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5058gの巨大児として生まれた私

タイトルからしてなかなかパンチのある記事を書こうとしていると思う。

わたしは、今から20年前、5058gで生まれた。

いわゆる『巨大児』に分類されるらしい。

小学校の保健の授業で、おうちの人に聞いてこようという宿題で提出したら、先生から疑われたのを覚えている。

小学生が終わる頃、私はあることを知った。

それは、私と姉の間にはもう1人命が宿ったが、無事に生まれることが叶わなかったという事実。

聞いたときは衝撃だったけど、そこまで深く考えることはなかった。

でも中学生になってから日常の中で、その子がふと頭をよぎる瞬間が増えた。何かに打ちのめされそうになったとき、何かに屈してしまいそうになったとき、諦めそうになったとき、必ず頭の中にその子が出てくる。私はその子の人生も背負ってるから、ここで諦めたらだめだ。そう感じることが増えた。

それは高校生になっても消えなかった。

大学受験の時、私は難関私立校を目指した。もちろん自分の憧れや意志によって決めた。

ただ、自分はその子の分の人生を背負ってるからその子が悲しまないようにしたい。親にその子の分まで孝行したいと思う意識もあった。

その意識は段々自分を追い詰めるようになった。自分の中にもう1人いて、その人に監視しているような感覚に襲われるようになった。

私は、第一志望の大学を直前で受けることをやめた。理由は自分に自信がなかった一択だった。

模試で第一志望の大学でA判定をとった時に、泣いて帰ったことがあった。嬉し涙ではなかった。自分がこれだけ努力してA判定をとったのに、報われなかった時を想像して怖くなった。

挑戦したいのに、失敗が怖かった。

その夜から私は、自分の中にいるその子に謝るようになった。

『あなたの分まで努力できなくてごめんね、逃げてごめんね』

って毎日思っていた。

今でも思っている。

あの子が生きたかった人生を、私は生きていなきゃいけない。

あの子の分まで、何かしなきゃいけない。

私は今でもその意識から抜けられない。

その意識がふっと来たとき、たまの夜に思い出したように泣く。誰に言われたわけでもないのに、私は勝手に自分を追い詰める。

本当にわたしは2人分生きられているのか。あの子が見たかった景色を見させてあげられているか。

あの子は、私の中で確かに生きている。

困ったときには私の相談役になってくれる。

わたしは多分、未だ会ったことのない、そして一生出会うことのない、顔も名前もわからない、わたしの中にだけ生きているあの子と一緒に生きていかなきゃいけないんだと思う。

時にわたしを苦しめて、時にわたしを追い詰めて

時にわたしを包んでくれる

こんな話を周りに出来るわけもなくここまで来たけど、やっぱり吐き出さずにはいられなかった。

妄想癖だとか、気持ち悪いとか、やばいやつだとか言われるかもしれない。

別にそれでもいい。

良くも悪くも、あの子と共存していく。

だから苦しみも楽しみも、悲しさも嬉しさも、出会いも別れも、人の2倍あるんだと思う。

それでもいい。

わたしは2人分、生きてやる。

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