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突きつけられるのは自身の少女性愛性:バルテュス展 Balthus:A Retrospective

彼の生きた頃

バルテュスは、ヨーロッパ絵画、特にキリスト教の絵画の伝統技法で作品を描き続けた。彼は「宗教画家」を自称し、シュルレアリスムや表現主義が全盛の時代にバロック絵画の光の使い方も取り入れた作品を残している。

東京都美術館のバルテュス展

今回の展覧会でメインとして据えられていたのは、少女がモデルの大きな作品であった。
作品の解説にはこうある。

ほとんど服を着ていない少女の挑発的な格好を描いたことに、賛否両論が起こった

東京都美術館, 2014, バルテュス展キャプション


モチーフのみについて考えると、少女性愛の、倫理に欠けた作品に見えるかもしれない。
しかしながら、本人が

「少女は聖なる、天使のような存在」

Balthus, Propos recueillis par Cristina Carrillo de Albornoz  (Éditions Assouline, 2000)

と述べている通り、作品に使われる伝統技法と、性よりも美にフォーカスを当てた卑しさの無さが、我々に少女の性のエロティックさではなく、「少女から女性へと向かっていく過程の美しさ」を印象付ける。

とは言え、彼の描く少女には無防備さはあれど無邪気さは見えない。
描かれた少女らの目付きは、こちらの奥にある卑しい思いをどこか見透かしているような挑戦的な目つきか、もしくは眠っているか、我々の存在を知らずすごしているかの、いずれかである。

物言わぬ絵画に、批判されている気すら起こる。これを感じてしまった人は、確かに、言い逃れとして、これらを「少女性愛を描いた卑しい作品」と評するかもしれない。

2014年5月 執筆


再掲に寄せて

およそ9年前の展覧会のコラムだが、あの会場で、作品の大きさと筆致の細やかさに目を奪われたことを覚えている。
彼の作品は、発表当時の西洋美術界では浮いていたはずだ。モチーフが明白な「天使」や「女神」ではない点も、批判を加速させただろう。

ただ、彼がシュルレアリスムが台頭する時代にあえて少女の肌を描き続けたことは、2023年から俯瞰してみると、一種のシュルレアリスム的表現だったのかもしれない、とすら思えてくる。
ただ、これはただの妄言で、美術史や絵画論からすると的外れだろう。

それでも、あの当時っぽい背景や小物、宗教画とはやや異なる陰影から感じたミスマッチ感は、「当時の現代アート」だったと言われると、いやに腑に落ちてしまう。

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