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「副業解禁」が解放するもの(4)〜失われたフィット、内側から崩れたモデル〜

副業は、社員にも、会社にも、世間にも良いという三方よしな面がある。けれど、最近、特に副業が後押しされるのには、その他にもあまり口にはされない理由があって、それは例の「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルと関係があるんではないか、と言うのが今日のお話です。まず手始めにスライドを眺めてもらいたいと思います。流れる車窓を見るように。

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日本の雇用の仕組みは、「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルでした。しかし、そのモデルの成立には前提条件があります。↓でしたね。

会社が受け取るリターン > 会社が全てを背負うコスト

当たり前ですね。

会社の主たる目的の一つが利益追求である以上、リターンの見込み辛いモデル、利益に貢献する見通しの低いモデルをいつまでも活用し続けたくはありません。

逆に言うと、利益に貢献する見通しの高いモデルであったからこそ、そのモデルを活用し続けてきたとも言えます(もちろん、社会の要請や法律・規制の影響などが複合的に作用した結果でもあります)

失われたフィット

会社が受け取るリターンとは、市場での競争力です。会社が長期間に渡って社員の人生を保障することが継続的な組織能力の構築と向上を促し、結果、市場での競争力が生まれる、はずでした。戦っている市場のルールと雇用の仕組み、つまり「全てを背負うから、すべて委ねてモデル」が市場の環境と「非常に相性良くフィット」して、いわば、勝利の方程式的に機能していました。

しかし、90年代のグローバル化や00年代のデジタル化などは強烈なスピードで市場のルールを書き換えていきます。そして、市場のルールと雇用のモデルのフィット、相性の良さはどんどんと失われていきます。

市場のルールが変わったのですから、雇用の仕組みや「背負うから」モデルも書き換える、あるいは入れ替えるタイミングではあったのですが、2020年に迫ろうかという現在においても言えるのは、書き換えも、入れ替えも十分にはできなかったという実態です。新たな戦場が生まれていくにも関わらず、いつまでも古い仕組みを引きずったままになってしまっているのです。

例えば、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」は日本的経営の強みとして三種の神器とまで言われていました。今や、そうした言葉自体が失われたもの、残骸、あるいは旧弊を指し示す言葉であるかのような感すらあります。少なくとも、「うちの経営の強みは…」と胸を張って言えるワードではなくなってしまいました。いや、そもそも「日本的経営」という言葉自体、すでにノスタルジーの域を出ないものとなってしまいました。

(´・ω・`)しょぼーん

ちなみに、「十分には」できなかったというのは、決して何も試みなかったわけではないからです。市場のルールに合わせて雇用の仕組みを変えようとした試みは確かにありましたし、それが部分的には実現されもしました。

しかし、それを十分には実行できなかった、より折衷的、部分的な実現しかできなかったことが、本来の問題をその後の期間に渡って覆い隠すとともに、また別の問題を産んでしまったことについては後ほどまたお伝えします。

あなた色に染まるから。「背負うからモデル」から「背負ってねモデル」へ

戦っている市場と雇用の仕組みとのフィットが失われただけではありません。「背負うから」モデルを長く続けたこと自体が、会社の中に、微妙な変化を起こしてしまいました。それは、「安定を求めるがゆえの不安定」とでも呼べるものです。

19年就職予定の就活生の就きたい職業ランキングは以下の通りです。

就活生の「就きたい職業」ランキング(リスクモンスター調べ)」
 1.国家公務員
 2.地方公務員
 3.日本航空(JAL)
 4.全日本空輸(ANA)
 5.日清食品

みんな安定感欲し過ぎ…。

個人の選択をどうこう言うつもりはありません。自分自身が就職活動を行なっていた時代(前世紀末の就職氷河期です…)に感じた不安を思えば、ワイルドな未来よりも、ステイブルな将来に魅力を感じる気持ちもわからなくもありません。生まれてこのかたずっと不況だったりとかしてるわけだし。

ある年の調査だけをスナップショットで取り上げて、全てを語ってはいけません。しかし、「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルを長く続けるうちに、「すべて委ねるから、全てを背負ってね」を求める人材が増えたと言う面はあるのかもしれません。そうした人材がさらなる安定をもたらしてくれるとは限りません。会社に安定を望む人材が社内に増えることがもたらすのは、長期的な不安定と言うことかもしれません。

すでに働いている人はどうでしょう?

第1回「隣の芝(企業)は青い調査」〜うらやましい」友人の勤め先〜(リスクモンスター調べ)」
 1.国家公務員
 2.地方公務員
 3.トヨタ自動車
 4.パナソニック
 5.ソニー

へ?

こちらも就活生に輪をかけて、「ここなら安泰」を求めてるように見えます(もちろん、リスモン調べ自体に偏りがあるのかもしれませんが…)

すでに働いていると、安定を求めている、と言うよりも、寄りかかれる大樹を探している、会社ってもたれかかると意外と心地が良い、と言うことかもしれません。

「すべて委ねてるんだから、これからもせめて定年までは、全てを背負ってもらいたい」とか、「すべて委ねてきたんだから、少なくとも子供が大学卒業するまでは、全てを背負うべき」とか、「いや、せめて住宅ローンを返し終わるまで」とか、「いや、子供が大学卒業したけど働いてくれないからこの際働けるうちはずっと」とか、「定年退職して、お家にいると妻に邪魔者扱いされるから、この際、死ぬまでずっと」とかなんとかかんとか言って、会社に寄りかかっている人を見かけることも結構あると思います。

それらは、「社内失業」や「職場の働かないおじさん」と言う言葉に示唆的に表されています。ちゃんとした大学のしっかりした先生方でさえ、それが日本の会社の問題の一つだと捉えています。でも、そもそも「社内」なのに「失業者」っておかしいですし、会社は働く場所なのに「働かない」おじさんってなかなか際どい矛盾がそこには込められています。

ƒ社内失業や働かないおじさんが図らずも実証してくれているのは、会社が全てを背負えば、必ず社員が頑張る、と言う訳ではなくなってくると言うことです。乗っかる人、乗っかりたい人、が現れてきます。そんな気持ちではなくても、払っている給料以下の働きしかできない人と言うのも必ず現れてきてしまいます。それは「背負うからモデル」の強みであった「自分が頑張れば、会社も良くなる」を内側から突き崩します。そもそも、頑張らない、あるいは、頑張ってもコスト以上のリターンを生めないからです。

(´・ω・`)ショボーン

それマジ無理

最後に、身も蓋もないことを言います。

仮に終身雇用を考えた場合、大学卒業から定年まで40年近い期間になります。流行りの人生100年時代や老後の資金不足問題を考えると、退職年齢がどんどん上がって、終身雇用(と言う言葉がもしその時まであるなら)とは、50年を超える期間を一つの会社で働くことを意味するようになるかもしれません。

50年。

今日、この記事を書いている2019年から50年前というと、1969年。サザエさんが始まった年だそうです。2019年、磯野家をスポンサーとして長く支え続けてきた東芝は、4月にアマゾンにその座を譲りました。

1969年は、日本に初めてATM(現金自動預払機)が導入された年でもあるそうです。でも、銀行は今や、現金預払の自動化どころか、Fintechやブロックチェーンを通じて業態自体の必要性すら問われる時代に入りつつあります。

そして、これからの50年。今までの50年と同様に、これからの50年も何が起こるかなど、誰にもわかりません。これから先の50年を見越して「あなたの人生を委ねてね。会社がちゃんと責任を持つからね」と言える企業はどれくらいあるのでしょう?

昔、高校で習った漢文の用法を使うと、「ちゃんと責任持つからと言える企業がどれだけあるだろうか?(いや、ない)」となります(反語というやつですね)

会社自身の将来も不確実なのに、社員の将来を50年近くに渡り全て責任を持つなどど言うことは、一言で言うと、そんなのマジ無理、です。

(´・ω・`)SHOBOHN

そう、マジ無理なことなんです。起きているのは。かつての日本企業は副業を禁止することになんのためらいも、後ろめたさもありませんでした。委ねよ、されば、充実せん、なんですから。

今はどうか?

「背負うから」モデルは市場の変化に対応できず、また、これから、再びフィットを取り戻す可能性もほとんどなさそうです。また、「背負うから」モデルを長期間続けると「背負ってね」モデルを求める人材が増えて内側からそのモデル自体を崩しはじめます。そして、あるタイミングで、「背負うから」モデルはその成立条件が損なわれます。

会社が受け取るリターン < 会社が全てを背負うコスト

不等号が小さく地味でわかりにくいですが、コストがリターンを上回ってしまいます。

前提が崩壊しても、このモデルを続ける。そんなこと、いつまでも続けられるのでしょうか?(もちろん、社会的要請や法律や規制の影響で続けざるを得ない、と言うことはあります)

たとえ重たい荷物であっても、それが大きなリターンを産んでくれるのであれば、会社は喜んで運び続けます。でも、重たいだけの荷物であるなら、誰だって、その荷物を下ろしたくなります。しかも、可能であれば誰かに後ろ指を刺されたりすることなく、そっと静かに、下ろしたくなります。

「『副業解禁』が解放するもの」。と言う表題には、主語も目的語もありません。そろそろ、その主語と目的語に登場してもらう時期がきたように思います。

それが誰で、何をおろそうとしているのか?それは、誰で、何から解放されようとしているのか?

今日の分はここでおしまいとなります。

(4)のまとめ

・「全てを背負うから、すべて委ねて」モデルの成立には「会社が受け取るリターン>会社が背負うコスト」の状態であることが必要。
・「背負うから」モデルは今までの市場のルールには非常によくフィットしていたが、新しい市場のルールには、必ずしもフィットしなかった。そして、それを柔軟に書き換える、入れ替えることも、十分にはできなかった。
・また、「背負うから」モデルを長く続けた結果、社内失業や働かないおじさんと言う言葉に示唆されるように、一部に「背負ってね」モデルが生まれてしまった。
・そして、「背負うから」モデルでは「会社が受け取るリターン>会社が背負うコスト」を実現できなくなってしまった。

次回の記事はこちらからどうぞ。

(5)下ろした荷物

*本記事における記載事項、引用等が法規に抵触する、権利侵害にあたるケースがある場合は、速やかに対処いたします。怒る前にご一報いただければありがたいです。個人のできる範囲で、十分に気をつけているつもりではありますが、至らない場合もあり得るので、先に謝っておきます。申し訳ございません。

*本記事中のスライドにはicooon-monoさまのアイコンフキダシデザインさまの吹き出しを使用させていただいております。ありがとうございます。


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