『まあいっか』って一回言ってみて、無理だったら駄々をこねる
久しぶりに人前(それも珍しく親の前)で、涙を流したからこんなnoteを書こうと思う。
私は某予備校でチューターとしてアルバイトをしている。2年目になるが、それなりに仕事には慣れてきて、うまい生徒との関わり方も学んだ。
チューターには、担任制というのがあって何人かの生徒の担任となってミーティングを行う仕事がある。
私は去年、一年目の去年、受験生を含めた15人の担任を務めた。一年を通して、私は生徒と対等に、そして愛情を持って向き合ってきた。
それについては、過去にnoteに記したことがある。
時には厳しい言葉もかけたし、腹も立った。
けど、受験が終わった彼らの顔を見ると、はじめて会ったときの数倍成長していて、感動した。
『受験を通して先生から学んだことは、勉強だけじゃなかったよ』
卒業する生徒から言われたこの言葉を私は一生忘れないだろう。担任を持ってよかったと心から感じた。
そんな私は、今年2年目に入った。そして今日、生徒編成の会議が行われた。
今年受験生となる子たちにとって、最初で最後の受験年を支える担任の存在は大切である。
私にはどうしても担任を務めたい生徒がいた。去年、彼らが高校二年生の時に私が担任を務めた生徒である。
彼らを一年見てきて、私はこの子たちの受験、卒業を見届けたいと思った。どうしても。
だけどチューターが生徒を選ぶことはあってはならない。そりゃそうである。全てのチューターが選んでしまえば、それは不公平であり非常に歪んだ指導になってしまう。
だから私は、グッと堪えた。そして、今日の会議を迎えた。
第一声でチューターの先輩に言われた。
Aくんが(私)先生がいいって言ってた。
心が震えて、涙が出るほど嬉しかった。
私が今年も持ちたいと願っていた、去年もっていた生徒の1人だったから。
どの生徒にも先生の希望なんて聞かないのに、全生徒の中でただ一人だけ、その子だけ、自発的に私を選んでくれた。
『思春期真っ盛りの男子高校生が、女子の先生を希望する』
と発言することがどれだけ勇気がいることか、と思うと、嬉しくてたまらなかった。
しかし、会議の途中、色んなことを考慮していくうちに、Aくんのグループを私が担任をするより違う人が担任をした方が良いのではないかという結論になった。
反論したかった。
しかし、ここで駄々をこねるのはマナーとして間違っていることを頭で認識していた。
だから受け入れた。
まあいっか。他の先生でもきっとうまくあの子を指導してくれる。
そう思った。
会議が終わった瞬間にもう一回口に出した。
『まあいっか。私じゃなくても納得してくれる。担任じゃなくても関われる。まあいっか。』
言った途端に、涙が溢れた。
そこで気づいた。そんなこと思ってない。
次の瞬間思わずこう言った。
『まあよくなんてない、どうしても持ちたい。』
言葉が溢れ出して初めて気づいた。
私はこれを譲ることはできないんだ。
今まで、『まあいっか。』で大体のことを諦めることができた。
やりたかった係に他の子が先に立候補した時。
見たかったテレビの録画を消された時。
食べたかったアイスを食べられた時。
周りから見たら、担任を持つことなんてこれらのことと変わらないと思う。アルバイトだし。
だけど、私には譲れないものだった。
だから、駄々をこねた。
『まあいっか』て言ってみたけど、やっぱりダメでした。私はあの子の先生になりたいです。
LINEに静かに落とした。大人気ない文字列。
チューターをやってて、はじめての駄々だった。
既読だけがついていく中で、恐怖が募った。
10分後、一通のメッセージがきた。
俺は、(私)が担任でいいと思う。他は俺たちでどうにでもする。がんばれよ。
そして他のチューターが続く。
やっぱり、私もそれがいいと思う。
しばらく返信ラッシュのあと、みんなの合意をもらって、私がAくんの担任を務めることが決まった。
嬉しかった。嬉しいとかのレベルじゃない。感謝と感激と、その他の感情が溢れてきた。
そして私は今日、学んだ。
『まあいっか。』って一回口に出して言ってみる。それでも諦め切れないなら、精一杯の駄々をこねよう。
後悔しないように。
私は今日、この瞬間、この子たちの先生として、責任を持って指導していくと決めた。絶対に。
そして、彼らが志望校を諦めそうになった時には今日得た教訓を教えよう。
『まあいっか、この大学じゃなくても。』って言ってごらん。それで諦められないなら、ひたすら駄々をこねなさい。もがきなさい。入りたいと毎日泣きながら、駄々をこねて、勉強しなさい。
明日から頑張るよ、がんばれよ受験生。
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