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#8 『高度経済成長期の社会科』から何を学ぶかを問う

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


前回は、
初期社会科から何を学ぶか?』についてお話をしました。

今回は、
高度経済成長期の社会科から何を学ぶか?についてお話をしていきます。


最後までお付き合いください。


よろしくお願いします。









1)「初期社会科」の課題とは?



初期社会科は、

埼玉県の『川口プラン』(上記の計画)や

神奈川県秦野市の『福沢プラン』などの

「地域プラン」モデルとして進められてきました。




しかし、
初期社会科の教育実践は、
きちんとした学力が定着しないとの理由で
左右両勢力から「這い回る社会科」との厳しい批判が起こり始めます。

その背景には、

朝鮮戦争の勃発、

日本の兵站基地化に見られるような東アジアにおける冷戦の深刻化があり、

我が国を民主主義の拠点とするよりも反共産主義の防波堤にする
アメリカの占領政策の変化がありました。

社会科にも次第に国家主義傾向が表れ、

愛国心の教育も強調されるようになっていきました。



2)「経験主義」から「科学主義」へ




また、
新しい教育学の面では、
アメリカから「経験主義教育」に代わり、
「科学主義教育」が導入され始めました。

ソビエト連邦との科学技術競争が激化し、
科学的な思考や概念の獲得を重視する
科学系統性に基づく教育論が当時の認知心理学研究を背景として
浮上してきたのです。

この結果、
1958年と1968年の学習指導要領に反映することとなりました。

我が国の高度経済成長の段階に対応した、
各教科ともに知識中心の教育が主張されていくのです。




しかし、
「科学主義」「知識中心」といっても、
学習理論としては、
「発見学習」「探究学習」「範例学習」などの
新しい科学主義教育が主張されました。


「発見学習」は、
さまざまな事例や観察から科学的概念を
子ども自身が発見することを重視します。


「探究学習」は、
概念獲得の過程に重点と価値を置きます。


例えば、
高知県の早場米産地の学習を通して、米の生産と流通を科学的に探究し、
米づくりの一般概念を引き出そうとした学習があります。



3)地域に根ざした「問題解決学習」へ




高度経済成長は、
人間の疎外、都市と農村問題、階級分化、
公害、地域の伝統性の崩壊と乱開発
といったさまざまな問題を引き起こしました。

急激な経済湯銭政策のもとで各地で伝統の崩壊、
自然破壊や郊外の発生、人口流出(過疎化)、農業の破壊など
深刻な地域問題が続発しました。

そのため、
これらに対抗するために地域を
『民主的で豊かな地域』として再生するための
地域愛と科学的思考を取り入れようとする教育を主張する教育者が
現れるようになりました。





『地域に根ざす教育』を主題に、
子どもたちの生活現実を直視し、
豊かな成長を期待する「生活教育」や
変革的性格を内包する優れた「社会科」実践を生み出していきました。

新潟県の『上越教師の会』
京都府奥丹後の教師たちによる諸実践
長野県恵那教育
歴史教育者協議会の諸実践


などの
民間研究団体(教師や市民が協力し、
一定の教育理念のもとで教育実践を豊かにしていこうとする教育運動)が1960年代から1970年代を通じてよく知られています。


こうして、
地域現実に向き合うという問題解決型の社会科が生まれてきたのです。



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日本には、綿連として受け継がれてきた「よさ」がある。

少しでもよりよい社会を創ることができるように努力してきた先人の知恵や働きを知ることで、何が我が国の社会で正しいとされているのかを学ぶ。

このような日本人のよさを共感しあうことを通じて、
その子も将来、私たちと同じように社会の形成者の一人となり、
日本のよさを受け継いでくれる存在になる。

そのために、
必要なことを学ぶことが「社会科の本質」である。
と僕は思います。

日本人が2683年以上紡いできた「和の国づくり」とは何か?

なぜ大切なのか?

どのように受け継いで、つないでいくのか?

を学ぶことを通して伝えていきたいのです。

日本に生まれた日本人が、
日本に生まれたことを幸せに感じ、
日本に生まれた子供達が、
日本に生まれたことを誇りに感じる。

そんな想いを社会科を通して育みたいのです。


一緒に、日本国を楽しく学んでいきましょう!



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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