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日本国が「目指したもの」6~先人に学ぶ災害大国・日本の『防災のかたち』とは?~(完結編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座73ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


さて、

前回まで


先人に学ぶ災害大国・日本の『防災』のかたち


のテーマでお話をさせていただいています。

前編・中編・後編の続きからお話をさせていただきますので、
ぜひ、ご覧になってから、見てくださいね!


前回まで
『東日本大震災』における
釜石市の世界一の防波堤のお話から
わが国の「防災意識」についてお話をしてきました。

今回は、いよいよ完結編。
これまでのお話をまとめ、
日本国が目指すべき「和の国のかたち」を考えていきましょう。







1)世界が称賛した「日本人の姿」とは?





2011年3月11日。


世界中のテレビには、


がれきとなった家屋や車をあたかもおもちゃのように津波が押し流し、

変わり果てた荒地に放心状態でさまよう被災者の姿が

映し出されていました。


しかし、映像はもうひとつの側面も世界に伝えました。


消息を絶った家族を探しながら、

生活必需品が届くのを待ちながら、

冷静さを失っていない日本人の姿です。


そこには略奪や暴動の素振りもない。

半分空になった店の前でさえもきちんと並ぶ住民の姿に、

英語圏のインターネット・コミュニティは、

日本人は「冷静だ」と目を見張り、

欧米諸国で同規模の地震が起きた場合にこうできるものだろうかと

いう驚きが書き込まれました。


ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、

今回の地震が日本の「ソフトパワー」にとって良い方向に働く

と語っています。

「ソフトパワー」とはナイ氏が提唱した言葉で、

人を魅了する力による国家の目標達成という概念です。


ナイ氏は取材に対し


「悲劇は計り知れないが、日本が持つ非常に魅力的なある面を、
 この悲しい出来事が明らかにしている。
 それが日本の『ソフトパワー』を促進する」



と述べました。


「そうした面が共感を生み出すことに加え、
 このような災害に対して冷静に秩序正しく反応し、
 近代国家としてなしうる構えのできた安定した、
 礼儀正しい社会であることを示している。」


と。


米紙ウォールストリート・ジャーナルは社説でこう書きました。


「300年に1度の大震災による大混乱の中で、
 日本人は冷静さを保ち、膨大な救助・復旧活動をまとめ、
 そして広く世界の称賛を集めている」


と。
あれだけの大震災で被害を受けながら、

ほとんどの日本人は取り乱すこともなく冷静な態度で、

助ける方も、助けられる方も、

お互いに「ありがとう」という感謝の気持ちを述べている。


暴動や焼き討ちが起きることもありません。


これは、世界からみると驚き、不思議に感じることです。


なぜ、日本人にとっては当たり前なのでしょうか。



2)「みやこ」の本当の意味と日本建国の理念とは?





わが国は、

今から2683年前。

初代神武天皇が橿原の宮で即位された日をもって、建国しました。

『建国の詔』には、

「真心を込めて、おおいなる『みやこ』をつくろう」

と書かれてあります。


ここでいう「みやこ」は、

現代用語の「都」とは異なり、


古語で「み」は『御』、
   「や」は『屋』、
   「こ」は『蔵』
という意味なのです。

神武天皇は、球種の宮崎を出発して畿内に入るまでの間、

およそ5年かけて広島や岡山、瀬戸内の人々に稲作の指導をされたとされて
います。

狩猟採集生活から、稲作を兼業する。

冷蔵庫がなかった時代に唯一、
20年単位での長期の保存ができるのは米だけです。

その米を中央の「みやこ」、

つまり、食糧庫に備蓄することで、

天然災害などのよって食糧危機に陥った国に食糧支援をする。

そのための「みやこ」なのです。

こうして蓄えたお米によって、日本全国の人々が、

ひとつ屋根の下に暮らす家族になって、

互いに助け合って生きていこうというのが

わが国、日本国が誕生した理由・意味、

『建国の詔』に書かれているのです。


神社は戦後になって宗教法人に組み入れられて、

「神社は神社のもの」になってしまいましたが、

もともと神社は、近隣の人たちの共有財産でした。

近所の神社のことを「氏神様」と言いますが、

血縁関係の濃い人々が集う村々にあって、村ごとの神様が「氏神様」です。

その共有財産である神社に、いざというときの備蓄米を保管したのです。

だから、ほとんどの神社は水害に遭いにくい小高い丘や山の上にあり、

地震や台風にも強い地盤の上に立てられています。

建物も風通しがよくて、

お米の保管がしやすい高床式の建築になっています。

先人たちは、知っていました。

人は一人では生きることができないことを。

互いに一つの家族のように助け合って、力を合わせるのだということを。


それが、「和」です。

人と人との「和」。

自然と人との「和」。

私たちの防災意識には、

他の国ではほとんど見られない「和の精神」が受け継がれているのです。



3)日本国が目指したものとは?~先人から受け継がれる『防災』のかたち~



いつもの朝。

いつもの街。

いつもの生活。


そんな日常がある日突然、

大きな災害によって揺らいでしまうことがあります。

それがいつ発生するのか予想するのは難しく、

もしかしたら、明日起こるかもしれません。


受け入れがたい事態が唐突に起きたとき、

多くの人たちはきっと呆然と立ち尽くしてしまうことでしょう。

災害対策というのは、

災害が起きてから「大変だ!大変だ!」と騒ぐことではありません。

必ず、自然災害に遭う国なのだから、

日ごろから災害発生時のためのあらゆる備えをしておくことが

大切なのです。


そして、

その時に、先人が遺してくれた『国史』が防災のヒントになります。


今必要なことは、この災害の多発する日本国において、

私たち日本人が日本人としての自覚と誇りを取り戻し、


みんなで国を支え、少しでも良い未来を、


私たちの子や子孫に遺していくことではないでしょうか。


最後まで、ご清聴いただき、ありがとうございました。







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自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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