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小説:白昼夢

※グロ・暴力・理不尽な人を不快にするような描写があります。
閲覧は自己責任となっています。


第一章  ヒトリ


 まるでアクムだと。誰かが言った。
 どうしてそう言ったのか分からない。
 どうしようもなかったのだろう。
 何か方法はなかったのだろうか。
 遠くの方で声がするけれど、それもやはりボンヤリとしか聞こえない。
 暫くすると、急に冷静になっていく自分がいた。先程までの緊張が嘘のようだ。
 正面に立つのは、知らぬ男。立っているだけでも印象に残る特徴的な姿。彼はニヤニヤと笑みを浮かべて言葉を待っている。
「頼みが……あるんです」
 渇いた喉は、それでも発声することを許した。

 1

 ボクの視界には、見慣れた景色が広がっている。
 空の色、そして靄があるあたり、今は早朝だ。ボクだけが家の前でただポツンと立っている。
 不思議な事は、この世界は無音だった。鳥も鳴かなければ生活音すら聞こえない。
 何か変化はないのか少し待ってみたが、変わりはない。
 無音。
 鳥や人も、虫さえいない。この異常下は、夢だからなのだろうと仮定する。
「誰もいない……」
 そう呟いてみたが、誰も返事をしてくれない。
「ここは君の夢の中だからだよ」
 ボクの考えに反して聞き慣れぬ男性の声が聞こえた。
 ボクは驚きながら周囲を見た。ガーデンフェンスの向こうには、見知らぬ男が立っている。
 先程まで、ほんの数秒前まで人は居なかった。それに、変化は無かった筈だ。それなら、この男は、いつ現れたのだろう。
 ボクに声をかけた長身の男。
 大きくて黒い傘を杖のように持っている。血のような紅い瞳。葬儀の帰りにも思える黒のスーツ。オールバックで足首まで伸びた黒髪は一つ結びにされており、まるで紐のようだ。
 その容姿が、なんとも奇妙に思えた。
「……あなたは、誰ですか?」
「私に驚かないでくれるのは助かる」
 男はそれ以上、近寄る気はないのだろう。柵を開けて、庭に入ろうとはしない。それどころか、ボクをじっと見たまま動かない。
「私は夢魔むま。夢に巣くう悪魔だよ。今は、君の夢にお邪魔しているね」
 それは悪い冗談に思えた。だが、紅い瞳はそれを冗談とは言わせない雰囲気を抱いている。ボクは反応に困って、肯定も否定も出来ず呆れて笑った。
「ドリームキャッチャーを吊していたと思うが?」
 男はボクの笑い方を真似たのか、不器用に口元を歪める。面白そうにしているのに、目は一つも笑っていない。
「悪夢を絡めとる呪い道具は、私には無効だ。私とその道具では、根本が異なっている。ようするに、生まれた場所が違うんだ」
「どうして、ボクの夢の中に?」
「単純に興味があったからだ。とても興味がある。何故こんな夢を視てしまうのか、それが気になってね」
「夢を見るのに理由がいるのか?」
「ああ。いるさ。夢は無意識の内に視るもの。閉じ込めている感情(モノ)が出てくる、恐怖、欲望、願望。夢は脳の情報整理でもある」
 夢魔はそう言い、品定めするかのようにボクを見る。
「さて、君が友好的であるうちに、幾つか質問がしたい。君の名前と年齢、家族構成。それを知りたい」
 ボクは黙って男を見た。
「ボクが悪魔に教えると、本気で思っているのか?」
「警戒するなら、それでもいい。賢明な判断だ。しかし、もし君が困った時、どう声をかければいいのか分からない」
「ここはボクの夢の中だ。困る事なんてあるのか?」
「夢だからこそ、制御出来ない理不尽はいくらでもある。……それに、これは強制ではない。教えてくれなければ、私が調べるだけさ」
 夢魔はそう言い、片目を閉じる。余裕な態度を見せる夢魔とは反対にボクは恐怖を覚えていた。調べられる。しかも、悪魔に。だったら、自分から曝け出した方がまだいい。余計なことまで知られたら困る。
「……ボクはスティーブ。今年で四十になる」
「聞き分けの良いニンゲンだ。スティーブ。相応に私の名前も教えてあげよう」
「結構。夢魔に助けを求める事はない」
「そうか、それは残念。……それで、君に子供はいるかい?」
「いる。一人息子だ」
 それを聞いた夢魔は、ニヤリと笑った。
「そうかい、スティーブ」
 その笑い方は知っている。けっして良い意味では受け取れない、意地の悪い感情。
「君の息子の危機だ」
 夢魔がそう言うや否や、耳をつんざくような激しい音が、一度辺りに鳴り響いた。
 ボクは目を見開き、何が起きたのだと夢魔を凝視する。彼は笑みを絶やさぬまま、静かに上を指さした。その方向はボクの家、二階。おそらく子供部屋だ。
「困っていたんだ、スティーブ。この深刻な事態をどう伝えればいいのかと」

 2
 
 あの夢魔に悪態すらつけなかった。
 衝動的に走り出し、乱暴に玄関の扉を開ける。
 後方にいる夢魔が「気をつけた方が良い」と、遅すぎる忠告をしている。
 ボクは転げるように二階に駆け上がり、見慣れた部屋を見渡す。
 そこにケイリーは、……ボクの息子はいない。
 ケイリーは、どうしようもないヤンチャ坊主だ。
 日頃から注意しているのにこうして部屋は散らかったまま。ベッドも机の上も物が散乱している。
 学校に通って二年経っているのに整理整頓すら覚えられない有様。どこに何が置かれているのか、ボクは理解出来ない。
 息子の名前を呼びながら机の下、ベッドの下、クローゼット、できうる限り彼が隠れていそうな場所を探す。
 結局、ここに彼は居なかった。
 家には妻もいる筈だが、息子と同じように姿が確認出来ない。
 夢魔の「君の息子の危機だ」という忠告が事実だったことをいやでも知らされる。
 数十分かけて調べてみても、彼の部屋にも、その付近にも、ましてやこの家には誰一人として人間の姿を確認出来ない。

「学校鞄がない」
 息子を探し、どれくらい経っただろう。
 再度、彼の部屋に戻り、探索する。ふと、この部屋には、息子にとって大事な物がないことに気がついた。最初から違和感があったのにどうして気が付けなかったのだろう。
 普段なら、机の横にかけられている通学用鞄が見当たらない。という事は、彼はまだ学校にいるのか、それとも下校途中のどちらかだ。
「……は?」
 机の上を見て、驚く。
 先程まで、物が散乱していたはずだ。机の横を見たのはたった数秒の間だ。その短い間で、机の上にあったあ物がきれいさっぱりなくなっていた。
 片付いている。というよりは、乱暴に床に落とされたといった方が早い。床には音もなく、物が散らばっている。
「本当に夢の中に居るんだな……」
 驚きのあまり、思わず声が出てしまう。
 机の上には、画用紙が一枚だけ置かれている。
『彼は死んだ』
 赤いクレヨンで描かれた短文。
 乱暴で癖のある字は、息子のもので間違いない。殴りつけるような筆跡は、ボクの心を酷く乱してくれる。
 死んだ? 誰が? 彼って? それよりも、これはいつ、何故書いたんだ?
 いくら考えても分からない。
 それでも、分かることは一つある。
 死んだ誰かはケイリーではない。
 そんな確信があった。
 『死んだ』というのは過去形だ。幼いケイリーがこんな奇怪な文を書く理由が無い。けれど、どうして書く必要があったのだろう。
 そういえば、とボクは思い直す。夢魔は、ここがボクの夢だと言った。

 ――……夢は無意識の内に視るもの。閉じ込めている感情(モノ)が出てくる、恐怖、欲望、願望。夢は脳の情報整理でもある。

 あの発言を信じるのならば、ボクはケイリーに死んだと書かせたい願望か、欲望かを持っている。もしかしたら、そう書かれるのが怖いと思っている。
 それは、なぜ?
 混乱が混乱を呼ぶ。この世界が、夢か現実なのかも判断出来ていない。
 この世界を夢だ、と言ったの夢魔だ。彼の話を信じる証拠がない。強いて言えば、耳が痛くなるほどの静寂が異常だと思うくらいだ。
 これがもし本当に夢だとしたら、嫌な夢だ。それこそ悪夢に違いない。
「早く眼を覚まさなければ」
 ボクは頬を抓る。
 こんな悪夢から目が覚めるように、指先に力を込める。
 それでも景色は歪まない。
 頬を抓ったままボクは目を閉じた。

第二章 オンナ

  1

 頬の痛みでボクは目を開ける。
 あの悪夢から抜け出せたのだろうか。目を開ける前からなんだか周囲が騒がしかった。
「酷い話ね」
「一体、何をして……しら」
 複数人が何か話をしているようだ。しかし、その人たち小声で話す上、距離があるので明確に聞き取れない。
 目を擦り、辺りを見る。
 当然の事だが、夢とは違いここは無人の世界ではない。音もあれば、人もいる。ただ、不思議な事に、あの夢が始まった時と同じ場所にボクは突っ立っていた。
 ガーデンフェンスの向こう側に横にも縦にも大きな男が立っている。勿論、あの夢魔ではない。しかし、そこに立っているのは一人ではない。
 複数の人間が集まり、一点を見てボソボソ言い合っている。
「どうしてこんな事に?」
 ボクが歩き出そうとした時、そんな小さな声が聞こえた。
 噂話にしては、どれも暗い表情をしている。誰もが声を低くし、これ以上聞かれないようにと押し殺しているようにも思える。
 話をしているのは、ハンカチで口元を抑える女達だけではない。
「可哀想に」
 一瞬、言葉の意味が理解出来なかった。
 振り返って、誰が言ったのかを確認しようとした。が、誰もボクと目を合わせてくれない。数人がボクと目があったことに驚き、慌てて違う方向を見るのがどこか滑稽だった。そして、しばらくするとすぐ小声で話し合うのだ。
 ボクと目を合わせてくれないが、ほとんどの人間が同じ方向を見て囁き合っている。ボクも自然にその集団が見ている方へ顔を向けた。

 2

 ガーデンフェンスには、幾重にもポリスラインが貼られている。
『立ち入り禁止』
 黄色いテープには、黒い文字の警告が書かれている。ボクの家を囲うように貼られたテープに強い目眩を覚える。
 あまりのショックにしゃがみそうになる。それを気力で耐え、深呼吸をする。きっと強い日差しに体が疲れてしまったんだ。余計なことを考えすぎだ。そう、自分に言い聞かせる。
 首を横に振って、冷静になろうと努力する。
 そうしていると、テープとは別方向に目がいった。ちょうど道路側に黒い小さな板と道路に書かれた白い模様が見える。
 あまりに興奮しているので、それらが何か判別がつかない。
 ボクの家の前には、相変わらずポリスラインが貼られている。
 あんな厭な夢を見た後にこの現実。
 それらが繋がって、思う事は一つだ。

 本当は息子の名前を呼びながら駆け寄りたかった。けれど、あまりの恐怖に言葉が喉でつかえた。
 転びそうになりながら、問題の場所へと近寄ろうとした。が、誰かに強く手を引かれてそれは叶わなかった。
「?」
 あまりの力に驚いてボクは振り返る。
 手の主は、女だ。
 女は泣いているばかりでそれ以上、何も言わない。涙のせいで化粧が酷く崩れていて尚驚く。
「近寄っては、駄目よ」
 泣きじゃくりながら、それでも女はきつい口調でボクに忠告した。
「なぜ? ボクたちの家なんだぞ⁈」
 ボクの言葉に女は目を見開く。
 瞳に映る感情は単なる驚きだけではない。それは、明らかな動揺と恐怖だ。
「奥さん」
 ボク達は声がした方へ顔を向ける。
 声をかけてきたのは、横にも縦にも大きな男だ。その服装からどうやら警官なのだろう。彼は酷く深刻そうな顔をしてボクを見ている。
「彼は見てしまったんです。混乱していても仕方がありません」
「混乱? 何バカな事を言っているんだ!」
 ボクは噛み付く勢いで警官に反論する。ボクの声は、二人だけではない周囲の人間の視線を奪った。
「ボクは、誰が死んだか確認したいんだ!」
 興奮に視界が赤く染まる。上手に呼吸が出来なくて目に涙が溢れそうになる。
 不意に、女の顔が近くなった。何かを言っているようだが、興奮状態のボクにその言葉は届かない。
 そして、世界は闇に包まれた。
 

第三章 ハサミ


  1

 再び目を開けると、そこは彼……息子の部屋だった。
 物は錯乱したまま。あの夢の中でボクが探索した形を保たれている。
 ボクは、二回深呼吸をする。
 現実だと思った場所でも不思議な事が起きていた。そこで目を閉じてこちらに来てみたら不可解な事はまだ続いている。
 夢を現実だと誤認し、遅刻する。なんてことは度々あった。今の状況がその延長上だと考える。だが、それ以上考えるのはやめた。今は、そんな悠長なことを考える暇はない。
 正直、息子を探すという大きな目的がなければ気が狂ってしまうところだった。
 机の上を見ると、『死んだ』と赤いクレヨンで描かれた画用紙が置かれている。それを拾い上げて、二枚の紙が重なっていた事に初めて気が付いた。
「いや、でも……。あの時は一枚だった気がする……」
 あの時どうであったか思い出そうとして止める。どうせ今も混乱しているのだ。こんな記憶は当てにならない。
『死んでいない』
 その文字は一枚目とは違い、お手本のように綺麗に書かれていた。
 一枚目の紙は見易さなどおかまいなしに画用紙いっぱいに書かれていた。
 今回見た二枚目の紙には、文字は右上の隅にどこか自信が無さそうに書かれており、一枚目と違い余白は多い。
 まるで違う人間が書いたように……。
 そこまで考えてゾッとした。そして、すぐに”次章夢魔”を思い出す。
 一度、彼に聞いてみなければならない。この世界は現実なのか、今起きている事をは一体何なのか。
「彼は、今どこに……?」
 咄(とつ)嗟(さ)に窓の外を見る。
 黒い傘を持った夢魔は、こちらに見向きもせず歩き出している。そこから察するに夢魔はずっと窓が開かれるのを待っていたのだろう。それか、ボクがこの部屋に入ってから時間が経過していないかのどちらかだ。
「おい!」
 窓を開け、声をかけても夢魔は反応をしない。
 先程よりも大きな声で「おい」と繰り返したが、彼は振り向きもせず先へと進み、角を曲がって行った。

 ――……相応に私の名前も教えてあげようか?
 ――……結構。夢魔に助けを求める事はない

 そう答えた自分が憎い。
 ボクは慌てて彼の部屋を飛び出し、外に向かおうとした。が、階段を駆け下りる最中に女の啜り泣きが聞こえ、つい足を止めた。
 声はリビングから聞こえてくる。
 出来るだけ足音を立てない様にしながら声が聞こえる方へ進む。そこには、両手で顔を覆い泣いている女がいた。
「あの……」
 ボクが声をかけるよりも前に、その女は幽霊のように音も無く消失した。
 恐ろしい現象にボクは悲鳴をあげたが、心の片隅では異常なまでに冷静だった。
「多分、こっちが夢だ」
 悲鳴を上げなが、らそんな確信を持った。
 確信を持ったにもかかわらず、ボクは恐る恐るその女がいた場所に向かう。幽霊か、幻覚か。だとしても、情報を得たいという気持ちは変わらない。
 女が座っていた椅子には、小さな紙切れが一枚落ちていた。
 それを拾い上げ読んでみる。しかし、見知らぬ単語ばかりが並んでいる。どこか読める箇所はないか、文字の羅列に集中したが、それでも読む事は出来なかった。
 夢魔なら読んでくれるだろうか。この世界には、自分と夢魔以外存在しないはずだ。淡く期待し、それを丁寧に畳んでポケットに突っ込む。
 玄関を開けると、道路と庭を隔てるガーデンフェンスが開いていた。
 誰かが通ったのか? もしかしたら、息子なのかもしれない。
 偶然、ボクと息子は入れ違う形になってしまった。そして、好奇心旺盛な息子は夢魔を見つけて後を追った……。ボクがこっそり出掛けようとする度、物に隠れながらついてくる彼だ。そうだ、彼ならそうする。
 最初はそう思った。が、ガーデンフェンスの扉には『立ち入り禁止』と書かれたポリスラインが幾重にも張り巡らされていた。
 扉こそ開いているが、これでは通れない。
 このテープは先程、おそらく現実で見た光景が反映されているのだろう。
 数枚あるテープを一気に握りちぎって先に進もうとする。しかし。テープは思った以上に硬く破けない。仕方なく一枚ずつ切ろうとするが、それもなかなか難しい。
 柵の隙間から手を伸ばし、板に貼られた箇所を剥がそうとするが、テープはしっかりと固定されており爪を立てても破けない。
 テープを切ろうとした手はジンジンと痛み、赤くなっている。
 目の間に幾重にも貼られているテープは、普段使用される物より大きいらしい。ボクの手は、小さく頼りなく見えた。

 2

「ハサミが必要か」
 夢特有のご都合主義のせいで、いくら奮闘してもテープはびくともしない。おかげで、手は赤くなりジンジンと痛みを放つ。
「これでは、二度手間だ」
 と、呟き落胆する。早く探さなければいけないのに、どうも手間がかかる。
 再度、玄関を開けたところで、今度は怒鳴り声がリビングの方から上がった。
 それは男女の声だ。
 夢は現実を整理する。あの夢魔もそう言っていた。だから、これはきっと何か口論した時の再現だ。ゆえに、怒鳴り散らした記憶こそ無いが、この男の怒鳴り声はボクだろう。
 何かを怒鳴っているようだが、内容までは聞こえない。ついには女の声が震えだし、次第に声は弱々しい啜り泣きに変わった。
 気まずい雰囲気の中、怒鳴り合いは有耶無耶に終わったようだった。
 ハサミは、声が聞こえるリビングにある。
 声の主たちに気がつかれぬよう、静かにリビングに向かう。泣き声の主だろう女がこちらに背を向けて立っていた。
 先程、椅子に座り、泣いていた背中と同一だ。しかし、今回と前回とで違ったのは、その女は振り返り、ボクをしっかりと認識し近寄ってきたことだ。
『驚かせちゃったかしら? 気にしないでね』
 涙を拭う化粧崩れした女は、そう取り繕いぎこちなく微笑んでみせる。
 泣いていることを隠そうとしたいのか、女はゆっくりとしゃがみボクの額にキスを落とそうとした。しかし、女は煙のように消え去る。
 理解しかねる女の動作は、ただただボクに不快感と恐怖を与えてくれた。行動の意味が理解できない上、行方不明の息子の手がかりにもならない。消失した恐怖もあるが、それこそ夢のご都合主義だ。
「分からない。なんなんだ、これは……」
 ボクは舌打ちをし、ハサミが入っているであろう小さな棚へ近寄った。

 3

 引き出しには、目当てのハサミの他に封筒が入っていた。
 興味本位でその封筒の中身を見る。が、手紙の内容は椅子の上にあった紙切れと同様に読めない。数字が並んでいることを確認し、紙切れを拾ったときと同様にポケットに突っ込んだ。
 ハサミを回収しつつ、周囲を警戒する。口論する男も女もいない。
 ボクは、今度こそ家を出た。
 忌々しいテープをハサミで一つ一つ確実に切りながら、ボクは道の先を見る。
 ふと、霧の中で何かが動いた気がした。
 それは確かに人の形をし、こちらに近寄ってくる。
「あのっ……」
 この世界には、黒い傘を持つ夢魔とボクしかいないのは知っている。
 ようやくあの夢魔は、ボクを助けてくれる気になったのだろう。
 そう思い、人影に声をかけようとした。が、霧の中から見える姿に恐怖し、ボクは慌てて柵に身を隠した。
 ボクに近寄るあれは、確かに人だ。しかし、それが近寄る度にガチャガチャと不可解な音を鳴らす。聞き慣れない音に困惑する。
 正体不明の存在は、必要もなくボクの恐怖を煽る。一刻も早く通り過ぎてくれるよう祈りながら恐る恐る柵の隙間から覗く。
 音がさらに近くなり、陰だったその姿はしっかりと見える。
ヨロイ?」
 ウソだろ。という言葉は、相手に聞かれるのが恐ろしく、飲みこんだ。
 柵の合間から見えた姿。それは中世の騎士だった。光沢を消された銀色のプレートアーマーは、まるで映画から抜け出してきたようだ。
 その騎士が持つのは、剣ではなく旗のように思える。しかし、その旗はまだ掲げられていない。泥や埃で汚れた白い布は、まだ大人しく槍に巻かれてある。
 騎士は歩くたびに騒音を出しながら、ボクの視界外へと消えていく。おそらく角を曲がったのだろう。
 なんて夢を見ているのだろう。
 ボクは柵に寄りかかり、両手で顔を覆う。
 早く目を覚ましたい。そうして、こんな恐ろしい夢から出ていきたい。
 もし、これが夢で、これが脳の整理だというのならば、ボクは現実で一体何を見たのだろう。
 ボクは、悪魔を信仰しているのか?
 ボクは、騎士に憧れているのか?
 ボクは、息子に居なくなって欲しいと願っているのか?
 分からないことだらけだ。
 ボクは息を吐く。
「これはボクの夢だ。ボクに都合の良い方向に進むんだ」
 そう言い聞かせ、夢魔が居るだろう場所へ走り出した。
 

第四章 ハガネ


「彼をすぐ安全な場所へ」
 警官の声に女は頷く。
 グッタリとした彼はショックのあまり気絶してしまった。彼女は彼を抱き上げ、そして安全で安心出来る場所へと向かって行った。

 1

 少しの浮遊感は、緊張の連続で精神が疲労したから起きた。
 その浮遊感が強い目眩であり、それが原因で数秒倒れていたことを除けば、ボクはまだこの夢の中にいる。
 立ち止まってなどいられなかった。この不可解な世界の中で息子がいない。早く解決しなければと心が急いている。
 ボクの前にいるのはあの夢魔だ。ボクは、全力で走って彼のあとを追う。だというのに、なぜこんなにも距離が縮まらないのだろう。
「待ってくれ!」
 声を張り上げても、返事はない。おそらく、あの夢魔は自分が呼ばれたことに気がついていないのだろう、
 誰もいない空間で、ボクが呼ぶのは彼しかいない。夢魔、悪魔らしくわざと無視しているのだろうか。
「そこの夢魔!」
 耐えきれずボクがそう叫ぶと、彼はようやく足を止めた。気怠げに振り返り、黒い傘を杖のように一度地面を突く。
「確かに私は夢魔だけれど、そんな呼び方は品が無い。君達を『人間』と呼んでいるようなものだ。もし、誰かが勘違いをして此所に来たらどうする?」
「ここには、君とボクしかいない」
 彼が足を止めたので、ボクも追うことをやめる。懸命に走ったので、息が切れて苦しい。
「そうかな」
 夢魔は、ボクの足下から頭のてっぺんまでを見て言った。
「ボクが今見ているこの夢は、一体何だ?」
「君が苦痛を感じているならば、悪夢だ。夢以下でも、以上でもない」
「そうじゃない。ボクは一度目が覚めた。そうしたらまるで夢の続きのような出来事が起きている」
 夢魔は「と、言うと?」と尋ね、雨も降っていないのに傘を差した。
 骨がいくつもある傘だ。内側は赤、外側は黒の二色使用の傘は、彼を益々怪しく魅せる。そんな奇妙な傘が「番傘」と名を持つのを、この夢の数年後に知ることとなる。
「ケイリーがいない」
存在するさ」
 彼の即答にボクは少し苛立つ。
 辺りを見ても、彼が指を差した方に振り返っても、ケイリーの姿は見えない。
 もしかしたらもっと遠くの場所に居るのかもしれない。しかし、それだとしたらあの子はきっと声を出してくれるだろう。
「いない」
「それならそうかもしれない。ここは、君の夢。君が望めば、彼は存在する。しかし、見えないという事は……」
「ボクが望んでいない?」
 夢魔は傘をクルクルと回していたが、一言も話そうとはしない。しかし、その沈黙がボクの問いに肯定と答えている。
「夢の主であるボクが、今『ケイリーはいる』と思えば、ケイリーは現れるのか? こんなに望んでいるのに、どうして出てこない? 君は何か知っているんじゃないか?」
「君との深い接触は避けたい。気持ちに偏りが出てしまうのは失礼だろう?」
「誰の失礼に値するんだ? ここはボクしかいないんだろう?」
 彼は傘を回すのをやめ、そしてボクをじっと見つめた。紅い瞳は射貫くようにギラギラと輝いている。
「ケイリー」
 夢魔の言葉を一瞬、理解出来なかった。
「どうしてケイリーが失礼だと思うんだ?」
 ボクの問いに夢魔は、何も答えない。
 突然、遠方でボクの耳をつんざくようなとても嫌な音が聞こえた。その音は最初、この夢の中に入ってすぐに聞いた爆音に近い。
「君の家の方向から聞こえたね」
 ボクは口を横に結び、夢魔を睨む。彼は本当に夢魔だ。無意味にボクを恐怖に陥れ、混乱させる。
「これはボクの夢だ。音くらいで、もう驚かない」
「私は音に驚く君を見たいわけではない。君が事実を知りたいなら、急ぐといい。早くしないと片付けられてしまうから」
「誰に?」
 すると、夢魔は再び口元を歪めた。
「死体を片付けるのは誰か、君は知らないのかい?」

 2

 それ以上、ボクは夢魔の話を聞いていられなかった。
 やはり死人が出ている。
 しかも、ボクの家の前でだ! 夢魔に踊らされているのは酷く不快であったが、走らずにはいられない。
 来た道を走り抜け、家の前へ向かう。
 ハサミで切った筈のテープが全て綺麗に戻っている。そのテープの向こうには、車が一台見えた。
「交通事故?」
 テープの間を潜り抜け、車を見る。自爆なのか、車の前後にガラス片は散っていない。それどころか、この車は無傷だ。
「なんだ?」
 そして、ボクは車の中を見た。

 赤。

 一面の赤。

 視界に入ったのは、車のガラスを内部から濡らす赤だった。
 中に散らばるのは、液体だけではない。肉片、人の体のような何かも運転席に存在している。人に見える”何か”は、赤に汚れた窓ガラスにもたれ掛かるようにして一向に動かない。この光景から「生きている」と思う人間は、果たして居るのだろうか。
 吐き気が込み上げ、一度車から離れる。そのまま、崩れ落ちるように、地面に膝をつく。
 嘔吐の衝動と、嘔吐への恐怖に挟まれながら何度も呼吸を繰り返す。幾度となく咳を繰り返し、空気を吸って落ち着こうとし、過呼吸になりかける。
「ケイリー?」
 弱々しい声でボクは車中の人物に声をかける。
 そうであってほしくない。だが、既に社内に居る人間が生きていない事をボクが一番よく知っている。
 車内からは、何も聞こえない。
 ここはボクの夢の中だ。
 ボクの他には、あの夢魔しかいない。鳥も、虫さえ存在しない。
 パニックに陥ったボクの荒い呼吸だけが、この空間内に響き渡っていた。

 3

 暫くの間、ボクはその場に座り込んだまま指一本動かせなかった。
 それ程まで、ショックだった。
 どうして、彼が死ななければならないのか。どうして、ボクではないのか。何度自分に問いかけただろう。けれど、その思考は、ガチャリという耳障りな音により掻き消された。
 振り返れば、旗を持つプレートアーマーで全身を覆った人間が立っていた。装備が完璧過ぎるため、表情も分からなければ年齢も、性別すらも判断出来ない。
 ボクは驚いて立ち上がり、恐る恐る後退する。が、ふと鎧人間の手に視線がいった。
 旗の他に何か紙を持っている。それは二つの紙。
「その紙……」
 夢魔に読んで貰う予定だった二種類の紙のように見える。
 慌てて自分のポケットを確認し、始めて中身が無いことに気がつく。このポケットは浅い。必死に走っている間に、落としてしまったのだろう。
「返してくれないか? 大事な手紙なんだ」
 返答はない。
 鎧で隠れて表情も見えない。
「返してくれ。ケイリーの……息子の手紙かもしれないんだ」
 ボクは車内にいるだろうケイリーを想いながら言葉にする。
 あの手紙が読めなかったのは、ケイリーの字が汚いからだ。ボクが悪いからではない。もしかしたら彼が賢明に書いた遺書かもしれない。
 車で、脳ミソが飛び散る程の自殺なんて幼いケイリーには困難だ。けれど、現実は小説より奇なりとはよくいったもので、もしかしたらの可能性がある。
 もしかしたら、成功してしまう。だから、そうだ。あの読めない手紙は、彼なりの遺書だ。そうに違いない。
 ケイリーが感情的になって書いたから字が読めないほど乱雑だったんだ。それか、ボクが彼に関心がないから読めないだけであって――…………。
 そこまで考え、ボクは冷や汗を覚える。
 自分の息子に関心が無い?
 その現実に思考が止まる。酷い罪悪感に眩暈がした。
 ケイリーについて、ボクは何も知らない。死んだ理由も、原因も。手紙を置いておく理由さえも。
 罪悪感に苛まれながら、ボクは血液に染まった車内を見る。もし、彼が生きていたのならば、もしこれが冗談だとしたらなんて面白おかしい話なのだろう。だが、どうしてここまで――……。
「罪は、赦されるべきでしょう」
 一言も話さないと思っていた鎧人間が口をきいたため、ボクは驚き振り返った。
 鎧人間は、旗を巻いた槍を立てている。
 不可解な文様が書かれた旗生地はそれなりの厚さがあるのに、無風の中バタバタと忙しなくはためいている。鎧のせいで声が反響されているのだろう、男女とも聞き取り難い声音だ。
「何の罪だ?」
 尋ねる前に、鈍い色を持つ槍は容赦なくボクの脇腹を突いた。
「この痛みで、この狂う程の熱さで。貴方の心を、貴方の内に秘められた悪を浄化します。貴方が再びこの舞台に戻れたのならば、罪は赦されているでしょう。許されなくとも、次の眠りは貴方を永遠に癒やすでしょう」
 アーマーの中で、ボソボソと声がする。
 距離が近いから聞き取れたのだ。その声は、明らかに女のものだった。しかし、知れたのはそれまでだ。
 想像を絶する激痛に、あまりの衝撃に、ボクは悲鳴をあげたまま意識を飛ばした。
 

第五章 イタミ


 ドサッと嫌な音がし、目を開ける。
 すぐに見えたのは床だった。
「生きてる?」
 困惑しながら身を起こす。
「槍で刺された筈なのに……」
 そう呟いた後、あれは夢の中での出来事だったと思い出した。ボクは、自分を落ち着けるためにも、ゆっくりと周囲を確認した。
 ボクの後ろには大きなソファーがあり、どうやらボクはそこで横になって寝ていたらしい。いつから寝ていたのか覚えはないが、ボクは床で目が覚めたのはソファーから落下したからのようだった。
「大丈夫?」
 後ろから女に声をかけられ、ボクは頷いた。
 この女は、たしか“こちらの世界”でボクに「それ以上行くな」と、手を引いていた気がする。
 ”あちらの世界”で刺された脇腹がズキズキと鈍い痛みを放っていた。が、それはソファーから落ちた痛みなのだろうと思い直す。恐ろしくて傷こそ見られないが、怖々腹に触れても血で手が濡れるようなことはなかった。
「あの場所で……ボクの家で一体何が起きたんだい? どうしてあのテープが……。いや、それよりどうして警察なんかが?」
 ボクは立ち上がり、よれた服を正す。
 女はボクの様子を見ながら、その場にしゃがんだ。
 傷がないか確認してくれているのか、その献身的な姿を見てボクは考えを改める。女と言っては失礼か、彼女はボクの妻なのだから。
「いい? あなたが見たのは一刻も早く忘れて頂戴。その話をしてはいけないの」
「なぜ? 大事なケイリーの話だろう?」
 ボクの問いに、妻はギョッとしてボクの方を見た。
「そうね、そう。だからこそ忘れてほしいの」
「ケイリーを忘れろって言うのかい? 彼がまだ死んだか分からないのに!」
 妻がしゃがんだままの姿勢で肩に手を乗せようとしたので、ボクはそれを振り払った。妻の目には恐怖と懇願が伺い知れた。そして、同情の色も見せている。
「いいえ、忘れるのはケイリーじゃない。スティーブ、あなたのお父さんのことよ」
 ガツンと頭を殴られたような感覚に陥った。
 鼻の奥がツンと痛みを放ったし、突如湧き出てきた意味不明な会話に面食らって言葉が出ない。
「さっきから、一体何を言っているんだ……? 君は疲れているんじゃないか? ボクがスティーブだろう?」
「ママの目をしっかり見てお話をして」
 ボクは再度彼女に両肩を強く捕まれ、強制的に向き合わされた。
 彼女の瞳にはしっかりと誰かが映っている。
 両肩を捕まれ、困惑の表情を浮かべた――……。

第六章 シバイ


 1

「おはよう。気分は……良さそうじゃないね。なにせ彼女の槍で腹を突かれたのだから」
 闇の中。今度は男の声が聞こえてボクは目を覚ました。
 体を起こせば、ボクは現実と同じ場所に置いてあるソファーに横になっている。
 現実と違うところといえば、ボクはソファーから転げ落ちていない。それに、ボクに声をかけたのは、妻ではなく燕尾服を着た夢魔だ。
 夢魔がそう言うので、ボクは咄嗟に自分の脇腹に触れた。
 シャツを捲れば、そこには包帯が巻かれており、血も滲んでいる。けれど、そこは夢のご都合主義なのか、包帯に滲む血の量にしては痛みなどまるで無かった。
「ボクはどうして刺されたんだ?」
「罪悪感を抱いたから」
「罪悪感を抱いたら? 当たり前だ。普通、子が死んだら、なぜ守れなかったと罪悪感を持つ」
「ふうん?」
「父親は、そんなものだ」
 ボクがそう言うと、夢魔はふうんと面白そうにする。
「父親はそんなものなのだね。……まぁいい。彼女は夢魔の中でもだいぶ特殊でね。夢の主が少しでも罪悪感を抱くと刺さずにはいられない。どうか悪く思わないで欲しい。彼女は彼女なりに、ただ純粋に罪を償わせようと、救済の一種として襲ってくるのだよ」
 納得は出来ないが、言葉は理解出来た。ボクはとりあえず、夢魔の言葉に頷いた。
「だが、無事に事故現場を見る事は出来たようだ。見てどう思った?」
 夢魔はそう言いながら、興味津々といった具合を一ミリも隠さずボクを見る。
「事故現場……。車内で誰かが死んでいた。ケイリーではない。ケイリーは、あんな死に方はしない」
「あんな死に方?」
「硝子に血がベッタリとついていた。それに、肉片も。あれはどういった死に方は分からない。けれど、まだ子供のケイリーには無理だ。それこそ、強盗か何かに襲われたに違いない」
 見た光景を思い出しながら、ボクは言葉を探す。
「血と肉片しか見ていないのに、何故ケイリーには無理だと?」
「あの子は、銃の扱い方を知らない」
「ふうん、銃が関わっているのか。だが、君は「死因は分からない」と言っていたじゃないか。何故、銃の扱い方に話が変わるんだ?」
「なぜなら……」
 ボクは、そこで言葉を止めた。
 どうしてボクが知っているんだ? 知っているならどうしてボクは今まで黙っていたのだろう。だって、先程まで全く分からなかったのに、だ。

 パンッ。

 これで三度目の破裂音が近い場所で鳴った。
 ボクは反射的に家を出て、車が停めてある場所に向かう。
 家の入り口に立てば、そこからすぐ車内の光景は見える。ちょうどこの夢が始まった時と同じ立ち位置だ。
 その車の中にいたのはマネキンだった。
 スーツを着て、こちらに気が付き、己のこめかみに銃口を向け微笑んだままその引き金を引いた。
 再度、破裂音が周囲に響き、車内には血と肉片が飛び散った。ボクが見た時のように、ガラスにも血痕が付着している。
 そのマネキンはあまりにもリアルに作られていた。髪も、目元も、シワも、無精髭も、疲れ切った瞳も。その顔には見覚えがある。何度も見てきた顔だ。
 それは未来を憂い躊躇なく引き金を引いたボク自身だった。

 2

「ボクは、幽霊か?」
 立ち尽くしたままボクは呟く。しかし、すぐこの世界を思い出して自嘲した。ボクとあのマネキン、そして二人の夢魔しかいない世界だ。応えてくれる者など居ない。
 車内で拳銃自殺したのは、ボク自身だった。
「それなら、なぜボクは夢を見ている?」
 あれは間違いなく即死だ。あれだけ脳味噌が吹き飛んだのだ、生きている訳がない。
 ボクはフラフラとした足取りで家に戻り、夢魔に問う。
「夢は脳の情報整理だと君は言った。あの光景は、ボクが整理しなければならない事か」
「そうだとも」
 夢魔は、そう答えながら二つの手紙をテーブルに並べてじっくりと見比べている。
 それはどちらもボクがこの夢の中で拾い、走っている途中で落とし鎧女に奪われた物だ。後で読んで貰おうとしたことを思い出し、ボクは夢魔に飛びかかるかのように近づく。
「君はそれが読めるのか?」
「読めるとも。君は読めないのか?」
「知らない言語だ」
「いや、これは君が知っている言語だよ。読めないのは君が言葉の意味をまだ習っていないからだ」
 夢魔は手紙の文面をボクに見せるように裏返した。たしかにそれは慣れ親しんだ英語だが、やはりボクは言葉の意味を理解出来ない。
「スティーブの生命保険について詳しく書かれた紙と借用書」
「借用書?」
「覚えていないのかい?」
 そう言われてボクは思い出そうと頭を働かせる。が、依然として何一つ分からない。
 わざと忘れようとしている夢のご都合主義なのか、借用書の内容を音読されてもピンとこなかった。
「君の家にはそれなりの借金があり、スティーブにはそれなりの保険金がある。そして、彼は車内で死んだ」
 夢魔はどこか楽しそうに言いながら、二つの手紙をわざわざ広げてテーブルに置いた。
「自殺したのはケイリーではない? じゃあ、ケイリーはどこに居るんだ? いや、待て、現実で死んだのもボクなのか? ボクは今こうして夢を見ているのに?」
 混乱するボクをよそに夢魔はポケットから煙草を取り出すとそれに火をつけた。
「謎解きは自分でしてもらいたいものだが、しかたあるまい。自身が隠そうとしているのだからね。芝居はとても上手だよ、ケイリー」
 紅目の夢魔はそう言い、立ち尽くしているボクを見た。

第七章  メザメ


 あれほど視界を覆っていた濃霧が晴れていく。
 その濃霧が晴れるとどこか少しずつ頭が整理されていくような錯覚に陥る。

 1

「何を言っているんだ? ボクはスティーブだ……」
「そうなのかい? でも、それだとしたら不可解な点が多いね。君自身もここまで来るのに不思議に思ったことはある筈だ。テープが大きいと感じたり、母国語の手紙が読めない、君の奥さんはわざわざしゃがんで額にキスをするかい? しゃがむ必要がある程スティーブは小さかったかな」

 ――……テープが通常使用されるものよりも大きいらしい。どうしてもボクの手は小さく見える。
 ――……涙を拭いながら化粧崩れした女は冷静さを取り戻そうとしながら言う。
 緩慢にしゃがんでボクの額にキスを落とそうとしたが、そこが再現の限界だったのだろう。それは煙のように消え去った。
 ――……いいえ、忘れるのはケイリーじゃない。スティーブ、あなたのお父さんのことよ。
 ――……ママの目をしっかり見てお話をして

 今までの事が一気に思い出される。言い返す言葉が見つからず、ボクは黙ったまま夢魔を睨み付けた。
「君は自分の父親の自殺現場を見た。夢の中で何度も聞こえる炸裂音は銃声だ。それを肯定するかのように君は死因をすぐに言い当てた。交通事故と思わなかったんだね」
「あの血の飛び方は、銃以外ない。事故なら、車体に傷はなかった。それに、ボクは目が合ったんだ」
 すると夢魔は「そう、そこなのだよ」と頷いた。
「スティーブの拳銃自殺の瞬間、なぜスティーブである君と目が合うんだい? まるで夢の中にいるようじゃないか」
「ボクが見たんだ。それなら車内にいるべきは、ボク以外の……息子じゃないといけない」
「息子じゃないといけない? 奥方も、第三者の可能性すらあるのに、やたら確信を持って言うのだね」
「ボクが死んだと言いたげだが、もしかしたら鏡があったのかもしれない」
「鏡?」
「鏡で反射したんだ。美容院で自分の後ろ姿を確認するようにして……。それで、ボクが死んだと誤認した。出ないと、証明出来ない」
「それはまた興味深い話だ。鏡あわせで誤認したと? この家にそこまで大きな鏡はあるかい?」
 夢魔はそう言ってもう一度煙草を咥えた。ボクは黙って家の中にある立ち見鏡を指さした。
「実験するのもいいだろうさ。何事も証明が大事だ」
 夢魔は煙草の煙を吐いてのんびりと言う。ボクは言われるがまま、鏡へ向かう。その間にも、お喋りが好きな夢魔は話を続ける。
「親しい者の死をすぐに受け入れるのは困難だ。それが特に家族というならばね。……自殺現場を見たならば尚更ショックだったろう。とくに拳銃自殺とまで言い切ってしまった君は。『スティーブは死んでない』という願望、希望が少なからずあった訳だ。電撃的に精神を擦り減らし残念な事に君は気絶でもしたのだろう。それはショックへの逃避だ。そうしてこの夢の世界に迷い込んだ。この複雑怪奇で忌まわしい現実を、出来る限り整理しなければいけない。どこがどう繋がったか。少なからずドリームキャッチャーを信じ吊す君は、夢魔の存在を知っていた。だから、過去と心理の精算のため私たちを呼んだ」
 話を聞きながらボクは鼻で笑う。
「過去と心理の精算? バカバカしい。そんな話があるか」
 すると、夢魔は穏やかな表情で首を横に振る。
「現に私が居るんだ」
「どうして、わざわざそんなことを?」
「人間は不都合なことがあれば、無理矢理でも己を納得させたがる。合理性ばかりを求め、分離が出来なくなる。「父親は死んではいない」そう納得させるために、自分の心を偽るために突拍子も無いことを考える。例えば「自分が父親である」と。しかし、いなくなった者を演じては辻褄が合わない。ケイリーが『いなくなったスティーブ』を演じれば、今度は『ケイリー』という存在がいなくなる。しかも、脳はこの事柄を出来るだけ整理しようと必死だ。それが夢の中で複雑に混ざり合い、銃声を聞き、君は『ケイリー』を探す羽目になった。……どこかで聞いた話じゃないか」
 彼の言葉にボクは足を止めた。
 夢魔の言葉はまるでナイフのようにボクの胸に刺さる。何も反論出来ず、かといってそれを受け止めるのは出来そうになく、つい俯く。
 ふと、視界に見えたのは薄汚れたシューズだ。おかしいとボクは思う。
 ボクは普段安物の革靴を履いていて、それどころかシューズなんて持っていない。視界を少し横にずらし己の手を見る。成人男性にしては小さい指にはキャラクターものの絆創膏が巻かれている。
 あの時は濃霧が酷くて視界は悪かったけれど、たしかそうだった気がする。
「おかしい、ハサミを持った時手に絆創膏は貼られていなかった」
「それはそうだ。その時、君はスティーブに成りきっていた。脳がスティーブであるよう認識するため、錯覚を起こしている。ようするに幻覚だ」
「都合の良い幻覚だ」
「それを人間は”夢”と呼ぶのだよ」
 ボクは答えられず、己の手をじっと見つめている。夢魔は黙って事の成り行きを見ているようだった。興味津々と言った視線が背中に痛い。
 ボクは恐る恐る顔を上げた。
 全身鏡には、一人の少年が映っていた。
 泣き過ぎたのか目は腫れぼったく、顔は真っ赤に染め上がっており、両手は小さな拳が作られている。
 それは、この数時間の間、ボクが懸命に探していたケイリーそのものだった。

 2

「ボクは……」
 言葉が喉でつかえる。
「ボクはどうして……」
 再度、あの夢魔に言おうとしたが、零れ落ちたのは無様な嗚咽だけだった。
 どうして忘れていたのだろう、どうしてこんな愚かな事をしていたのだろう。どうしようもない気持ちが胸を裂きそうだった。
 父と母は口論をしていた。
 驚いてリビングに行けば、泣いていた母は「何でもない」と、言って無理やり笑って見せた。その喧嘩の原因が借金である事は知っていた。引き出しに隠されていた借用書も、最初は理解出来なかったが、書かれている数値と簡単な単語からは容易に想像はついた。
 あの時、普段休日は家にいる父がボクに隠れるように家を出て行ったのでどこかに出かけるのだろうと思った。おそらく、一人で楽しい所に行くのだろうと考えたボクは、何も考えず父の後を追うようにこっそり家を出た。
 そして、夢が始まったあの場所で、ちょうどそこから車内が見える立ち位置で、拳銃を自分のこめかみにあてた父と目が合い。

 そして、銃声を聞いた。

 絶望に色を染め、それでも力なく微笑んでいた父の顔はガラスにこびりついた赤でかき消された。
 明け方に響いた銃声に近所の人も母も来て、その光景に絶句したのだろう。母は突っ立っているボクを抱きしめ、しきりに「大丈夫よ」と、言っていた。
 ボクは泣いていたのだろうか。それとも、茫然自失のまま立ち尽くしていたのだろうか。母の体温を感じながら目を瞑ったのだ。
「まるで悪夢だ」
 母に抱かれたまま目を瞑っていると、遠くの方で誰かがそう言ったのが耳に入った。 どうしてそう言ったのか分からない。
「どうしようもなかったのだろう」
「何か方法はなかったのだろうか」
 遠くの方で声がするけれど、それもやはりボンヤリとしか聞こえない。
 しばらくすると急に冷静になっていく自分がいた。
 先程までの緊張がウソのようだ。母に抱かれていたはずだったのに、気がつけばボクだけが一人家の前に立っている。あたりは霧が立ち込め人の気配はない。
「現実を見るのは怖いかい?」
 正面に立つのは知らぬ男がいる。青のグラデーションのかかった髪を持つ男。立っているだけでも印象に残る特徴的な姿。彼はニヤニヤと笑みを浮かべて言葉を待っている。
「だったら夢魔であるボクが隠してあげようじゃないか。真実を見るのは辛いだろう?」
 青い髪の男はそう言うが、ボクは……、それは無理だと思った。それはただの薄っぺらい言葉で、どうせ嘘はバレてしまう。
 そんなことを思っていると、青い髪をした男の背後にまた違う男が立っていることに気がついた。黒い傘を持った長身の男だ。彼は、ただ不機嫌そうに立っている。
 ウソはだめだ。けれど、この現実を受け入れるにはとてもつらい。
 目の前には夢に出てくる悪魔がいる。その二人が助けてくれると言っているならば。
「頼みが……あるんです」
 渇いた喉は、それでも発声することを許した。
 ボクの父さんは死んでいない。
 死んでいない。
 だって、そうあってほしかったのだから。

 3

「罪悪感を持ったのに、どうして”彼女”は来ないんだ?」
 ひとしきり泣いた後、ボクは涙を乱暴に拭いながら黒髪の夢魔に尋ねた。ボクの言う”彼女”とは甲冑を纏い槍を持つ勇ましい女だ。
「『罪が償われたのならば、この夢に再訪出来る』と、彼女は言っていただろう? 」
「ああ。たしかにそう言っていた」
「それならば、彼女はもうこの夢に君臨しない」
 夢魔は相変わらず、煙草を吸いながら穏やかに言う。
「君の両親は……。おそらくスティーブは、保険金詐欺を考えたんだ。しかし残念だ。自殺では保険金が支払われない。それはそれで司法が考えるだろうがね」
 夢魔はそう言って、何本目かの煙草を灰皿に押し潰した。
「酷い夢だ」
 ボクは自嘲する。
「酷いも何も君がそう強く望んだんだ。君は勇敢にも夢魔の来訪を許し、なおかつ注文を付けてきた。事件を受け入れられないと、だからしばらく逃避をさせてから真相を知る手伝いをしてくれとね」
「ボクが望んだ?」
 ボクは驚いて、夢魔を見た。
「あぁ、そうだよ。”彼女”は例外だったが、君は真実を告げる夢魔と真実を偽る夢魔、二柱の悪魔を自身の夢へ招いた。濃霧が君の進行を、……思考を妨げただろう? 今はいないけれど、もう片方の夢魔の仕業なんだ。……でなければ、こんな面倒な夢を築き上げる手伝いなんてしなかったさ。不可解な物を適当に置いて強制的に夢だと知らせるという手抜きも君は許してくれなかった」
 夢魔の体は、既に透けている。
「君も消えるのか?」
「ああ。もう真実を突き止めた。だから、ここに残る意味は無い」
「そうか。……そういえば、君の名前を聞いてみたかった。もう会わないだろうけれど、何かあった時、君を呼ぶ名前が必要だ」
「いいや。もうそれは無いだろう。私は君に興味を無くしたのだから」
 それ以上、夢魔の言葉を聞く事は叶わなかった。
 彼が消えるよりも先に、ボクが目を覚ましてしまったからだ。

 4

 目を覚ますと、お母さんが「あんな悪夢はすぐに忘れなさい」とボクを抱きしめている。
 現実でボクはソファーから落ちて、心配そうな顔をしたお母さんと話をし始めてから時間はそんなに経っていないと思う。
 ボクは泣きじゃくったままお母さんを抱きしめ返す。
 忘れなさいと言われた、そうだ。これは悪い夢だった。
 お父さんは拳銃自殺をした、それは悲しい事件だ。
 この事件でお金――……保険金が貰えるとは思えない。お父さんは自殺もして人を騙した。人に迷惑をかけ悲しませる最低な行為だ。だけれど、これでボクが何か1つでも話をしてしまったら、お父さんがその身を犠牲にした意味がなくなってしまう。
「すぐに忘れなさい」
 ボクの頭を撫でながらお母さんはもう一度言う。
 その声色からお母さんもまたお父さんがどうして自殺しているのかわかっているのだろう。だからこそ、ボクは静かに目を閉じてそれに応えた。
「そうだね」

END
 

番外編 イライ


 1

「頼みが……あるんです」
 歪んだ夢の中。
色も建物も混ざり合い混沌としている。それは心境、深層心理も同じ事で、真実を知りたいとも、知りたくないとも思い揺れ、こうして形にならないでいる。
 それを創り上げた主人、ケイリーは深刻そうな顔で”クラ”に言った。信じると告げる私とは逆の性質を持つ夢魔。
「何の頼みかな? 嗚呼、言わなくても分かる。ボクに台本を書いて欲しいわけだ」
 クラは面白そうにケイリーを見下ろしていた。彼の手には白紙の台本が握られており、それは常に悲劇を謳う。
 クラの問いにケイリーは答えようとした。が、嗚咽で言葉にならない。しだいに、彼はうずくまり大声で泣き始めた。
 泣きじゃくる子供を相手にしなければならないのか。と、うんざりするのはクラだけではない。
 感情的な子供、真実を全て曝け出す夢魔の私、真実を全て隠す夢魔のクラ。我々の相性はとにかく悪い。会話にすらならないだろう。そう考え、ここが彼の夢であり私たちが夢魔である事を利用した。
 私たちはパニックに陥る彼を強制的に落ち着かせた。それだけではない。会話がちゃんと成り立つように少し知性を与えた。
 これは夢を上手く操作しただけの事だ。目の前にいる幼い彼に説明するには単純に”魔法”という単語を使うべきだろう。
 恐怖と混乱で言葉の通じなかった彼はもう居ない。今や私と対等に話せる程、冷静さと賢さを取得していた。
「いずれ起きると覚悟はしていましたが、恐ろしい出来事を間近で見たのです」
 いくら私たちが介入し、彼を冷静にさせたとはいえ、彼はひどく動揺していたのだろう。地面を睨みながら、シャツの端を強く握り震えた声で言う。
「保険金詐欺です。知っていますか? ドラマで見た事があるんです。父親には銃も、借金も、覚悟もありました。母とこれからどうやって生きていくかという事で口論していたのも聞いています。なのでボクは、父親がいずれ死ぬ、自殺する事を薄々ながら知っていました。そしてそれは実際、現実に起きてしまった。父親はボクの目の前で拳銃自殺をしたのです」
 辛い記憶を詳細に思い出し説明する彼を見て少なからず私は少しだけ驚いた。
 一種の興奮状態が彼を益々聡明にさせている。このままいると彼は気が触れてしまうだろう。
「このまま真実を受け入れたらボクは壊れてしまう。逃避をしなければならない。ボクの心が言っている。だから、ボクは忘れようと思うのです」
 すると、真実を歪めることを得意とするクラは「だからボクを呼んだわけだ」と嬉しそうにしながら”夢”という舞台を再構築し始めた。
 舞台こそ彼の日常の一片だが、真実を隠すための濃霧が発生している。役に立って満足といった顔のクラを見て、少年は気まずそうにその景色から目を背けた。
「いいえ。違うんです。ただ私には、真実を理解する時間が欲しいのです。全てを忘れたボクを真実にまで導いてください」
「忘れたいことを、わざわざ蒸し返すだなんて!」
 クラはそう言って、わざとらしく嘆いてみせる。
「逃げたくはないんです」
「私が呼ばれた理由はこれか」
 私はそう言い、目を腫らした哀れな少年を見る。
「忘却の中で真実を知っていく」
 感情と心が離れ離れの中でも達成させるのは無茶な話だと思う。けれど、同様にこのような夢の使い方をする話は聞いた事がなかった。
 夢は所詮夢で、目が覚めてしまえば今まで逃げてきた現実に嫌でも直面するだろう。ましてやここで倍に知性を得てしまった彼だ。矛盾に疑問を抱いて事実を探ってしまうだろう。
 だからこそ、彼の提案は真実を開示する力を持つ私の興味を刺激した。
「悪いね、クラ。今回は私が引き受けよう」
「……そう。今回、君が脚本家だけれど。もし、彼が真実を見つけられなかったらボクが成り代わって良いわけだ」
 不満げなクラはよほど私の仕事を邪魔したいのだろう。濃霧を周囲に撒き散らした後、消えながら言うので私は「そうだね」と頷いた。
 そして、すぐさまケイリーの意識を操作し、彼にとってとても都合の良い夢を構築した。

 2

 私の視界には、見慣れぬ街並みが見える。
 空の色を見て早朝。これは彼の父親が自殺した瞬間の景色だ。そんな残酷な世界の中、事件を目撃した場所に彼が心細そうに立っている。
 クラはこの夢という舞台から追い出されたが、真実を隠す濃霧が広がっている。
 真実を隠してしまう濃霧の対抗としてこの夢の主人が問題とする物以外、人や動物という『雑音』を全て奪った。鳥も鳴かなければ生活音すら聞こえない。
 矛盾に気がつき自ら隠してきた事実を暴こうとしても、他者の生活というのは雑音になる。逆に言うとここまで徹底しなければ、彼は無意識下に自身の記憶を都合の良いように改竄していく。
 けれど、待ちきれなくなったクラがこの夢に介入し、あの少年を真実から遠ざけるだろう。
 邪魔をしてくる夢魔は彼だけではない。夢の主が少しでも罪悪感を抱けば断罪を行うジャンが。夢主の逃避願望が強くなれば、夢に閉じ込めるマリが来る可能性もある。

「誰もいない……」
 そんなことを何も知らない舞台の主役カレは、どこか不安げに呟いた。
 不安定なこの世界を固めてこれから都合よく展開していくには、ケイリー自身がもういないことを教えなくてはいけない。そこで”父親”の役柄を受け持った彼は、いなくなったケイリーを探し始めるだろう。
 矛盾に気付き真実を求めるならば、不安定なこの夢の世界は音を立てて崩れる。その絶望を昇華するか、新たに逃避としての夢を造るかは私にはまだ分からない。
 私が失敗し、彼が現実への拒絶を示すなら、私はこの夢から追い出されてクラがこの舞台に立ってしまう。そうなれば、現実でのケイリーは廃人だ。
 幼い彼は今後どう転ぶのか。
 私はその一瞬を傍観したい。だからこそ、ガーデンフェンス越しから不安そうな彼に声をかける。

「ここは君の夢の中だからだよ」

サポート有難うございます。紙媒体やグッズ作成に使用したいと思います。