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私にとって「書く」ということ

私にとって書くということ。
それは自分を表現すること、そして自分の考えをクリアにまとめる手段。
感じたこと、その時の情景を忘れないように書き留める。
そうすることで自分のことがもっと理解できるようになると私は思っている。

思い返せば私は日記をずっと書いている。毎日ではないときもあるが、毎日書いているといっても嘘ではない。それをもう10年以上続けている。
絶対に誰にも見せられないが(笑)
実際に「ジャーナリング」という紙に思いを書き出すことで、ストレスを軽減し、メンタルヘルスを高める方法があるというのを知り、それを私はやっていたんだなと。

たまに過去の日記を読み返すことがある。その時の自分の思い・考えを確認したり、今と比べて自分は成長しているのだろうかと比較したりする。
文章を読んでいるとその時の自分の気持ちが鮮明に思い出せる。
その日の情景が頭の中に蘇ってくる。
聞いていた音楽や、見ていた景色、どう言う思いで書いていたのか、読むだけでわかる。
もちろん過去の自分だからより一層想像しやすいのだと思うが、人より頭の中で想像する力は強いのではないかと自分でも感じる。

私にとって書くことは習慣である。
何かあれば、もちろん書く。何もなくても書く。
ちょっとした感情の変化に敏感であれるように、ペンを走らせる。読み返したときに、書き方が雑すぎて本当に笑えてしまう。本当に思ったことを感じたままに書くと、支離滅裂で読めたもんじゃないが、感情は伝わりやすい。自分の感情の変化を見るのか単純に面白いから書く。人に向けて書くというよりかは自分自身に向けて書いている。

でも、誰かに向けて書けるようになりたい。
自分が”文章”に助けられ、学んできた経験がたくさんあるからだ。
誰かの気持ちのモヤモヤを言語化して、気づきを与えたい。
面白がって読んでもらいたい。
何を書けばいいのかわからなくて書いては消して、書いては消してを何度繰り返しただろうか。いつも慎重すぎる自分が邪魔をしていた。
これが誰かのためになるのかという疑問と、文章を綺麗に書きたいと思ってしまう。そもそも綺麗な文章とはなんなのかと言う疑問があるが。
最近その気持ちがいい意味で薄れてきて、とりあえず何か書いて読んでもらって反応をみる方がいいと思うようになった。何事もそうだと思うが、トライ&エラーだ。やってみて、やりながら試行錯誤で作り上げていく。
頭の中で考えているだけではまだゼロの状態で何もない。
トライなしにエラーもなく、トライしないと”何も”ないのと一緒だ。
だったら”とりあえず”書く。これが一番。

ということで、トライします。
最近、人生実験だなと思って生きている。これも実験で、面白いからやる。

こんな感じで、ゆる~くやっていきます。

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