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「愛」ということについてのメモ

観方が世界をつくっている

人はさまざまな”観方(Paradigm)”で自分や相手、そして世界を観ていて、
それに基づいて、感じ(sensing)・考え(thinking)・動いている(doing)と思う。
  
この観方は、その人の個性ともいえるように備わる「感性」と、後天的に得る「知性(人間や世界の理解の仕方)」、そして自分の根底にあるこの世界で自分が体現したい「願い」とによって、変化していくものだ。

あり方

自分の観方に影響を与えているものは様々あるけれど、これもその1つだと思っているのが、アインシュタインがリーゼルという娘さんにあてた手紙

いろんな方々が紹介しているので、目にしたことがある人もたくさんいると思う。ちなみに、これを映画として表現しているのが『インターステラー』だと私は思っている。

さてその手紙ですが、こんな感じ。

娘リーゼルへの手紙

私が相対性理論を提案したとき、
ごく少数の者しか私を理解しなかったが、
私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、
世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。

必要に応じて何年でも何十年でも、
私が下記に説明することを社会が受け容れられるほどに進歩するまで、
お前にこの手紙を守ってもらいたい。

現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、
ある極めて強力な力がある。

それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、
宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、
しかも私たちによってまだ特定されていない。

この宇宙的な力は愛だ。

科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、
彼らはこの最も強力な未知の力を忘れた。

愛は光だ。
それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。

愛は引力だ。
なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。

愛は力だ。
なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増やし、
人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。

愛は展開し、開示する。
愛のために私たちは生き、そしてまた死ぬ。

愛は神であり、神は愛だ。
この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。

これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない
宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れている
からだろう。

愛に視認性を与えるため、
私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E = mc²」の代わりに、私たちは次のことを認める。

世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛
によって獲得することができ、愛には限界がないため、
愛こそが存在する最大の力であるという結論に至ったと。

私たちを裏切る結果に終わった、宇宙の他の諸力の利用
と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギー
で自分たちを養うのは急を要する。

もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら
もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら
もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら
愛こそが唯一のその答えだ。

恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと
貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。

しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、
しかし、強力な愛の発電機をもっており、
そのエネルギーは解放されるのを待っている。

私たちがこの宇宙的エネルギーを
与えかつ受け取ることを学ぶとき、
愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、
愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。

なぜなら愛こそが生命の神髄(クインテッセンス)だからだ。

私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを
深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。

恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、
私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、
お前に告げる必要があるのだ。

お前の父親
アルベルト・アインシュタイン

ここでは「愛」というものが、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、他のすべてを含みかつ支配する極めて強力な力だとしている。

宇宙

愛とは何か?

アインシュタインは光、引力、力、そして神という表現を使いながらそれを表現しようとしている。

私自身もこれを言葉で十分表現できる自信がない。それは私の自信というより、言葉というものの限界かもしれない。

それでも、今この時点で思うことを表現するとしたら、こんな感じかもしれない

”そこには評価も判断もなく、見返りのようなものへの期待もなく、ただ何かを与えたいという感覚。見返りへの期待はないものの、与えたものを受け取ってもらえた時に確かに生まれる深いよろこび、満たされ包まれるような感覚。受け取ってもらえなかったとしても、それを与えようとしたそのことに満足できるような感覚

ただそこに咲く

ここでは与える・受け取るという言葉を使ってみたが、それは「個」の中で完結するものではなく、「間」に起こるものであり、違う表現をするとしたら、その「間」に生まれてくるもの、そこにあるものと言ってもいいのかもしれない。

与えようとしているものは、形として見えるものだけではなく意識を向けることも含まれる。たとえば祈りのようなものも含む。いやむしろ形として見えないエネルギーのようなものが「愛」で、それを表現する手段の1つに形として見えるようにするということがあるだけなのかもしれない。だからこそアインシュタインは愛は光であり引力であり力と表現したのか?!
  

VisionaryWork

さて、ここまで書いてみて内省してみる。なんで日曜の朝に急にこんなテーマでnote書きたくなったのだろうか?ww

それはきっと、自分の人生のVisionをもう一度深いところから見つめてみたいという、内から湧いてくるここ最近の衝動があるからかもしれない
  
私がこの人生を通じて見てみたい世界観という意味でのVision、それはこんなイメージ

「あ~今日も楽しかった、明日は何をしようかな」と誰もが思いながら、心からやりたいと思うことをして毎日を生きている。それは同時に自分には出来ないことを誰かがしてくれているという相互作用があるからこそ出来るのだけれど、そこに自己犠牲のような感覚はなく、だれもが自分のすることをよろこびからしていて、それが結果的に誰かの必要を満たしよろこびを生んでいる

人は人と関わりながら日々生き、なんらかの活動をしているのだと思う。であるならば、それによってたくさんのよろこびが得られるなら、人生は豊かで楽しいのだと思う。

わたしがVisionaryWorkと表現するのはそういうイメージだ。

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「愛を与え受け取る人として、VisionaryWorkを体現し、VisionaryWorkerを生み育み生きる。今日もそう決めて生きていきます」
※2023年になってから、”愛を与え受け取る人として”の部分が”愛と感謝の波動で”に言葉が変容しています(2023.11.8追記)

これは、私がもう何年も朝起きたら必ず声に出して一日をはじめる「My祝詞」wwの一節だ。これを声に出すと不思議なエネルギーが湧いてくる。これもアインシュタインの言う「強力な愛の発電機」だろうか?!

自己マスタリー

世界中の誰もがそこにある愛に氣づき、それを体現して生きる世界は現れるのだろうか?

日々エゴに揺さぶられている自分を観ても、「いや~なかなかの道のりだな~」と思う。

自己マスタリーという言葉がある。ピーター・センゲの提唱する学習する組織の中にも出てくる言葉で、自分自身が心から望むVisionや目的の実現に向けて、ワクワクと熱中し、探究し・体現しようとしながら生きようとするプロセスと私は解釈している

その言葉のイメージを借りれば、大事なのはそれが実現するかどうかではなく、その達成の確証はなくともそれでもなおそれをする、そんな自己マスタリーなんだろうな~
  
最後までこのメモを読んでくださったみなさんへの感謝とともに、そんな世界観を一緒に語らい活動できたら嬉しいな~と思う今日この頃です。ありがとうございます~!!!

2024年4月の旅の追記

(※2024.5.4追記)
2024年の4月にイギリス🇬🇧のシューマッハーカレッジにゆき、サティシュ・クマールさんに直に会ってきた。

サティシュさんは、”with love”というメッセージと共に、その存在で深い愛を示してくれているようだった。

今年、日本でも発売される予定のサティシュさんの新刊のタイトルは『radical love』だ。

あらためて、また「愛」という“あり方”について、深く見つめてみたいと思う。


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