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夢の昇華

子どもの頃からの夢 

先生になりたい!

子どもたちに社会科を教えることで、世の中を知り、自身で課題を見つけ、人生を切り拓く力を身につけてほしい。

これが私の「夢の原点
そんな夢を持っていたけれど、私は先生にならない道を選んだ。

▼先生にならなかった理由は「夢の原点」をご覧ください。

5年前、地元で勤めていた証券会社を辞めて、人生の岐路に立ち、自分と向き合って行動した結果、上京することを決意。

▼私の上京物語はこちらから

これは、24歳を目前にして生まれて初めて故郷を離れ、都内にある教育業界の会社に勤めていた時のお話。


上京したころに感じていたこと

教育に携わる仕事をしながら、東京でキャリアを積んで、経済的にも精神的にも自立した女性になりたい。

若さゆえのエネルギーと勢いもあり、約5年前に上京しました。

2019年8月某日
東京は台風で天気が大荒れ。
そんな日に人生で初めての1人暮らしが始まりました。

光熱費の支払いも家具の組み立ても初めて。
(料理と洗濯はしてましたが…自他ともに認める「箱入り娘」です。)

東京で、見るもの感じるもの全てが新鮮だった。

電車が分刻みで来ること、一つの駅に辿り着くのに何通りも行き方があること、リュックを背負って電車に乗る時はリュックを身体の正面に持ってくること笑

池袋、新宿、渋谷はダンジョン、出たい出口に出られない。
上野と中野、目黒と中目黒の違いも分からない、本当に田舎の子でした。

東京での社会人生活

上京して勤めた会社は「WeWork」というシェアオフィスの中に会社を構える小さなベンチャー企業。

私が初めて「営業」を経験した場所。
ここで過ごした2年半、ものすごく泥臭い営業を経験しました。

知らない学校名がたくさん書かれた架電リストを渡され、大学・専門学校に新規開拓のみでテルアポをしたり、飛び込み営業をひたすらしました。アポが取れない日は、取れるまで帰れない…

もう電話かけて来ないでください。

架電先がなくなってしまい、何度も同じところに電話をかけて怒られたこともしばしば。

アポイントが取れず、代表から強く叱責されたり、理不尽な要求を言われたり、経験値が無いゆえにどうしたら良いか、悩んで失敗ばかりの日々。

でも、この日々があったからこそ、商談のお時間をいただけることのありがたみを感じられるようになったんだよね。

あるとき「高校に架けてみたら?」と当時の上司(Yさん)の一言で、
高校に「オンラインガイダンス」の提案をするようになった。

すると10件かけたら、8件でアポイントが取れるように!!
(打率良すぎやろ)

なぜ急にアポイントが取れるようになったのか?
いまいち自分でもよく分かってないけど、
(「わかっとけや」の突っ込みは辞めてください笑)
たぶん、先生の気持ちがすごく良く分かるから

毎日忙しい中で、先生が何を気にかけているのか。
「子どもたちと向き合う時間が欲しい」、「子どもたちが将来を真剣に考える機会を作ってほしい」

でも…

校内で小さな取り組みをするとなっただけで、学年会議や管理職に話をしないといけない。
もっと学校を社会に開かれた場所にしたい。
都心の大学や専門学校情報を知りたい。
違う地域に住む学校の生徒たちや社会人と交流させたい。

数年経った今、こういったサービスを提供している会社さんが出てきているが、おそらくこのベースとなるニーズをたくさん聞けていた。(今思えば非常に勿体ない…)

そのころから「探究」「越境留学」の言葉もチラチラ聞くように。
先進的な取り組みをしている学校ともつながりができ、私自身、先生方から多くのことを教わりました。

葛藤している先生に何人も出会いました。
学校を変えたいけど、自分一人だけの力ではどうにもならない

学校へ営業することで、自分が先生としてではなく、外からの力で学校を変えたい。学校を社会に開かれた場所にするために、「教育現場と社会を繋ぐ架け橋になる事業に携わりたい」と思うようになった。

10代の頃から抱き続けてきた「先生になりたい」という夢が、
東京に出て、昇華した。

ICTの普及がまだまだだった2019年。
そこから半年の時が流れて、コロナ渦となり、良くも悪くも時代が変わった。

学校はまともに対面授業ができず、急速なICT化が進んだ。
しかしその歪は大きく、不登校の生徒の増加や、ICTの普及を否応でも進めなくてはならないため、学校現場でひっ迫状態。これから考えなければならない「進路」に対して十分な情報もなく、現地にも行けない。

こういった社会情勢も相まって、「オンラインガイダンス」は高い需要をもたらしました。

多くの進路部長の先生から、進路に迷う子どもたちやICTが不慣れな学校に対しての提案や対応に感謝の言葉をいただきました。
「上手くオンラインが繋げられなくて、すぐに電話を架けてフォローしてくださったこと、大学の入試広報に掛け合って、高校のニーズを伝えてくれたこと…」

先生方は、いつも見てくださっていました。

「仕事しんどくなったら、●●県に来て、先生したらいいじゃん!一緒に先生しようや。」
「僕たちの同志ですね」
「橋本さんだから一緒に仕事がしたいって思えるんだよ。」

会社を辞めた今でも関係性が続いている先生もいらっしゃったり、
私にとって営業やお客様との関係構築のキホンを教えてくれた場所でした。

人生に影響を与えてくれた人(ついに3人目🐗)

これまで色々な「ジョウシ」に巡り合ってきましたが、
一番印象に残っている上司はYさん。
群馬県のご出身で、ちょうど私の一回り上の上司だった。

関東のことを何も知らない無知な私に誤った知識をたくさんインプットしてくださいました。(群馬県伊勢崎市は東京に次ぐ大都会らしいです。)
愛のある痛烈なイジリもたくさん受けてきましたが、一言で言えば、「営業の神様」のような人。

そして、私に「営業のキホン」を教えてくれた人。
お客様に対する「誠実な姿勢」、圧倒的な商談力と交渉力。
心から尊敬できる一流の営業マンでした。

当時、生意気盛りな23才。
(今は多少マシになりましたが。)
H大学の前でYさんと大喧嘩したことも、今ではいい思い出です笑
本当に若かったなぁ…

いつもYさんは私に言ってくれました。
誠実な対応をしていれば必ずお客様が見てくれている。
自分に何かあったときは何度もお客様から助けてもらってきた
。」と。

失敗をチャンスととらえられる人はお客様との信頼を深くできます。
なぜなら「改善できること(=自分自身と会社の伸びしろがある)」ということです。その分、同じ失敗を繰り返さない確固たる信念と行動の徹底が不可欠です。そうなっていない場合には、自分自身の行動を見直す必要があります。
お客様を悲しませることは二度としないこと
今後、自分自身だけでは如何ともし難いことがたくさん出てきます。
そんなときは、次のアクションのスピードが大切です。
たくさんの失敗を通して、成長してください。
僕も数えきれないほどの失敗をして、成長の機会をいただいてきました

上司が私にかけてくれた言葉

今はもう「会えない」「会わない」方だけど、
Yさんから本当に沢山のことを教わりました。心から感謝しています。

最近、私よりずっと年上で、他業界で営業を長くされてきた方から、「橋本さんは、営業頑張ってきたんだね。それが良く伝わります。」とお褒めの言葉をいただくこともありました。これは紛れもなくYさんの教えがあったからです。ありがとうございます。

今後のキャリアの中で、営業をするか分からないけれど、20代で営業を経験して本当に良かったと思っています。

今度は自分の描いた新しい夢に向かって走り始めるので、
遠くで見守っていてください。


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