と共に、会えていてよかった。

コロナを気にして距離を取るわたしよりも、積極的に話しかけており、さすが夫。コミュ力お化けだなあと思った次第です。


何よりすごいと思ったのは、祖母の強い意志です。
「寝たきりも、認知症も、嫌だ」
と言って、それを叶えてのスピード死去……なかなか、叶えたくても簡単には叶えられる夢じゃないのに、すごいです。

わたし以外の家族にもかなりそれを強調していたので、医師にも『積極的な延命治療はなしで』と、頼んだそうです。

それにしても、です。すごいなあ……!!!

おばあちゃん。かっこいいです。潔い旅立ち。尊敬します。


わたしは、亡くなったその日のうちに、祖母宅に向かいました。お花を供えて、祖母の亡骸の前ではらはらと泣きました。
大往生で夢を叶えたのだから、悲しくはないけど、、もう二度と、会えないんだなあ……と思うと、とても寂しくなりました。

幼少期からの思い出も、頭をぐるぐると駆け回り。
今まで書いた通り、芯が強く、努力家で、有言実行する建設的な姿しか思い浮かびません。

着物が好きで、夏祭りやお正月、よく着付けをしてくれたなあ。
15歳の頃だったか、布のカタログを見せてくれ、
「Allie用の着物を仕立ててあげる。どの柄がいいか、自分で決めなさい♫」
と、祖母も嬉しそうにしていたこと。

20歳くらいの頃か?時事的な問題で、夏に予定されていた花火大会が秋になり、浴衣を着たいと言ったら、
「それはマナー的におかしい。ダメです!」
とキッパリと断られ、渋々、自分で着付けをして『おばあちゃんと比べると、わたしの着付けは……目に余るなあ』と思ったこと。

調べたら、浴衣を着てもいい時期は6〜9月みたいですね。
当時のそのお祭りは、9月の半ばだったと記憶してますが……祖母の時代の意識的には、8月までだったのかもしれません。


四十九日も無事に終えて、無宗教の我が家は葬儀屋さんと提携しているお寺に頼んだそうですが、そこが浄土宗で、お通夜や告別式で木魚を叩きながら読経するお坊さんの背中を眺めながら、
「あ……木魚、裏打ちじゃない?馴染みのある、高野山の般若心経は、違った気がする」
なんて、音楽好きっぽいことを考えていました。

これも、調べたら浄土宗はバックビートが基本だそうです。



そんなわけで、大切な祖母が亡くなっても、わたしの希死念慮や死生観は、1mmも変わりませんでした。

むしろ、お葬式って大変だな……と強く思ったので、わたしの最期は動物に喰われるか、どこか外国の海やジャングルで行方不明になり、そのまま自然に還るのが理想的だと思いました。

そういうことも、エンディングノートを用意して、書いておかないとですね。
お墓に入るのは絶対に嫌で、もし行方不明の夢が叶わないなら、散骨してほしいです。

同級生では、「すでにエンディングノート、用意してるよ!」って子もいて、すごいなと思います。意識が高い。
彼女は、子宮頚がんの検査に引っかかったことがあるそうで、ペットも飼っており、そういう点も踏まえて早めに用意しているそうです。
み、見習わなくては。



以上、長々と読んでくださった方、ありがとうございます。

人の死。重いテーマですが、わたしみたいに軽やかに考える人もいますよ!ってことが伝わると嬉しいです。
きっと、人の数だけ、死生観って違うと思うので。

生きたいと思う全ての人が、健康に安全に生きてゆける世界を望みます。



まだまだ物書きとして未熟者ですが、サポートいただけたらとても嬉しく、励みになります。