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高校生のころプチ家出をした私

こんにちは! 猿田信司です。

決して両親が嫌いではなかったですが、
高校生の頃の私は、不満に感じていました。

なぜ自由に使えるお金が少ないのか?

なぜ家は貧乏なのか?


両親が共働きだったこともあって、
高校生になったくらいの頃から、
朝起きても、両親ともすでに出ていて、
用意された朝ご飯を一人で食べる日々。

あまり両親とも話さなくなっていました。

高2の夏休み

高校2年生の夏休みのことです。

本当に、フッと「家出しよう!」と思ったんです。

何の計画性もない、突発的な家出です。


なんというか「家出」への憧れもありました。

知らない場所で、知らない人と出会って、
親切にされる、みたいな。

とは言え、手持ちのお金もたいして無いし、
どこに行けばいいのかもわかりません。

本当に、着替えも何も持たずに、
夏休みの昼間に、適当に家出しました。

日雇い労働者の寮?

3千円くらいしかもってなかったわたしは
まずは、お金を稼がないといけないと思いました。


家から電車で3駅くらいの場所でした。

日雇い労働者の寮?みたいなものがあったんです。

朝6時に、決められたところに集まると、
仕事をあっせんされ、夕方に帰ってくる、
という感じでした。


もう時効だからいいでしょう。

私は18歳と年を偽り、
その寮?みたいなところに入りました。

当時は、かなりヌルかったので、
なぜか普通に入れました。

私自身、背が高かったし、顔もフケ顔だったことも
よかったのかもしれません。

その寮も、個室なのですが、
三畳間くらいの、布団も何もない部屋でした。

その日はもう既に昼頃で、
仕事はないということで、
部屋でゴロゴロしていました。

夜になって、お腹が空いたので、
近くにあったチェーン店のうどん屋さんで、
うどんを食べたのを覚えています。

初仕事

翌日の朝、決められたところで待っていると、
仕事を割り振られ、指定されたトラックの
荷台に乗せられました。

しかし、その時点では、何の仕事をするのか、
さっぱりわかりません。

そのまま運ばれると、仕事の説明があり、
駅のエントツのすす払いが、仕事の内容でした。

お昼休憩がありましたが、一日中
エントツの中に入ってすす払いです。

マスクとかもなく、手ぬぐいみたいなのを
マスク替わりにしましたが、全身真っ黒になりました。

「これ肺とかやられるんじゃ?」


一緒に働いた人も、年が近くても20代中盤の人で、
酒だパチンコだと、話が全く合いませんでした(笑)


仕事後に、駅にあった風呂に入れました。

一応、汚れてもいい服で来ていたのですが、
寮に風呂なんてないので、渡りに船です。

助かりました。

家出して初の風呂です。


そうして、ようやく帰ってくると、
日当をもらいました。

確か、6千円くらいでした。

「これだけやって6千円?」

私の心は折れました。

プチ家出終了(笑)

その日は、寮に泊まりましたが、
次の日にその寮みたいなところを辞め、
そのまま、家に帰りました(笑)

2泊3日くらいのプチ家出です。

家に帰ると、両親がいましたが、普通に
「おかえり」と迎えてくれました。

私としては、決死の覚悟で家出したつもりですが、
多分ですけど、両親としては、
ただ友達の家に泊まってただけ
無断外泊と思ってたんじゃないかと思います。

2泊ですからね(笑)

結果的には、ただアルバイトしただけ
みたいになってしまいました。


この真相は、聞かれなかったので
両親にも話していません。

私の、ヘタレ具合がちょうどよく働いて、
プチ家出とも言えないくらい、
ちょっとしたバイト旅行みたいになってます。

ですが、それから両親に
すごく感謝するようになりましたし、
余計なお金を使わなくなりました。


両親が養ってくれている、という事実を、
身をもって知ることができたからです。

毎日ご飯が出てきて、寝る布団もあって、
テレビも見れる環境は、当たり前にあるものではない。

両親が養ってくれていたからこそなのだと。

このことがあったからこそ、後に両親に家を買ったり
温泉に連れていったりしたのだと思います。


ほかの人にとっては、笑い話かもしれませんが、
私にとっては結構大きな出来事でした。

両親には、今でも感謝しています。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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