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小説:出づるも ナリカワリ

※ホラー小説です
※犬・猫の死に関連する描写(寿命)があります。


 名前を付けない方が良いとされるモノがある。
 名前を付けると力を増し、そのせいで執着し始める。
 蠢くモノがある。
 ソレが居るのは人に忘れられた所、今もなお人が住んでいる場所にも存在している。
 結局のところ、人の念がある所ならばソレらは居るのだ。
 しかし、ソレらは数が多すぎるため一つに纏めて「魑魅魍魎」と呼ばれるようになった。
 形を成さぬ、名前も持たぬ。
 死者とは言えぬが、生者は眩しく近寄ることも出来ない。
 ソレらは「形が欲しい、名前が欲しい」と、こうも喚くのだ。
 気がついて欲しくて、同情を受けたらすぐに取り付く様は見ていてこうも哀れである。
 母に振り返って欲しい利かん坊のようで、けれどやっていることは決して許されぬものだ。
 我らはそれを魑魅魍魎と呼び、もしくは無形の鬼と呼び忌み嫌っている。

 1

 ゴマが人語を話すようになったのは、体調不良で今にも死ぬのではないかと心配した数週間前からだ。
 ゴマと言うのは僕の愛猫のことで、今年で二歳か三歳に成る。
 白の体に墨を押し付けたような黒の点々が多々ある、所謂ぶち猫である。それはよく食べ、よく眠り、よくなごなごと此方に顔を向け話をしては餌の催促する。
「藤吉、茶でも用意しとけ」
 ある日、ゴマがそう言ったので、僕は最初聞き間違いかと思った。
「藤吉、茶でも用意しとけ。隣の爺さんが死ぬるぞ」
 再度ゴマがそう言ったので、聞き間違いではなく妄想性障害を発症させたかと思った。
「縁起でもないぞ」
 僕はそう言って、文机に身を乗せて窓の外を見るゴマを強引に降ろした。近頃、原因不明の悪臭もあいまって僕の機嫌はいつもより幾分も悪かった。
「藤吉、俺を葬儀に連れて行ってくれ」
 ゴマが言うので、僕は首を振る。
「そんな事出来ない」
「ぢゃ、じいさんの家の窓を開けといてくれ。既に開いてるなら窓の外に背を向けて座ってくれ。俺ァ、それを合図に中に入るからよ」
「お前は、爺さんの世話にでもなったのか?」
 尋ねると前足を舐めていたゴマは一瞬だけ動きを止めると、僕を見る。金色の目が輝いている。
「ここから世話になるのよ」

 次の日、隣の爺さんは本当に死んだ。
 食べ物が喉につっかえた、と婆さんが言っていた。
「此の度は御愁傷様です」
 僕はそう言って深々と頭を下げ、些細ではあったが香典を渡した。婆さんは「香典を渡せる程、大人になったんだねえ」と泣いていた。
 感傷が過ぎると、なんでも泪に変わってしまうのだろう。
 僕は頭を再度下げると、邪魔にならぬようすぐに部屋の隅に身を修める。幾つもの人が挨拶しに来て、そして通夜となる。
 家族が少なく、僕の方が会っているという事で選ばれたのだ。
 僕は動かなくなった爺さんを見ながら、落ち着かずにいた。
 ゴマは連れて行くことは出来なかったが、部屋の窓は開いている。
 アイツは本当に来るのだろうか、そのまま部屋の端にいてしまおうか。と思ったが、あの時ゴマに見られていた薄気味悪い感覚が思い出され身震いする。
 そろそろと窓に近寄り、外に背を向け僕は坐す。
 風呂に入る者が数人、着替えに行く者が数人。
 カチコチと時計の秒針が鳴り、時間が進む。
 ゴマが来たのは夜三時過ぎだった。
「おい、藤吉」
 頭上から声がして僕は目を開く。
 ゴマが居る。
 月光に照らされてその面は見えない。ただ、月と同じ色をした目が僕を見ている。
「有り難うよ。藤吉。これで俺ァ、成し遂げられる。お礼に、一つ良い事を教えてやろう。お前の家にいる鼠はみィんな俺が殺してやったぞ。逃げた奴も数匹は居るが、もう二度とお前の家には来らん」
 ゴマはそう言うと、身軽に窓の外へ身を投じた。
 翌日、爺さんの遺体は消えた。

 2

 当然、それは事件となった。
 警察を呼ぶかと揉めたが、結局一族の恥になると各々で探すこととなったのはいうまでもない。
 僕といえば、すっかり怖くなって自室から出られなくなってしまっていた。ゴマのことを誰かに話をしてもおそらく信じてもらえないだろう。もし、言ったら今度はゴマから復讐されるのではないかとありもしないことを考えて布団をかぶってガタガタ震えているしか出来なくなっている。
 元々、僕は引き籠もりがちである事から特別怪しまれる事は無かった。僕はすぐにでもこの恐ろしいことを忘れようと専念した。
「ごめんください」
 事件発覚から一時間後、一人の若い男がやって来た。
 警察官としては粗雑ラフな格好をしている。
「僕ぁ、書生でして……。えぇと、何て言えばいいでしょうか」
 小鳥遊たかなし 辰巳たつみ、愛称を鷹辰たかたつと自己紹介をしてきた背の高い書生は大きな眼鏡がずり落ちてしまうのではないかという勢いの中で頭を下げる。書生という割には鞄らしきものは持たず、かわりに晴天だというのに赤い番傘を持っている。
「お隣の家について、お話をお伺いしたく思いまして……。言った通り、僕は書生でして……。……小説の題材にならんかと思っているんです」
「人の死を題材にするだなんて……」
 僕がそう非難する。亡くなった爺さんは人に好かれていたし、交友関係も広かった。おそらく、噂を聞きつけたこの書生はわざわざ戻ってきたのだろう。僕の予想と反して、その書生はやれやれと首を横に振ってからそして僕をじっと見た。スッと細くなる敵意すら思わせる瞳に、僕は気圧される。
「どうもわしは役者に向いちょらん」
 吐き捨てるように小鳥遊たかなしは言う。それはおそらく独り言だったのだろう。
「ほいたら、率直に質問をさせとおせ。おんしゃが飼育しちゅう猫を見たい」
 豹変するという単語は、今まさに彼の状態に一致するのだろう。冷たい声音。聞き慣れぬ言葉は、おそらくどこぞの方言だ。
 それよりも、どうして彼がゴマのことを知っているのだろうか。僕はギクリと身を硬らせる。
 ゴマはあれ以降、姿を見せていない。
「外飼いなので、居ないんです」
「それは昨晩からか?」
 見抜かれている。彼は知っているのだと、思った瞬間に泪が溢れた。
 小鳥遊は酷く慌てた様子で周囲を気にしているようだった。
「すまん、すまん。わしは回りくどい事を聞けん性格をしちょってのう。先生にゃ「その言葉を改めろ」と言われちゅう。けんど、妙に昔からの癖でこうも……怖い思いをさせちゅうで……」
 小鳥遊に慰められ肩を撫でられながらも僕はぐすぐすと鼻を鳴らしたまま彼を部屋に案内する。
「怖いのです」
 僕は部屋に入るなり座ってそう言った。
 小鳥遊はというと、立っていいのか、座っていいのか、少しの間オロオロした様子であった。が、とうとう座ると決断したらしい。
「何が怖い?」
 そう言って、どっかりと胡坐をかく。
「ゴマが……僕の飼っている猫が、爺さんが死ぬ前日に「爺さんは死ぬから、その折に部屋に入れろ」と云ったんです。「部屋には入れられない」と僕が云ったら、今度「では、開いている窓に背背を向けて座れ。それを合図に入るぞ」とクチをきくのです。僕は恐ろしくてその通りにして――……」
「部屋に入りゆうその猫は、何をしたがか?」
「見ていないです。声をかけられて、起こされたので」
「なんて声をかけられたんなが?」
「「これで成し遂げられる」と……。そして、「礼に、僕の家にいる鼠は全部殺した。逃げた鼠も居るけれどもう二度と僕の家には来ない」とも云っていました」
「随分、主人思いの猫やき」
「ゴマは化け猫にでも、成ってしまったのでしょうか」
「見ないと分からん。けんど、わしが呼ばれたからには、おそらくそうなんろう」
 男はそう言って、畳に落ちていた猫の毛を拾うと、フッと息を吐き掛けた。それはまるで風に攫われたようにフワリ、フワリと動く。
「俺は、おまんの味方ぜよ。あのじいさんも、おまんも、被害もんの一人やき。コレを持っちょれ」
 ポンと、何かを投げられ、慌てて手に収まった小さな布を確認する。それは手作りのお守りのようだった。水色のおそらく着物の生地で出来たお守りには「代」と赤い刺繍がされている。
「小鳥遊さんは警察官ですか?」
「いんや。こういったことを頼まれる事が多い。奇怪な事ばかりを押し付けられて困りゆう――……居るぞ」
 ふわふわと動いていた猫の毛を目で追っていた小鳥遊が声を低めて言った。
 その視線の先には襖がある。小さな物置だ。
「何をしたんですか?」
「抜けた毛に「あった場所に戻れ」と言っただけやき。襖を開けてもえいか?」
 問いかけに僕は「構いませんよ」と緊張しながら答える。
 小鳥遊がガラリと襖を開けると、そこには猫の死骸が一つ転がっていた。
 白いボサボサの毛並み、墨を置いたような黒い点々には見覚えがある。
 腐っている。
 足先は毛と肉が混じり、茶色に汚れている。だらしなく開けられた口からはダランと舌が垂れており――……そう思った瞬間、僕は台所に駆け込むと流しに朝食った物を出していた。
「死後、数週間……。成り代わったかよ」
 小鳥遊の言葉は、どこか遠い所から言っているように聞こえる。驚きもしない様子からおそらく、こういったことに慣れているのだろうと吐きながら僕は思う。
「成り代わった?」
 僕の問いかけに小鳥遊は頷いた。
「おまんとこの猫は随分前に死にゆう。ソレにナニカが憑いていたけんど、どうも猫畜生では動き難いと思ったがろう。ガワを変えた」
「何が憑いていたんです?」
「わしらは無形の鬼と呼びゆうが、世間一般では魑魅魍魎とも言うな。鬼くらいに質が悪いが、名前を付ける程そうも強くない。個体名の無い――……、謂わば自我を持つ瘴気やき」
 僕は顎に垂れた胃液を布で拭い、小鳥遊の近くに――けれど決して襖の中身を見ないように寄る。
「それと、ゴマと何の関係が……」
「わしらが”無形の鬼”と呼ぶ存在は、霧のように姿形が存在しやーせん。普段は闇に潜むが、形を欲しがる。それ故に、人、動物、物体を問わず襲いかかる。おまんの猫はそれに襲われた」
「爺さんは」
「猫じゃ不都合だったがよ」
 酷いと僕は吐き捨てるように言う。
「ゴマを何だと思っているんだ」
「大事にされた愛猫よ。やき、形も、名前も無い存在にとっては羨ましい限りぜよ」
 と、小鳥遊は言う。
「どうすれば、食い止められるんですか?」
「食い止める? そりゃ出来ん。無形の鬼は自然発生するがよ。土地に長年人が住めば淀みも蓄積されるろうて。誰かが想うという行為ですら羨ましい故に、成り代わってやろうとするのがアレらよ。ただ在りたいと願う本能しかないきのう」
「物の怪の癖に羨ましいだなんて思うのですか? だとしても、なんて最低な……」
「ほにほに(「うんうん」という相槌に近い土佐の方言)。……猫のような奇怪な動きをした老人の目撃証言があった。塀の登り、木に登り、庭に置かれた猫用の餌を貪るとな。おそらく爺さんよりもおまんに愛された猫の方が思いは強かったろう」
 ポケットから厚い手帳を取り出し、慣れた手つきで捲りながら小鳥遊は言う。
「だから、僕の所に来たんですか?」
「おん。おまんの家から虫や鼠が一斉に逃げ出したという報告が決め手やった。通夜の場所にゃ猫の毛が落ちてもいたしな」
 まるで探偵のようだと思っていると小鳥遊は振り返った。
「おまんの猫が普段何処に行くのか教えとうせ。もしくは此処に呼び寄せろ。わしはそれを殺さねばならん」
 殺す。という言葉に一抹の不安を抱きながら僕は頷いた。
「鰹節を……」

 3

 それは異様な光景だった。
 茶碗に米を入れ、豆腐の入った味噌汁をぶち込み、少量鰹節を入れる。
 それを文机に置いて、僕たちは死角へと隠れる。
 日は落ち、ソレは嗄れた声で鳴いた。
 老人が、
 あの時、通夜で寝ていた爺さんが白装束のまま腰を折り曲げ塀に四つん這いになっていた。
「腹が減った。形を得るとは何とも辛い」
 ソレは呻きながら、よろけながらも塀から塀へと飛ぶ。
 時には着地を失敗し、欠けた爪でガリガリとコンクリートを引っ掻きながら登り直す。
「腹が減ったのに、こうも体が重い。嗚呼、猫のが良かったか。だが、あれはもう駄目だ。脚から腐って動き難くて叶わんからよ」
 それは独り呟きながら、そして文机に前足を置くとその茶碗に頭を突っ込み――……。
「覚悟!」
 小鳥遊がそう叫びながら、番傘の柄から刀を抜いた。
 さながら時代劇だ。
 じいさんの皮を被った何かは怒号とも悲鳴とも思える声を発しながら畳を転がる。全身を痙攣させ、口から少量の猫まんまを吐き出し、茶色の泡を吹く。
 その様子を冷めた目で見ながらも小鳥遊は納刀する。刀の似合うその姿はオレンジ色の光と相まって絵にさえ思える。
「どうするんですか?」
 手に持つお守りが熱を持つ。
 小鳥遊は黙ったまま赤い番傘の先端で、切られた筈なのに傷ひとつもない老人の胸を突いた。
 げろ。
 という言葉が似合う中、しわがれた口からは形容し難い液状とも蒸気ともいえる何かが溢れる。
 異様としか思えぬ光景に、脳も、理性も限界だった。

 4

 ゴマが死んだ。
 病死であった。
 猫は隠れて死ぬと言ったけれど、何も押し入れで死ななくても良かったと思う。僕は悲しみに暮れながら庭に愛猫を埋める。
 隣の家の爺さんは、無事発見された。
 その家の人曰く、僕らは爺さんが寝ている部屋の隣を見て「爺さんがいない!」と勘違いして騒いだということらしい。
「そんな事……!」
 と、僕が抗議をしようとした時、ばあさんの背後から見慣れた顔が出てきた。
「仕方がないきのう。……キミたちは結構呑んでいたと言うじゃないか」
 そこには赤い番傘を持った小鳥遊さんが居る。優しい口調でこそあったが、その目は「余計なことは一切喋るな」という圧を感じられる。
 爺さんは優しい人だったし、好かれてもしていた。だから、僕らは婆さんの証言に同意した。
「呑まないとやってられなかったのだ。爺さんが死んでしまって悲しかったから」
 誰もが各々に抱えたモヤモヤした疑問を酒と一緒に腹へと流し込んだ。

 その日から、僕は押し入れを開けたまま寝る習慣がついた。
 襖を開ける時、猛烈な吐き気を覚えるからだ。それはおそらくゴマの死体を見た精神的苦痛(ショック)が抜けきれていないからだろう。
 僕は目を瞑る。
 暗闇で目を瞑ると、どうしても恐ろしく感じる。
 何かに声をかけられそうな不安に襲われる。声をかけられた事なんてないのに、僕はまた何かを目撃し、何かをされるのではないかと怯える。
 
 そんな事ないのに。
 僕は耳を塞ぐ。
 こればかりは仕方がない。
 
 だって怖いから。
 
 怖いのだ、だから仕方がない。
 大丈夫、一週間もすれば忘れられるものだから。
 けれど、僕が住んでいる此処にも霧のような名前のない鬼が、魑魅魍魎がいるという。

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