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Grássy Lips

《 草の匂いのする唇でも、いいですか? 》



本当に食べていくのがやっとだった。
私の少女時代は母一人子一人。生活はいつも困窮を極め、平成の世で私のような子は周りにいなかった。病弱の母は、その脆弱に鞭を打ち、毎月わずかなパート収入を絞り出すのがやっとだった。

「子供が、あんた一人でよかったよ」

いつも母はそう言っていた。私も一人っ子が寂しいと思ったことは、一度もなかった。もし弟や妹でもいたら、もっと貧しかったわけだから。

「私、一人っ子でよかった」

最低限の食事ができる安堵感が、一人っ子の寂しさを上回っていた。

小学校時代のこと。
音楽の授業でよく使うリコーダー( 縦笛 )を失くしてしまったことがあった。二本目を学校に頼んだら、二本目からは有料になると言われた。
しかし、私はわずか千円の費用も親に頼めなかったので、仕方なく校舎裏庭に生えている、アケビの葉をもぎ取り "草笛" にした。
葉のつるつるの方を唇に当て、鋭角に当てると高い音、鈍角だと低い音。必死でコツを覚えて、ドレミファソラシドの1オクターブはきれいに出せるようになった。音楽のリコーダー授業の時、私は草笛を使った。最初は馬鹿にされ、いじめにもあったが、それも時間が経つにつれ、私の草笛はクラスに馴染んでいった。

中学に上がっても、そのまま草笛は続けていた。
やがて2年生になった14歳の夏、地元のローカル新聞から草笛の取材を受け、記事になった。それがきっかけで大手メディアにも取り上げられるようになった。
私は "草笛の天才少女" として、連日メディア出演、一気に忙しい毎日になった。しかし人気は長くは続かず、半年ほどで元の生活に戻った。

一旦は落ちた衆望も、再ブレイクしたのは、3年生になった15歳の夏。
再ブレイクの理由は、曲のレパートリーが急に増えたことだった。
今度は "奇跡の草笛" とフレーズされ、私は本格的な奏者のラベルを手に入れた。花だけだった去年に実がついた格好で、私の貧しい生い立ちからのサクセスも話題になって、完全に成り上がった。母との生活も楽になり、幸せというものを生まれて初めてむさぼった気がした。

私は高校へは進学せず、そのまま草笛で生きていく道を選んだ。
曲のレパートリーはどんどん増え、ミニライブができるまでになった。草笛という唯一無二は強く、CM出演含め、仕事のオファーは多面にわたってきた。
私が出演した、ある口紅のCMキャッチコピーである《 草の匂いのする唇でも、いいですか? 》は流行り言葉にもなった。

江戸時代後期に「笹紅」と言われる草色の口紅が流行したことがあった。日本ではその時以来となる、緑がかったカラーの口紅がトレンドとなって、私は一躍時の人となり、お金はいくら散財しても余りまくる現実が信じられなかった。
年齢とは不釣合いな言動も身につき、毎日贅沢の限りを尽くし、もう幸せというレベルを通り越していた17歳の夏だった。ほんの2年前までは、食べていくのがやっとだったのに。

しかしライブの際、どこの会場でも最前列にいる初老の女性が、冷めた目つきで刺すように私を見ていた。

誰? なんでいつも同じ人が ‥。

ある日、ラジオの公開収録の場で子供のファンから質問された。

「私も草笛が上手く吹けるようになりたいです。どうすれば、上手く吹けますか?」

「たくさん練習しましょうね。練習は嘘をつきませんから」

いつもの、ありきたりなトークのやり取りを終えて ▷ 最後に1曲 ▷ 会場から拍手 ▷ MCの〆。
私は最後に手を振って、ステージをあとにしようとした。

その時、また最前列にあの初老の女性がいるのに気づいた。冷めた目つきで刺すように私を見ていた。

誰? なんでいつも同じ人が ‥。

やがて、この初老の女性の正体を知る時が来た。
ある日、テレビ収録を終えて局のロビーから正面玄関を出た時、突然横から私に近づいて来る女性がいた。いつも最前列にいた、あの初老の女性だった。

「お忙しいところ、ごめんなさい。私、こういう者です」

初老の女性が私に名刺を差し出した。名刺には〖一般社団法人 日本草笛の会 ♢ 代表理事 羅貫一子〗と書かれていた。羅貫理事に尋ねた。

「何か、ご用でしょうか?」

「少しお時間を頂けますか? 日本草笛の会として、お聞きしたいことがあります」

またロビーへ戻った。私と羅貫理事と2人で、ロビー隅のソファーにガラステーブルをはさみ、向かい合って腰掛けた。マネージャーには車で待っているように指示した。羅貫理事は、すぐに話を切り出した。

「あなたの草笛、いつも拝聴しています。でもあなたのは、草笛とは違いますね」

「は? おっしゃっている意味が分かりかねますが」

「あなたの唇と葉には、微妙な隙間がありますよね。唇と葉は密着していないと草笛の音は出ない筈です」

「私、ちゃんと吹いてますよ」

「では、なぜ演奏中、あなたの頬は凹まないのですか? ろうそくの火を消すように頬をすぼめないと、草笛は無理です」

「私、ちゃんと吹いてますよ」

「では、なぜ演奏中、口紅をつけているのですか? さらに口紅の上にリップグロスまで。 お気づきだったと思いますが、私はいつもあなたのライブの時、最前列にいましたし、私も女性なのでリップのことは分かります。グロスつきカラーのついた唇が、それなりの時間、葉に触れていれば少なからずベトベトになります。それなのに、あなたの唇回りは、演奏後に少しも崩れていない。なぜですか、理由を説明できますか?」

「羅貫さん、何が言いたいのですか?」

「あなたは草笛を吹いていない。葉で口元を隠してプとブで唄っているだけですよね。"偽りの草笛" です」

私は震える声を隠すため、渾身に声を荒げた。

「いい加減なこと、言わないでいただけますか! とても不愉快です」

「あなた、先日、子供のファンに『練習は嘘をつきませんから』なんて言ってました。でも、あなた自身が嘘をついています」

「羅貫さん、私たち初対面です。もう少し言い方を薄めてください。苦くて飲めません」

「私ども草笛の会には、子供たちの他に、障害をお持ちの方もいらっしゃいます。みんな、あなたに憧れて、あなたの吹く曲を真似ようとします。でも、いくら練習しても、できません、当たり前ですよね。私たち指導者も、お手本が見せられません、当たり前ですよね。とても迷惑しています。純粋な会の方々に、どう説明すればいいのか」

「それは、羅貫さんたちの指導力不足です。今日はこれで失礼します」

私は立ち上がり、その場を去ろうと歩き始めたが、背後から羅貫理事の声が追いかけてきた。

「偽りの草笛、やめていただけませんか? お願いします」

私は振り返らずに、早足で車に乗り込み、局をあとにした。

2年前 ‥ 私が草笛奏者として、15歳の夏に再ブレイクする前のことだった。

所詮は草笛。吹く曲には限りがある。半音は無理だし、激しいアップテンポは難しいし、2オクターブもちょっと ‥‥ と、このままフェイドアウトしそうになった時、良からぬ光の点が私の頭の隅に灯り、徐々にその輪郭を広げていった。

草笛の音色は人の声に似ている。あの音と同じ声が出せれば ‥。

そう思った瞬間、私は持っていた草の葉を投げ捨て、目を吊り上げ、口先を震わせていた。
そして一心不乱に訓練してから4ヵ月後、完全に "偽りの草笛" をマスターした。抜かりなく、以前、私を取り上げた大手メディアを再訪してのアピールも成功した。
葉で口元を隠し、プかブで唄えばよかったので、曲のレパートリーはどんどん増え、ミニライブができるまでになった。勢いは衰えず、とうとう幸せすぎる日々にまで辿り着いた。

しかしライブの際、どこの会場でも最前列にいる初老の女性が、冷めた目つきで刺すように私を見ていた。

誰? なんでいつも同じ人が ‥ と、運が傾く気配は感じていたけれど ‥。

結局、あの初老の女性=羅貫理事には察知されていた。私は愚にもつかないミスをした。
顔の下半分が、スッポリ隠れるほどの大きな葉を使っていれば、唇と葉の隙間、凹まない頬は隠れて何事もなかった。
そして何より、口紅のTV/CMに出ていた手前、それをPRする事情もあって口紅+リップグロスをつけていた。それが演奏後、少しも崩れていないのだから、目敏めざとい女性には感づかれて当然。私は悔しくて地団駄を踏んだ。
羅貫理事は告発してしまうのか。されたらすべてが終わりだ。私の頭の中がせわしなく動き始めたが ‥。

‥ それから2年後の今、19歳の私は草笛奏者を廃業し、とある運送会社の埃だらけの倉庫で、毎日汗まみれで働いている。来る日も来る日も、たくさんのダンボール箱と挌闘するだけの生活に変わっている。
ほんの2年前までは、毎日贅沢の限りを尽くし、幸せというレベルも通り越していたぐらいだったのに‥。

終焉があっけなく訪れた根元は、あの日、局のロビーで私と羅貫理事が話していた時だった。
あの私たちの会話をすぐ隣の大きなソファーに身を隠しながら聞いていたのは、私のバックバンドのメンバーだった。会話を聞いたバンド・リーダーでリード・ギター担当の彼は、交際していた彼女にその会話内容の一部始終を打ち明けたあとに‥。

「だから、あの草笛ねーちゃんによぉ、失脚でもされたら俺らバンドの生活もやばいぜ。先々月リリースした草笛の新曲 Grassy Witch( 草の匂いのする魔女 )は、インストゥルメンタルとしては異例のセールスだ。しかもまだ売れ続けてる。ライブの日当も、俺らにとっちゃ安定収入だからよぉ。あの羅貫って婆さん、マジ殺るしかねえな。突かれる前に」

「何言ってるのよ、人殺しになったら、もっと生活やばいわよ」

「いや、俺は殺る。俺らみたいな底が知れた何の変哲もないバンドがやってられるのは、あの草笛ねーちゃんが所詮は草笛の音楽素人だからだ。俺らの非力さ、俺の下手くそなギターがわかってないからこそ使ってもらえる。あっちが偽りの草笛なら、こっちも偽りのギターだぜ。これでやってくのに、なりふり構ってられっかよ。とにかく、あの草笛ねーちゃんにコケられたら困る。‥ なんだよ、その顔、また俺によぉ、土木作業員に戻れっつーのかよ!」

目を吊り上げ、口先を震わせ、狂気の沙汰と化した彼からそう打ち明けられた彼女は怖くなり、体中の血が逆流する思いだったと聞いている。結局一日思い回した彼女は、彼が犯罪者になってしまう前に、マスコミに私の偽りの草笛をリークした。

そうして淘汰される時は来た。偽りの草笛は発覚し、草笛奏者のラベルが剥がれた私は一気に奈落の底へ。

私に騙されて本当に草笛を吹いていると信じ、本気で「奇跡の草笛」と論じていた音楽批評家たちは大恥をかいた。

私が受けたダメージは、バッシング、相次ぐ公演の中止 ‥ これだけならまだよかった。強烈なパンチは、私が出演していた、口紅含め、さまざまなTV/CMが打ち切られたこと。そこから莫大な違約金が発生し、私は借金だるまになった。
私がこの時まで、贅沢の限りを尽くしていたことは、しっかり明るみに出ていた。それは今回、莫大な借入金の支払い義務の免責が下りない事由になった。裁判所が「免責不許可事由」が著しいと判断したためだった。

そんな中、折り悪く母も病が悪化し、寝たきりになってしまった。

「親が、母さん一人でよかったよ」

母にそう言った。今ほど母子家庭がありがたいと思ったことはない。もし、さらに病弱な父でもいたらと思うと気もゆがむ。

「でも母さん、一人っ子はつらいわ」

今ほど一人っ子がつらいと思ったことはない。もし姉や兄でもいたら、私の負担も、もう少し軽かったと思うと気もひずむ。

母と2人で住んでいた、都心にそびえ立つ200㎡・1か月家賃160万円超の高級タワーマンションから、都心よりだいぶ離れた僻地の6畳ひと間・1か月家賃2万円の安アパートに引っ越して2年が過ぎようとしている。

2年前まであった、アロマ・ディフューザーから拡散されていた甘美な香りは、鼻をつく古いアパートのすえた匂いに変わった。
2年前まであった、沢山の間接照明から放たれていた、贅沢な光が照らす夢幻はなくなり、今は裸電球のスイッチを入れたあとに、黄ばんだ現実が目の前に現れる。
2年前までの窓の外は、数々の高層ビルを絡め、地平線まで続く広大な東京の夜景が180度広がっていた。今は窓をガラガラと開ければ、だらしない畑と、痩せた野良猫の集団がこっちを見ている。

今夜も倉庫での重労働が終わり、私は疲労困憊に鞭打って、母の体を拭いている。
まだ部屋には、引っ越した時に使った18個のダンボール箱が、中身が入ったまま積み上げられたままになっている。2年間、ダンボール内の衣類を出す力もわかずに過ごしてきた。毎日が職場の倉庫と住まいの往復だけの日々だから、着る服は作業着だけのせいもある ‥ ことも言い訳にして片付けていない。
ずっとダンボール箱が部屋で幅を利かせている。今の私は、職場でも住まいでもダンボール箱に囲まれている。

母が子供の頃から使っている桐箪笥は、母も私もどうしても愛着が離れず、今でも置いているが、まだ何も入れていない。その桐箪笥の引き出しに、もういい加減に、少しずつでも衣類を入れ始めようと思い、まず一番下を開けた。するとリコーダー( 縦笛 )が1本、コロコロと転がりながら姿を現した。

思えば今の酷な状況に陥いる根元は、小学校時代のこと。音楽の授業でよく使うこのリコーダーを失くしてしまったことだった。だから草笛に行き当たった。今になって出てきたリコーダーに私は話しかけた。

「アンタ、何でこんな所にいたのよ。アンタがいなくならなければ、あたし草笛なんてやらなかったのに」

小学校時代の極貧時、このリコーダーさえ、いてくれていたら、今頃は刺激はなくとも優しい平凡はあっただろう。あの時、この箪笥の、この一番下の引き出しを開けてさえいれば ‥。

吹口の部分には、小学生の頃の私の息の匂いが、かすかに残っている。それを嗅いだ瞬間、まぶたの奥が揺れた。泣きながらリコーダーを抱きしめる十代最後の夜は、微々たる温もりの欠片もない。

明日は埃だらけの職場の倉庫で、たくさんのダンボール箱たちに囲まれて、私は二十歳になる。同い年に比べれば、ずいぶん老けた二十歳の顔 ‥ これは仕方ない。草の葉一枚で成り上がり、草の葉一枚で成り果てた。もうずいぶん長く生きている気がする。息が切れても、切れていないふりをして、走り続けた疲弊はしっかり顔に出ている。

霞を食べたら、本当に生きていけるのかしら ‥。

金銭債務と、寝たきりになった母を抱えて、まだこれからも続く寝食を忘れる日々。空の色も忘れる日々。
空の色は、もう忘れた。最近、空を見ていないから。見上げるには、まだ眩しすぎる空だから ‥。


Fin

《 2019.10 / First post on g.o.a.t 》